シンディ姐さんと言えば、この4日にブエノスアイレスの空港にて、女っぷりの良さで株を上げた。なんかフライトが乱れ足止めをくっておこる人達を、その場に居合わせた彼女が空港だか航空会社だかのカウンターのマイクをもって、持ち歌「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」をアカペラで歌って拍手喝采を受け、場を和ませたというもの。秀でた歌手であること、音楽の力を行使したちょっといい話、ではありましたね。
そんな彼女はメンフィスのハイ・スタジオで録音したブルース・アルバム『メンフィス・ブルース』をフォロウするワールド・ツアー中で、なんでも地震があった当日に日本入りしたらしい。で、日本にいる外国人が本国に戻ったり関西に流れるなか、そのまま滞在して、公演をまっとうする、と発表された。すげえ。見事な生粋ミュージシャンっぷり。マネイジメントは放射能汚染を恐れて帰国なり、次の公演地の豪州に飛べと指示を出さなかったのだろうか。なんにせよ……、私は歌うし、それで日本の人々を力づけられたら! その姐さんの澄んだ心意気に応えなくては、とは思うし、普段のうのうとコンサートに行っている身としては、それをちゃんとリポートするぐらいのことはしなきゃと思った。被災している人がたくさんいる中、また電力が足りなくて計画停電が行われたり、列車ダイヤが乱れるなか、音楽公演などやっていいいのかという、批判はあるだろう。正解は判らない。だが、彼女の行動で力づけられる人は間違いなくいるはずだ(会場で義援金もあつまったはず)。
と、書きつつ、実は見に行くかどうか直前まで不明だった。その最たる理由は、ぼくの78歳になる母が福島県いわき市の郷ケ丘に住んでいるから。地震の被害にはほとんどあっていないが、水道のとまった(電気とガスは通じている)家にいる。やはり、原発関連で、心配しないわけがない。80年代中期に広瀬隆著作にはビビったので、そういうのには、ぼくは敏感だ。常磐線は不通になっている。車を持っていて、逃げられる人はけっこう逃げているとのこと。今日のお昼に向いの一家に誘われていわきを脱出すると連絡が母からありホっとしたのもつかの間、ガソリンが満足に給油できないのと、道が混んでいて、断念との連絡あり。かといって、迎えに行くといっても、がんとして受け付けない。母のことを思うと、東京は安全かとかいう思考も飛んでしまう。
それで、さらにブルーになり……。でも、18時過ぎに元気な母と電話で話し、少し気が晴れ、渋谷・オーチャードホールに向かうこととした。当日券はすぐに買えた。
そんな状況で会場入りしたため、ローパーが颯爽と出てきた際には、なんか泪がでそうになった。すぐに一階席は総立ちとなる。一時太ったはずのローパーはなかなかスリム。とっても、若々しい。バッキング・バンド(ギター。キーボード2、ベーズ、ドラム)は多くはメンフィスのミュージシャン。うち、アフリカ系は3名。信頼関係がちゃんとできているのが判る。そして、この晩は(?)5、6曲で、日本人トランぺッターのTOKU(2008年8月19日、他)が加わる。シンガーでもある彼の新作は、スティーヴィー・ワンダー曲集だ。そんな陣容で披露する多くは新作にはいっていたブルージィ&アーシーな曲。が、そのブルーな曲調が、ときにぼくの心を少し逆に曇らせた。やはり、母の事を思い出してしまう。落ち着かなくなる。もともと度量が大きいとは思わないが、こんなに自分がケツの穴が小さな男とは思ってもみなかった。とともに、昔は両親のこと嫌いだったが、今は好きなんだなとも確認できた。
ときどき、昔のローパーの持ち歌をやると、張りのある声がより生き生きとアピールされる。やはり素晴らしいヴォーカリスト、と実感させられる。実は過去ローパーの公演に行ったことはないので、普段の彼女がどんなパフォーマンスをするのかは知らない。だけど、(これまでもそうだろうけど)ちゃんと自負たっぷり、気合いを入れた“輝く”歌唱を繰り広げたのは間違いない。たいした、タマ。彼女は何度も(1曲目から)何度も、客席側におり、客席の椅子にも立ち、気持ちいっぱいに歌う。彼女を中心に一階席は輪状になる。と、書いてて、すこし感動する。平常心だったら、本当にココロうたれたんだろうな。
かつての有名曲をやった、アンコールはまた良かった。日本人は強いのよ、という彼女のメッセージを肝に命じます。彼女と鍵盤とTOKUでやった最後の曲(「トゥルー・カラーズ」)の歌詞がうろおぼえだが、胸にしみた……。やはり、一生わすれられないコンサートになると思う。そして、ローパーはぼくの中で大きな位置を占めるシンガーとなった。17、18日と東京公演があり、そのあとは大坂公演もあるはず。
ついでに、得意のライヴ会場のハシゴを。南青山・プラッサオンゼに回る。母の居住地を知っているお店の方々が心配してくれる。ありがとうございます。ここはできるかぎり、ライヴ/営業を続けるという。この晩の出演者は歌とギターの東輝美、そこにハーモニカのmatsumonicaとギターの前原孝紀が加わる。演奏部になると、けっこうインプロヴィゼーショナルな行き方を見せる。主役は、醒めたテイストで歌を歌う人なのだが、その導く味にはいささか驚く。日本語のオリジナル曲とジョルジ・ベン他のブラジル曲をやるんだけど、自作曲に特に顕著なのだが気怠くもブルージーな情感を持っていて、そういう味わいとブラジル的なニュアンスがこんな風に重なるとは思わなかった。ぼくが見たセカンド・セットはとくにダーク目の曲が多かったよう、ああ今日は青色曲を聞かされる日なのだと、悟りました。
<少し、明るい話も>
高校の同級生から、状況を問う電話もあり。自分のほうはOKでかけてきたのかと思って、そちらは大丈夫なんだよねと問うたら、実は両親とは連絡とれなくて、半ば覚悟を決めていると言う。実家は海の見える所にあるそう。がーん。そしたら、昨日、無事なのが判ったと、連絡があった。部屋のなかの光度が倍になったような気持ちになった。
いわき市にはアリオス(2010年10月3日、他)という立派な複合アート文化施設がある。そこのマーケッテイングのスタッフと電話で話したら、今施設は避難場所になっているという。そして、たしか沼津出身の彼はそこで不休で人々のケアにあたっている。現場は腹が据わっていますよ、と、彼は爽やかに言う。オレも前向きにいかなきゃ。
母は気丈だ。地震があったときは、美容院に行っていて、普通に動いていたバスに乗って帰宅したという。スーパーにはモノが売っていて、買い物にも行っている。本当は屋内にいてほしいのだけど、そうもいかない。もっと大変な境遇にいる人が山ほどいるのに、視野の狭い記述ばかりしてて、ぼくは少し恥ずかしい。
でも、ぼくは音楽の力を信じる!
そんな彼女はメンフィスのハイ・スタジオで録音したブルース・アルバム『メンフィス・ブルース』をフォロウするワールド・ツアー中で、なんでも地震があった当日に日本入りしたらしい。で、日本にいる外国人が本国に戻ったり関西に流れるなか、そのまま滞在して、公演をまっとうする、と発表された。すげえ。見事な生粋ミュージシャンっぷり。マネイジメントは放射能汚染を恐れて帰国なり、次の公演地の豪州に飛べと指示を出さなかったのだろうか。なんにせよ……、私は歌うし、それで日本の人々を力づけられたら! その姐さんの澄んだ心意気に応えなくては、とは思うし、普段のうのうとコンサートに行っている身としては、それをちゃんとリポートするぐらいのことはしなきゃと思った。被災している人がたくさんいる中、また電力が足りなくて計画停電が行われたり、列車ダイヤが乱れるなか、音楽公演などやっていいいのかという、批判はあるだろう。正解は判らない。だが、彼女の行動で力づけられる人は間違いなくいるはずだ(会場で義援金もあつまったはず)。
と、書きつつ、実は見に行くかどうか直前まで不明だった。その最たる理由は、ぼくの78歳になる母が福島県いわき市の郷ケ丘に住んでいるから。地震の被害にはほとんどあっていないが、水道のとまった(電気とガスは通じている)家にいる。やはり、原発関連で、心配しないわけがない。80年代中期に広瀬隆著作にはビビったので、そういうのには、ぼくは敏感だ。常磐線は不通になっている。車を持っていて、逃げられる人はけっこう逃げているとのこと。今日のお昼に向いの一家に誘われていわきを脱出すると連絡が母からありホっとしたのもつかの間、ガソリンが満足に給油できないのと、道が混んでいて、断念との連絡あり。かといって、迎えに行くといっても、がんとして受け付けない。母のことを思うと、東京は安全かとかいう思考も飛んでしまう。
それで、さらにブルーになり……。でも、18時過ぎに元気な母と電話で話し、少し気が晴れ、渋谷・オーチャードホールに向かうこととした。当日券はすぐに買えた。
そんな状況で会場入りしたため、ローパーが颯爽と出てきた際には、なんか泪がでそうになった。すぐに一階席は総立ちとなる。一時太ったはずのローパーはなかなかスリム。とっても、若々しい。バッキング・バンド(ギター。キーボード2、ベーズ、ドラム)は多くはメンフィスのミュージシャン。うち、アフリカ系は3名。信頼関係がちゃんとできているのが判る。そして、この晩は(?)5、6曲で、日本人トランぺッターのTOKU(2008年8月19日、他)が加わる。シンガーでもある彼の新作は、スティーヴィー・ワンダー曲集だ。そんな陣容で披露する多くは新作にはいっていたブルージィ&アーシーな曲。が、そのブルーな曲調が、ときにぼくの心を少し逆に曇らせた。やはり、母の事を思い出してしまう。落ち着かなくなる。もともと度量が大きいとは思わないが、こんなに自分がケツの穴が小さな男とは思ってもみなかった。とともに、昔は両親のこと嫌いだったが、今は好きなんだなとも確認できた。
ときどき、昔のローパーの持ち歌をやると、張りのある声がより生き生きとアピールされる。やはり素晴らしいヴォーカリスト、と実感させられる。実は過去ローパーの公演に行ったことはないので、普段の彼女がどんなパフォーマンスをするのかは知らない。だけど、(これまでもそうだろうけど)ちゃんと自負たっぷり、気合いを入れた“輝く”歌唱を繰り広げたのは間違いない。たいした、タマ。彼女は何度も(1曲目から)何度も、客席側におり、客席の椅子にも立ち、気持ちいっぱいに歌う。彼女を中心に一階席は輪状になる。と、書いてて、すこし感動する。平常心だったら、本当にココロうたれたんだろうな。
かつての有名曲をやった、アンコールはまた良かった。日本人は強いのよ、という彼女のメッセージを肝に命じます。彼女と鍵盤とTOKUでやった最後の曲(「トゥルー・カラーズ」)の歌詞がうろおぼえだが、胸にしみた……。やはり、一生わすれられないコンサートになると思う。そして、ローパーはぼくの中で大きな位置を占めるシンガーとなった。17、18日と東京公演があり、そのあとは大坂公演もあるはず。
ついでに、得意のライヴ会場のハシゴを。南青山・プラッサオンゼに回る。母の居住地を知っているお店の方々が心配してくれる。ありがとうございます。ここはできるかぎり、ライヴ/営業を続けるという。この晩の出演者は歌とギターの東輝美、そこにハーモニカのmatsumonicaとギターの前原孝紀が加わる。演奏部になると、けっこうインプロヴィゼーショナルな行き方を見せる。主役は、醒めたテイストで歌を歌う人なのだが、その導く味にはいささか驚く。日本語のオリジナル曲とジョルジ・ベン他のブラジル曲をやるんだけど、自作曲に特に顕著なのだが気怠くもブルージーな情感を持っていて、そういう味わいとブラジル的なニュアンスがこんな風に重なるとは思わなかった。ぼくが見たセカンド・セットはとくにダーク目の曲が多かったよう、ああ今日は青色曲を聞かされる日なのだと、悟りました。
<少し、明るい話も>
高校の同級生から、状況を問う電話もあり。自分のほうはOKでかけてきたのかと思って、そちらは大丈夫なんだよねと問うたら、実は両親とは連絡とれなくて、半ば覚悟を決めていると言う。実家は海の見える所にあるそう。がーん。そしたら、昨日、無事なのが判ったと、連絡があった。部屋のなかの光度が倍になったような気持ちになった。
いわき市にはアリオス(2010年10月3日、他)という立派な複合アート文化施設がある。そこのマーケッテイングのスタッフと電話で話したら、今施設は避難場所になっているという。そして、たしか沼津出身の彼はそこで不休で人々のケアにあたっている。現場は腹が据わっていますよ、と、彼は爽やかに言う。オレも前向きにいかなきゃ。
母は気丈だ。地震があったときは、美容院に行っていて、普通に動いていたバスに乗って帰宅したという。スーパーにはモノが売っていて、買い物にも行っている。本当は屋内にいてほしいのだけど、そうもいかない。もっと大変な境遇にいる人が山ほどいるのに、視野の狭い記述ばかりしてて、ぼくは少し恥ずかしい。
でも、ぼくは音楽の力を信じる!
コメント