“クリオール”とはニューオーリンズもあるルイジアナ州界隈(おおきく他の州とは風習やノリがことなる。それは、日本における沖縄のそれを思い浮かべると分りやすいかとも思う)の、アフリカ系とフランス系やスペイン系などの混血の人たちを指す言葉。そんな人たちによるアコーディオンやウォッシュボードを用いる伝統的な猥雑ダンス・ミュージックをザディコと呼ぶのだが、ここ10年ほど南部/土着回帰の意思を見せているフュージョン・ピアノの有名人(2009年11月5日、他)の新プロジェクトはそのザディコを下敷きにしようとするものという触れこみなり。

 アコーディオンやキーボードを弾くサンプル(今回、アコースティック・ピアノは置いていない)によって集められたミュージシャンは8人。ザディコの第一人者だったクリフトン・シェニエ(1925〜1987年。彼の「バナナ・マン」という曲は最高!)の息子であるC.J.シェニエ(歌、アコーディオン)がいたり、ウォッシュボード奏者がいたり、ニューオーリンズ在住の山岸潤史(2010年8月4日、他)や女性歌手がいたり。そこに、ザ・クルセイダーズ(2005年3月8日)組のレイ・パーカーJr,(ギター、歌)やニック・サンプル(電気ベース)も入るし、白人のキーボード奏者やドラマーもいる。ドラマーのダグ・ペローテはジョージ・ポーターJr.(2008年8月12日、他)やジョン・オーツ(2011年2月28日、他)やフィッシュ(2000年6月11日)のマイク・ゴードンのソロ・アルバムに名前を見せている人ですね。純正ザディコの担い手が来日するのはクリス・アルドワン(2003年7月22日)いらい?

 開演前、楽屋から出てきたメンバーたちが会場後方ではしゃいで、奇声を出し合っている。ほんと出演者たちは仲がよく、楽しんでいるという感じは、ショウが始まってからもよく伝わりました。演目は全曲、くだけたヴォーカル曲。やはり、ザディコ系曲が多かったのかな? C.J.シェニエはヤクザな風体がナイスと思わせるが、もう温かい人光線が溢れる。ウォッシュボードの見てくれ/音は訴求力大、ステージ後方で演奏していた同奏者のジェラルド・シェミエがときに前に出てステージを降りたりすると、てきめんに観客はわく。ま、メンバー紹介で一番拍手が大きかったのは山岸でしたが。
 
 歌う人が3人で、鍵盤系楽器が3人で、ギターも2人。そんなに人数が必用なことをやっているとも思えないが、無駄なところもふくめて、人間が和気あいあいと重なり合って生な音楽をやっているというのが出ていてうれしくなる。ザディコというとぼくは、アコーディオンがデカい顔して疾走する塩辛いものを想起するが、ここで出された音はいろんなバックグラウンドを持つ担い手が集まっていることもありもう少しメロウ、曖昧な書き方になるが俯瞰する感覚も持つ。なんにせよ、ルイジアナ混血文化を茶目っ気たぶりに愛でようとしていたのは間違いない。

 女性シンガーのシャロン・マーティンはオマーラ・ポルトゥオンド(2001年2月9日)を少し若くしたような感じの人で、彼女が全面的に歌った山岸をフィーチャーしたスロウ目のブルース曲は良かった。彼女はショウの途中で無茶ぶりして客を立たせたが、イヤな感じはなし。それは、彼女に澄んだミュージシャンシップがあったからネ。それから、「ゴースト・バスターズ」で知られる元フュージョン名士のレイ・パーカーJr.だが、歌といいギターといい何気にいい感じの味を出していて、ぼくは見直した。そういえば、彼も山岸も、ピックを用いずギターを弾いていたのもうれしいやねえ。

 本編でたっぷり90分。アンコールをもとめる拍手は場内BGMが流れてもやまず、9人は一緒に出てきて、ステージで横一線に並び一礼。ながら、演奏はせず。おそらく、アンコールに応えなかったのは用意していたレパートリーが尽きていたからではないか? 南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。



<今日のレコーディング話>
 山岸潤史のメイン・バンドであるパパ・グロウズ・ファンク(2009年7月27日、他)はただいま新作レコーディングの途中にある。ベイシック・トラックを録ったところ、とか。なんと、プロデューサーはアラン・トゥーサン(2011年1月10日、他)! もう一度スタジオに入り、夏ぐらいには終えたいとのことだが。彼の話によれば、今年のニューオーリンズのジャズ・フェスは人が多かったそう。出演者はロック系が増えてなと、少し顔をしかめる。でも、来年はロックをやってたりしてと返すと、「オレはロックはできへん」。え、ジミ・ヘンドリックスはと問うと、「彼は、オルタナティヴや」。
 話は飛ぶが、コーネル・デュプリー(2010年8月11日、他)がこの5月8日にデキサス州フォートワース(2004年9月16日、参照)で亡くなった。実は、日本人の出資で、彼はオースティンでブルース・アルバムのレコーディングをしていた。やたらわがままでレコーディングを反故にしたくもなるが、仕上がるものは良い、と関与する人は言っていたっけ。それ、3月アタマの話。もし、商品化されるとしたら、本当に暫くぶりのリーダー作になるとともに、遺作になる。あ、そういえば、60年代中ごろ、ジ・アイズレー・ブラザーズにいたヘンドリックスとキング・カーティスのザ・キング・ピンズにいたデュプリーは親しかった。一緒に(NYの)アパートをシェアしたことがあってギターを弾き合ったと、昔デュプリーは言っていたと記憶するが。


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