南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。年末時間割で18時スタート、満席だった。出演者は、米国ジャズ史にばっちり名を残す大御所バンド・リーダー/ピアニストの名を継ぐ、著名ビッグ・バンド。学生っぽい女子がけっこういて、それはビッグ・バンドをやっている人達だろうか。楽団奏者の総勢は17人、現在の指揮者を勤めるのは、ドラマーとして最初はベイシー・オーケストラに入ったデニス・マクレル。そこそこ歳も行っているのかと思ったら、そんなにじじいではない。すらりと長身で、かなり見栄えのする人。MCは長くはやらないがお茶目で、客に対してのアピール度は低くない。で、テンポを決めて曲をスタートさせるとすうっとステージ袖にひっこむ(そして、また決めのときにステージ上に表れたりする)。まあ、手慣れたレパートリー、それで大丈夫なんだろうし、鬼気迫ることやろうとしているわけではないので、スーダラでも違和感は感じない。サックス、トロンボーン、トランペット・セクションと3列に並ぶ管楽器奏者たちは余裕ある感じで座っていたような気がし、もしかするとステージの前後をいつもより広げていたかもしれない。

 ハレの場の、輝かしい娯楽の表現。もう少し、管楽器群がいさましく咆哮してもいいかもとは感じたが、随所からそういうノリは出ていたか。彼らは大晦日のカウントダウン公演、および元旦のニュー・イアー公演もやるようだが、それは合うだろうな。トランペットの方々は暇なときウェイヴをしたり、ちょっと仕草におどけたところを見せたりも。俺たちの演奏を楽しんでくれてありがとうといった感じが奏者たちからは出ていて、みんなうれしそうに振る舞っていた。

 そして、中盤を折り返すと、普段はピンのR&B歌手として来日している、レディシー(2010年1月8日、他)が楽団付きシンガーとして登場。彼女は黒のぴったり気味の膝上丈のドレスを着用する。驚いたのは、別のコンダクターを伴って登場し、レディシーが歌うときはデニス・マクレルは下がり、一緒に出てきた人が指揮をしたこと。奏者には白人も何人かいたが、彼らはアフリカンだ。そのもう一人のコンダクターはマイケルなんとかと紹介されていたが、彼も普段はバンド・リーダーとかアレンジャーとかやっているようで、CDもリリースしているよう。会場でインディ・レーベルをやっている人と会ったが、彼のCDを出しませんかという話があって見に来たというから。

 もともと、度外れてジャジーな歌い方が得意な人だけに、レディシーははまりまくるんだろうなと想像したが、水を得た魚……という感じではなかった。と、書くと誤解を生むかな。嬉々として彼女はジャズ・ナンバーを歌い、ときにスキャットを噛ました。だが、その風情、バンドとの重なり方は正統派ジャズ・シンガーど真ん中というものではなかったから。どこか、そこからは離れる、何かをぼくは覚えた。とともに、レディシーの持ち味や我の強さのようなものも、再認識したか。やっぱり、彼女は広がりがある、スケールのでかいR&B歌手……ソツなくジャズ流儀/ビッグ・バンド付きシンガー流儀に合わせた姿を見せるよりはよほど彼女っぽいとも、ぼくは思った。

 そして、渋谷に一度戻って用事を片付けたあとに、青山・プラッサ・オンゼに行く。21 時半ぐらいからの2部から見て、こちらの出演者はピカイア・パンデイロ・スペシャル(E4)。渡辺隆雄(トランペット、打楽器、歌。2010年1月9日、他)と小澤敏也(打楽器)の二人に、ギターの臼井康浩(2009年7月9日、他)と打楽器の岡部洋一(2008年1月31日、他)が加わった単位でのもの。ブラジル音楽のいろんなビートを活用しつつ、ジャズや形容に困るポップネスなんかも織り込んだ事を颯爽とやる。不思議な折衷性、あり。心意気に富んだというか、澄んだ音楽愛なんかもすうっと出しちゃいもするかな。それは、フロント中央に立ち、MCもする渡辺が醸し出す部分も大きいか。彼は梅津和時(2003年3月20日、他)関連のギグにも加わったりもする人だが、清志郎バンド(2005年7月25日)にも入っていたらしい。ふむふむ。あと、藤井郷子オーケストラ東京のメンバーでもありますね。藤井オーケストラ名古屋(2006年7月3日)の世話人が臼井だったりするが、この晩のような音楽を聞かせるギグだと、彼のストラトキャスターを用いての変調ギター奏法は目立つ。実は彼、フォークがスタート・ラインだそうで、生ギターを爪弾くのも未だ嫌いではないそう。

 そこで、めでたい話を聞く。Kちゃん、おめでとう! きっと、君を知る者は皆、誰よりもあなたに幸せになってほしいと心底思っているはず。で、ぐびぐび。ぐび。うー、まだ仕事終わってねー。30日から一週間はすべてをふっとばします。

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