歌えるだけじゃなく、ちゃんと曲やサウンドを作れる人を、ぼくは基本好む。←それ、音楽を聞き始めたときに熱心なロック・ファンだったからだろう。だから、歌うだけの人を送り出すアメリカン・アイドルには興味が持てない。あの番組の人気は“カラオケ文化”あればこそとも思えるが、ぼくはカラオケにも馴染めない人間だから、な。それゆえ、やはり同コンテスト出身のファンテイジアもぼくの興味の範疇外のはずなのだが、彼女のことは見てみたかった。だって、新作『バック・トゥ・ミー』(J)を聞いて、ぼくは本当に感心しちゃったんだもの。曲やサウンドは他人まかせながら、ミディアム曲を中心に採用し、堂々と歌いこなして行く姿は熱意と才があふれていて惚れ惚れしちゃう。その歌だけでネガティヴな思いを得ていた聞き手を説き伏せちゃう、本物のR&B歌手の像がきっちりとそこには出ていた。

 そしたら、うわあああああ。すげええええええ。いろんな部分でCDを凌駕する。

 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。1曲目からすぐにステージ上に出てきた本人に加え(即、裸足になった)、キーボード、ギター、ドラム、3人のバッキング・ヴォーカル、3人の管楽器という布陣。これだけサポートに人数をかけるならベース奏者もおけばいいのにと思ったら、キーボード奏者は主にベース音を担当。ピアノのコード音で導かれる曲があったが、それはプリセット音で、キーボード奏者は弾いていなかった。ともあれ、サポート陣の演奏は確か、さすが本国でプライオリティの高い歌手であるというのが、そういう部分でもちゃんと伝わってきますね。

 で、そんな人達を従えて、彼女は真正面からオーディエンスと対峙し、誠心誠意ソウルフルな歌声を、パワフルに出して行く。その当たり前の所作に、歌えるワと降参。しかも、その端々から、朽ちてはいけない、どすこい捨て身な黒人芸能感覚がもわもあわとわき上がってくるのだから、こりゃこたえられない。その様にルーファスの一員だったころの若き日のチャカ・カーン(2008年6月5日、他)のことを想起したら、有名曲メドレーのときにルーファス(2008年11月10日、2010年1月20日)の「テル・ミー・サムシング・グッド」もやる。うきっ。
 
 もう、本物の輝きというか、真実のほとばしりがこれでもかと放出されていたショウ。途中で40分ぐらいたったかなと時刻を確認したら、まだその半分の時間しかたっていなくて、びっくり。濃密、生理的な情報量が多大なんだろう。やっぱ、真のR&B歌唱の前では曲やサウンドを作れるか否かなんて、些細な問題。でもって、ぼくは客を無理矢理立たせるアクトに苦い気持ちを覚えたりもする者だが、彼女ならそんな行為も許されるとマジに思った。てなわけなんで、見ながら、今年のブラック・ミュージック系公演のベスト3に入るはずとすぐに確信。終わった頃には、あらゆるジャンルでのベスト3に入るかと、より評価は上がったんだけどね。

 とっても興奮。まあ、それは初めて彼女に触れたことも大きいのだろう。次来たときも、間違いなく同様に質の高い実演を繰り広げるだろうけど、この日の感激を上回ることはないかもしれない。やっぱ、新鮮未知な初モノは強い。それは先日のアラン・トゥーサン公演(2011年1月10日)のときに、初めて彼の実演を見て感激している人の様に接してうらやましく感じつつ、ちらり感じた。確かに過去の来日公演の中で一番いい感じのショウであったが、やはりぼくがトゥーサンの公演で一番感激したのは、最初に見たときであったから。それは非の打ち所のないファンク・ショウを2年連続披露したラリー・グラハムも同じ、久しぶりに彼のことを見た2009年(9月29日)のときのほうが2010年(9月9日)時よりも多大にぼくは感激しちゃったもの。それは、そのときの文章を見れば一目瞭然ですね。ライヴにいっぱい行くのも考えもんか、ふと少しそうも感じた。だけど、音楽を書く仕事してんだから、やっぱ普段から触れてないと話にならないよなあ。ともあれ、ぼくは感嘆し、大満足。

 それから移動して、丸の内・コットンクラブで、リチャード・ボナ(2010年2月5日、他)を見る。トランペット、サックス、キーボード、ギター、ドラム、パーカッションの奏者を擁してのもの。今回はなんとライヴでおなじみのウェザー・リポートのカヴァー(「ティーン・タウン」)を1曲目で片付け、2曲目以降はベースを持つ心温かいシンガー・ソングライターといった感じのショウを進めて行く。ここのところの来日公演で見せていたサンプラーを用いた多重歌声パフォーマンスもなかったから、そういう行き方はけっこう意識的なものであったのかな。2人の管奏者もソロを取る曲もあったが、けっこうセクション音で曲趣を盛り上げる場合も。ただ、カメルーンのトラディッショナルを根に持つボナの弾力ある歌声やメロディ、そして様々な躍動表現を知る多国籍バンドのサウンドの綾や切れの存在で、ただのヴォーカル表現にはならないのだが。それから、ファンテイジアの力全開のショウを見た後だったせいかもしれないが、その総体にある強弱のダイナミクスにはかなり感心。ピアニシモからフォルテシモまで自由自在、こりゃ巧者のライヴ表現だと頷きました。

<今日のマック>
 マックと言ってもハンバーガーではなく、コンピューターのほう。ぼく、マクドナルドにはもう3年は行ってないな。というのはともかく、DJ/クラブ・ミュージック系の人でなくても、かなり前からステージ上にアップル社マッキントッシュ(やはり、音楽家は皆マックを使っているな)を置く人は散見される。ファンテイジアのパフォーマンスでもドラマーが横に置いていた。が、彼は他の人とは異なることが一つ。なんと、彼はラップトップではなく、デスクトップのデカいモニターを置いていた! おいおい、いつもそうしてんの? ぼくの長いライヴ享受歴のなか、それは初めて見る光景。どんなものでも、初めてのことと認知するのはうれしい。

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