胸を張ったUSラティーノ表現、二つ享受の晩。

 まず、六本木・ビルボード東京で、LAのメキシコ系米国人たちで組まれたロス・ロボス(2004年10月7日、2005年7月31日)を見る。ファースト・ショウ、もう満員。そりゃ、この晩だけだからな。

 思うまま、ひょいひょいと手応えを持つ表現を繰り出す。無理なく腹7分目、でも聞き手への訴求力はかなりマックスに。アタマ数曲はドラムが入らずに、メキシコ民謡で流す。基本は6人でパフォーマンスし、ドラマーのルイ・ペレスが叩く曲も少しはあったが、彼はステージ中央で弦楽器を弾く。で、多くの曲で叩いていたドラマーはロス・ロボス関連(スティーヴ・バーリンが制作したテテ〜2007年9月24日、他〜の2010年作も)やタージ・マハール(2000年10月12日、2007年4月6日)やリッキー・リー・ジョーンズ(2004年3月26日、2005年12月31日、2010年5月23日)作なんかでも叩いているクーガー・エストラーダだった。彼、まだ30代に見えましたが。曲によっては左手にスティックを持たず、手でスネアやハイハットを叩いていた。

 メキシコ文化と繋がった、アーシーでペーソスに富んだ等身大の表現。彼らの10年新作『ティン・キャン・トラスト』はミレニアムになって以降もっともサイバーロック路線を行っていたので、今回の実演はメキシコ色を減らしてハイパーな方向を取るかもとぼくは少し期待したが、それはまったくなし。というか、スティーヴ・バーリンがキーボードを触る時間はより減っているし、より等身大な、肩の凝らない編み上げロックを見せていたのではないか。で、それが味と力がたっぷり持っていて、なんの問題もないんだけど。彼らは現在もっとも、レコーディングの音とライヴの音を分けているグループと言えるかもしれない。あっぱれなジキルとハイドぶり、なり。

 最後は出世カヴァー曲、「ラ・バンバ」を喝采のなか披露。ご近所同志でバンドを組み、約35年。彼らは結成していらい、脱退者はいないんだっけ? 仲良き事は美しき飛躍を生みもするし、同じルーツを持つご近所さん同志、ばんざい。

 一方、南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)であったのは、アステカという進歩的ラテン・フュージョン・グループを組んだり、サンタナにいたこともある、西海岸オークランドの名パーカッショニストであるピート・エスコヴェードのリーダー・バンドの公演。彼に加え、娘のシーラ・エスコヴェード(2009 年9月27日、他)と息子のホアン・エスコヴェードの3人がステージ前に位置し、後列には4人の管楽器奏者(トロンボーンが二人)とギタリストとベーシストとキーボード奏者が位置する。ピートはティンバレス、シーラはドラム・セット、ホアンはコンガやボンゴなど手で叩く打楽器を担当する。ベーシストはRAD(2007年9月6日、2008年4月1日)のライヴのときも来日していたオランダ出身奏者で、今やベイ・エリアのファースト・コールになっているようだ。

 とにかく、楽しい。ときにポップだったり、フュージョンぽかったりもする、鷹揚にして、笑顔に富むパフォーマンス。とにかく、楽しい。ココロが弾む。ピートは70代半ばだが、髪の毛もフサフサしていて、それほど老けて見えない。当然,孫もいて、ジェラルド・クレイトン(2009年9月3日、他)をみたいな外見の若者が出てきて、ラップを噛ます場面も後半あった。また、同行の(?)女性達がステージに出てきて、踊る場面も。もちろん、シーラ・Eは一部曲では歌う。なんにせよ、ファミリアなノリが横溢していて,和めることしきり。

 世代の異なる血のつながる同志で、忌憚なく音楽ができるって素晴らしいっ。そんなことも、存分に感じました。

<今日の移動>
 ライヴを見る前に下北沢へ。カメラマン森リョータのエチオピア、ケニア、ジブチで撮った写真を展示した個展を覗く。同時期に撮った写真なのに子供達が裸で水浴びする写真もあれば、上着を重ね着して少し気温が低そうな写真も。それは、標高の違いによるそうな。ビール片手に話がはずむ。で、六本木へ向かい、ロス・ロボス公演終了後は、いったん恵比寿に。某誌編集長退社慰労会をかねての新年会にちょっとだけ顔をだす。一杯だけ飲んで、南青山へ。それでも、ブルーノートには開演10分強前につく。そのあと、また飲みにも行けるし、やっぱ東京って便利だよな。


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