ケルティック・クリスマス。デイヴィッド・T・ウォーカー
2010年12月11日 音楽 11月に一時期さむくなったなあと思わせたときがあったが、ここんとこ(15日ぐらいは平気で?)、ずっとお日様が基本さしていて、温かい。今日も午前中風が強いかなと思ったものの、やはり夜になってもそんなに寒くない。うぬ、今年はまだ厚めのコートは着ていないな。
ライヴ会場に行くために半蔵門線に乗ると暖房が効いていて、すぐに汗ばむ。長距離列車と違い、都内の電車に乗車した際にコートを脱ぐ乗客はまずいない。ゆえに、暖房なんて本当に迷惑。そこらへん、夏場の冷房とは違いますね。車掌や運転手たちもコートを着て乗車業務にあたってほしい。そして、基本として車両内暖房は必要ない事を理解してほしい。
まず、錦糸町・すみだトリフォニーホールで「ケルティック・クリスマス」。毎年恒例の、北の国の人たちが複数出演する出し物、ナリ。
一番手は、デンマークのフェロー諸島出身のかなりモダン志向のトラッド・グループであるヴァルラウン。構成員は女性シンガーと男性演奏者4人。神秘的なエレクトロ・サウンド+女性ヴォーカルと説明できそうな音を聞かせる5人だが、彼らはライヴ・パフォーマンスを見た方がおもしろいし、本質がよく見える。実演ではラップトップを2台置いていたものの(当然、プリセット音は併用となる)、男性陣は楽器名を出しにくい様々な伝統音楽系楽器を手にしており、また曲ごとにいろいろ楽器を持ち替えたりもする。なんか視覚的に、俺たちは機知に富んだ地に足つけたトラッド・ビヨンドのグループなのだという、彼らの主張が伝わる感じもあるか。意気もより強く感じさせる。性格良さそうなアンナ嬢はCD同様、ビューク(2008年2月22日、他)の影響大と痛感させるとともに、やはりスカンジナヴィア圏でつながる歌唱情緒や歌唱法があるのだろうナと思わせる。この四半世紀のポップ音楽界の重要存在であるビョークを想起しちゃうと分が悪くもあるが、それは仕方がないですね。
続いては、スコットランドの3人組ラウー(2009年10月30日)。2007年からアルバムを出すようになり、3年連続で英BBCのフォーク・アワードを受賞しているらしいが、なるほど、今回はばっちりその真価を受け留めることができました。とにかく、フィドル、アコーディオン、生ギターの音の重なりが実に綺麗。音の放物線がぴたりと重なり、それらはさ〜っと覚醒する。1+1+1が5にも6にもなると書きたくなる音の重なりの醍醐味のようなものをびっくりするぐらい(ヴェニューの音の響きの特性とも合っていたのだろう)持っていて、うなってしまった。あまりに感心して、これはどんな曲調のものをやろうと絶対に聞き手にアピールするだろうし、ポップ音楽の愛好者でも“音響”的な視点を持つ人なら絶対に持って行かれる表現ではないかとも思う。いやあ、音のいいホールって素晴らしい。歌声も実に朗々と響いていたなあ。出演者3組のうち、一番ぼくが感心したのは彼らだった。
そして、3組目。アイルランドの働き盛り敏腕奏者達が集ったルナサ(2003年4月11日、他)を聞くと、これは本場の切磋琢磨された、絵に描いたような今のトラッド・グループだなと思わされる。どの曲も余裕を持って重なり、聞き手を包まんとし、どこを切ってもそこからジュージーな精気やしっとりした深みが溢れ出すという感じ。コドモなぼくとしてはどこか破綻したころがないかとも少し邪気を覚えたりもするが、誠心誠意やっている彼らに触れているうち、誰もがバターやオリーブ・オイルを使って料理しなきゃいけない道理はない、精進料理のようなものがあってもいいだろうと、オトナな見解がぼくの頭の中で生まれた。あ、そういえば、10月頭に鎌倉の公演に行った時に触れた精進料理屋は今年のミシュランで星を得たそうな。俺の車はミシュラン・タイヤを履いているか。でも、オーベルジュには一度しか行ってないっす。
そして、六本木に移動。錦糸町から再び地下鉄半蔵門線に乗ったら、また一気に汗ばむ。ところが、途中で乗り換えた都営地下鉄の大江戸線は暖房ではなく送風にしていて、とても快適。ぼくはあらゆる点で都内地下鉄は営団のほうがマシという印象をなんとなく持っていたが、少し改めることにしようか。六本木で下車し、ミッドタウン内を歩いたら、21時近いのに物凄い人。ひえ〜。普段の平日の具合しか知らないぼくには、ほとんどドッキリだと思うしかないほどの人出。あいや〜。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。
米国黒人音楽の得難い襞や綾のようなものを体現するヴェテラン・ギタリスト(2007年12月18日)、クラレンス・マクドナルド(ピアノ、キーボード。ピアノを弾く方が多い)、バイロン・ミラー(電気ベース)、ンドゥグ・チャンクラー(ドラム)という知己を伴ってのパフォーマンス。レコーディングもこの顔ぶれでやっているし、本当に、あるがままに素のままで、というノリか。演目はドリームズ・カム・トゥルーの傍系レーベルから出ている近3作(特に、出たばかりの『フォー・オール・タイム』は出来がいいと思う。ウォーカーはこの前後のドリカムの新作をフォロウするツアーにも参加)収録曲を中心に、70年代初頭リリースのリーダー作群からも。そちらは、ザ・ジャクソン5の「ネヴァー・セイ・キャン・グッドバイ」(他にも、イントロで「帰ってほしいの」や「アイル・ビー・ゼア」のさわりを弾いたりも)やバリー・ホワイトの「愛のテーマ」だったりするのだが、そういうのがブルージィな曲の間に挟まれると、本当に誘われる。
かゆいところを本当に無理なく、自然に掻いて行く、なんて、比喩もしたくなるか。気持ちいい。稀にヴァーチュオーソらしくなくミストーンを出す場合もあるのだが、それもまた人間味につながる。彼は基本は椅子に座って弾くが、時には立って弾いたりもし、その際はそれだけで妙に絵になったりも。味とキャラと年季があれば、そういうものなのだ……。複音弾きっぽいのにしろ、単音ぽいのにしろ、やっぱり歌っているよな、とも痛感。とともに、メンバー間でうれしそうにアイコンタクトをかましながら、演奏を進めて行くのも良い。レゲエ調ビートのもと披露したクリスマス・ソングの「サンタが街にやってきた」の際は全員が赤いサンタ帽をかぶる。本編最後となる最新作収録の「ソウル、イン・ライツ&グレイス」ではウォーカーとチャンクラーが歌も歌った。
ライヴ会場に行くために半蔵門線に乗ると暖房が効いていて、すぐに汗ばむ。長距離列車と違い、都内の電車に乗車した際にコートを脱ぐ乗客はまずいない。ゆえに、暖房なんて本当に迷惑。そこらへん、夏場の冷房とは違いますね。車掌や運転手たちもコートを着て乗車業務にあたってほしい。そして、基本として車両内暖房は必要ない事を理解してほしい。
まず、錦糸町・すみだトリフォニーホールで「ケルティック・クリスマス」。毎年恒例の、北の国の人たちが複数出演する出し物、ナリ。
一番手は、デンマークのフェロー諸島出身のかなりモダン志向のトラッド・グループであるヴァルラウン。構成員は女性シンガーと男性演奏者4人。神秘的なエレクトロ・サウンド+女性ヴォーカルと説明できそうな音を聞かせる5人だが、彼らはライヴ・パフォーマンスを見た方がおもしろいし、本質がよく見える。実演ではラップトップを2台置いていたものの(当然、プリセット音は併用となる)、男性陣は楽器名を出しにくい様々な伝統音楽系楽器を手にしており、また曲ごとにいろいろ楽器を持ち替えたりもする。なんか視覚的に、俺たちは機知に富んだ地に足つけたトラッド・ビヨンドのグループなのだという、彼らの主張が伝わる感じもあるか。意気もより強く感じさせる。性格良さそうなアンナ嬢はCD同様、ビューク(2008年2月22日、他)の影響大と痛感させるとともに、やはりスカンジナヴィア圏でつながる歌唱情緒や歌唱法があるのだろうナと思わせる。この四半世紀のポップ音楽界の重要存在であるビョークを想起しちゃうと分が悪くもあるが、それは仕方がないですね。
続いては、スコットランドの3人組ラウー(2009年10月30日)。2007年からアルバムを出すようになり、3年連続で英BBCのフォーク・アワードを受賞しているらしいが、なるほど、今回はばっちりその真価を受け留めることができました。とにかく、フィドル、アコーディオン、生ギターの音の重なりが実に綺麗。音の放物線がぴたりと重なり、それらはさ〜っと覚醒する。1+1+1が5にも6にもなると書きたくなる音の重なりの醍醐味のようなものをびっくりするぐらい(ヴェニューの音の響きの特性とも合っていたのだろう)持っていて、うなってしまった。あまりに感心して、これはどんな曲調のものをやろうと絶対に聞き手にアピールするだろうし、ポップ音楽の愛好者でも“音響”的な視点を持つ人なら絶対に持って行かれる表現ではないかとも思う。いやあ、音のいいホールって素晴らしい。歌声も実に朗々と響いていたなあ。出演者3組のうち、一番ぼくが感心したのは彼らだった。
そして、3組目。アイルランドの働き盛り敏腕奏者達が集ったルナサ(2003年4月11日、他)を聞くと、これは本場の切磋琢磨された、絵に描いたような今のトラッド・グループだなと思わされる。どの曲も余裕を持って重なり、聞き手を包まんとし、どこを切ってもそこからジュージーな精気やしっとりした深みが溢れ出すという感じ。コドモなぼくとしてはどこか破綻したころがないかとも少し邪気を覚えたりもするが、誠心誠意やっている彼らに触れているうち、誰もがバターやオリーブ・オイルを使って料理しなきゃいけない道理はない、精進料理のようなものがあってもいいだろうと、オトナな見解がぼくの頭の中で生まれた。あ、そういえば、10月頭に鎌倉の公演に行った時に触れた精進料理屋は今年のミシュランで星を得たそうな。俺の車はミシュラン・タイヤを履いているか。でも、オーベルジュには一度しか行ってないっす。
そして、六本木に移動。錦糸町から再び地下鉄半蔵門線に乗ったら、また一気に汗ばむ。ところが、途中で乗り換えた都営地下鉄の大江戸線は暖房ではなく送風にしていて、とても快適。ぼくはあらゆる点で都内地下鉄は営団のほうがマシという印象をなんとなく持っていたが、少し改めることにしようか。六本木で下車し、ミッドタウン内を歩いたら、21時近いのに物凄い人。ひえ〜。普段の平日の具合しか知らないぼくには、ほとんどドッキリだと思うしかないほどの人出。あいや〜。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。
米国黒人音楽の得難い襞や綾のようなものを体現するヴェテラン・ギタリスト(2007年12月18日)、クラレンス・マクドナルド(ピアノ、キーボード。ピアノを弾く方が多い)、バイロン・ミラー(電気ベース)、ンドゥグ・チャンクラー(ドラム)という知己を伴ってのパフォーマンス。レコーディングもこの顔ぶれでやっているし、本当に、あるがままに素のままで、というノリか。演目はドリームズ・カム・トゥルーの傍系レーベルから出ている近3作(特に、出たばかりの『フォー・オール・タイム』は出来がいいと思う。ウォーカーはこの前後のドリカムの新作をフォロウするツアーにも参加)収録曲を中心に、70年代初頭リリースのリーダー作群からも。そちらは、ザ・ジャクソン5の「ネヴァー・セイ・キャン・グッドバイ」(他にも、イントロで「帰ってほしいの」や「アイル・ビー・ゼア」のさわりを弾いたりも)やバリー・ホワイトの「愛のテーマ」だったりするのだが、そういうのがブルージィな曲の間に挟まれると、本当に誘われる。
かゆいところを本当に無理なく、自然に掻いて行く、なんて、比喩もしたくなるか。気持ちいい。稀にヴァーチュオーソらしくなくミストーンを出す場合もあるのだが、それもまた人間味につながる。彼は基本は椅子に座って弾くが、時には立って弾いたりもし、その際はそれだけで妙に絵になったりも。味とキャラと年季があれば、そういうものなのだ……。複音弾きっぽいのにしろ、単音ぽいのにしろ、やっぱり歌っているよな、とも痛感。とともに、メンバー間でうれしそうにアイコンタクトをかましながら、演奏を進めて行くのも良い。レゲエ調ビートのもと披露したクリスマス・ソングの「サンタが街にやってきた」の際は全員が赤いサンタ帽をかぶる。本編最後となる最新作収録の「ソウル、イン・ライツ&グレイス」ではウォーカーとチャンクラーが歌も歌った。
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