米国黒人音楽史を飾る大ファンク集団〜パーラメント/ファンカデリックの統率者(2002年7月28日、2009年9月15日)、関連者をひきつれての、1年半ぶりの来日公演。六本木、ビルボードライブ東京。ファースト・ショウ。

 おお、やっぱ派手。ぞろぞろ出てきた構成員たちを見て、そう感じ、即うれしくなる。ドラマーがオーディエンスに促す“ウィ・ウォント・ファンク!”連呼にあわせて、ショウは開始。で、残念ながら前回と同様にホーン・セクションはいないものの、塊がすぐに無駄なく押し寄せてきて、前よりまとまってて、ファンク度数が高いとすくに了解する。ギター陣の噛み合いも良好、オムツ姿のギタリストがおらず、ああゲイリー・シャイダーは死んじゃったんだなあと少ししんみりしたものの。同じく、アンドレ・フォックスも今回は来ていないが、かわりにマイケル“キッド・ファンカデリック”ハンプトンが堂々参加。べリータ・ウッズら複数のシンガーがフィーチャーされ、クリントンの孫娘がラップし、狂言回し的ダンサーもいるというのは、前来日公演と同様だ。人が出たり入ったりし、ステージ上には多いときで15人ぐらいは上がっていたか。ドラムは人が変わりながら、計3人が叩く。中盤以降に出てきたパーカーのフードをかぶっていたのが、フォーリー(2009年9月5日)だったのだろうか。

 無礼講ノリは持ちつつ、ツボを押さえ、現役感&黒人音楽大河の重要部に位置する感がもりもり。全部で1時間15分ぐらいのパフォーマンス、前回の東京ジャズの時より間違いなく良かった。終わってからアララと思ったが、だいぶ横の方から見ていたぼくはステージ上のクリントン翁を確認できなかったナ。とほ(実は、そんなことはない。その件について、2013 年4月12日の項に説明あり)。このショウの直前に御大に取材した知人によれば、トレイドマークの7色ブレイズの付け毛はやめてしまったそうだが。トイレに行って戻ってきたとき、彼の名が連呼されていたので、いるときはいたんだろうけど。ま、“象徴”がどこにいようと、P-ファンクならでは醍醐味はあふれていた。

<ありし日のイラスト>
 昔、P−ファンク重要メンバーをインタヴュー制覇、なんて意気込んでいたことがありました。実際、著名どこは90年前後に一人づつすることができた。でも、まさか、その際はその後に彼らが何度も日本に来るようになるとは、期待はしても確信はしなかった。やはり、来日ライヴに関しては、今のほうがバブル期を凌駕しているように、ぼくには思える。→第一、ヴェニューの数が今の方がかなり多い。というのはともかく、ぼくは、クリントンが描いた小さなイラストを持っている。最初にインタヴューしたとき、取材場所に行ったら、彼はコースターの裏にピンク色のマジックで落書きチックに絵を描いていたのだ。それを見てぼくは、マイルス・デイヴィスのそれを曲線的かつ漫画ぽくしたような感じと思った。いただけませんかと言ったら、笑顔でぼくの名前を聞いてきて、それを添えて署名してくれた。その時は50代半ば前だったはずだが、けっこうじじいに思えたな。わしゃ釣りが好きでのお、と言っていた。その後、また取材する機会があったが、ぼくのことは覚えていない感じだったので、イラストのことには触れなかった。

コメント