マッコイ・タイナー(2003年7月9日、2008年9月10日)はモードと呼ばれる自由闊達なインプロ手法が出てきて以降の、スター・ジャズ・ピアニスト(1938生まれ)の一人と言っていいだろうが、その名や指さばきを広くジャズ界に知らしめたのは、60年代初頭から約5年間在籍したジョン・コルトレーンのグループ時代の演奏。それは取りも直さず、アブストラクトなジャズ表現に突入する前のコルトレーンの黄金期でもあるわけだが、そんな時代の異色作(というか、シンガーと絡んだアルバムはそれだけだ)にして、名ジャズ・ヴォーカル盤として人気が高いのが、粋な夜が似合うクルーナー系ジャズ歌手のジョニー・ハートマンとの連名で大スタンダード曲を取り上げて作った63年作『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』だ。あんな腑抜け演奏とハードなコルトレーン・ファンからは無視される場合もなくはない同作だが、大昔コートニー・バイン(歴代英国人リード奏者のなかで最もコルトレーンに近づきかけた男、と書くと語弊があるか。2004年9月26日、他)は、ジャズが良く解る3作選をお願いしたところ、同作をその1枚として選んだっけ。まあ、コルトレーンの素直な歌心が出た、とっても聞きやすいアルバム。それまではヴォーカルものをあまり聞かなかったのに、同作でジャズ・ヴォーカルに目覚めたというジャズ愛好者もたまにいますね。

 今回のマッコイ公演は、彼が50年近く前に関わった名ヴォーカル作を、テナー奏者のエリック・アレキサンダーとコルトレーン命のシンガーでもあるホセ・ジェイムズ(2008年9月18日、2009年11月11日)を呼んで、今に持ってくるというお題目が立てられていたが、途中まではタイナー・トリオ・ウィズ・アレキサンダーで進む。68年生まれのアレキサンダーはわりと下積みなしで90年代初頭から王道テナー奏者としてピンで活動している白人奏者で、現在まで25枚強のリーダー作を米日のレーベルから出している。1曲目が雄大な曲想を持つタイナー当たり曲の、「フライ・ウィズ・ザ・ウィンド」。70年代初頭の颯爽とした風情を持つ曲で、少し甘酸っぱい気分に。ステージに向かうときのタイナーを見て、少し歩くのが苦手になってきているのかなと思われたが、指さばきは矍鑠。やはり、ヴァーチュオーソ。10分はあるだろう曲を4曲やる。

 そして、ジェイムスが出てきて、全6曲収録の『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』のなかの5曲をやる。こうやって聞くと、ジェイムズってかなりハートマンから影響を受けている事がわかる。彼は1曲目からステージ横でタイナーの演奏を見守ったりと、本当に彼のことを尊敬しているのだな。ジェイムズが出てきてからのマッコイのピアノ演奏は、マイペースに歌伴のそれ。彼、そんな演奏、本当に久しぶりにやったのではないか。最後に、ジェイムズがステージを降りて、もう1曲。彼が歌ったスタンダード曲に引きずられる(?)ように、やはりスタンダードの「イン・ア・メロウ・トーン」、なり。南青山ブルーノート、ファースト・ショウ。


<今日の銀座>
 今年最初のインタヴューで、銀座に行く。で、そのメイン・ストリートたる中央通りを取材場所に向かったら、すれ違う人達から次々に、中国語が聞こえてくる。取材の帰り道で編集者が、駐車してあるバスは中国からのツアー客を乗せてきたもの、と教えてくれる。確かに、複数とまっている。うぬ、今、銀座での中国人観光客による売り上げが低くないのは容易に想像できるな。死活問題、長時間停めはしないので黙認してと、裏で業者と警察の間で話がついているのだろうか。ニュースで触れて認知はしているつもりなものの、なるほど中国の一部層の経済成長はすごいことになっていると、実感。日本人も、20年前はパリで同じことをしていたのかもしれない。そのいっぽう、“人類”とか“電波”とかいろいろ書かれた看板を前後に背負うサンドイッチおばさんがちょい危ない感じで歩いていたり、どこかうさんくさいおっさんが歩道に獲物を狙うようにたたずんでいたり。ユニクロとかの大衆量販店舗がいろいろ出店しているとはいえ、いまだハイソなキブンを持つ目抜き通りだとは思うが、げんざい昼間の中央通りはなかなかファンキーになっておるナと、久しぶりに花の銀座に行って感じました。ぼくの頭の中では、ストーンズ『エグザイル・オン・メインス・トリート』収録の「シェイク・ユア・ヒップス」がけたたましくなっていた。

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