スタッフ・ベンダ・ビリリ
2010年10月17日 音楽 1ヶ月近く滞在した彼ら(10月3日、10月11日。その間、評判は広がりまくり。それ,前代未聞というべきものでは)の、日本での最終公演。この日はかなり前から見れたので、じっくりと観察しようとしたのだが。三鷹市公会堂。
一番年長のリッキーは、さすがちょい疲れ気味に見えた。この日、彼は白いスーツで、シャツと帽子も比較的ベージュっぽいものを身につけている。なんでも、みんな来日時の荷物は最小限らしいが、リッキーだけはいろいろ衣服を持ってきたらしい。なにせよ、やっぱし、皆いい感じで格好をまとめている。ベースのカバリエとロジェはこの日長いスカーフを上手くかぶっていた。そういえば、コンゴの先達であるパパ・ウエンバが来日した際(80年代後期だったっけ?)、お洒落好きなメンバーたちは、食事はすべてコンビニ飯などで済ませ、節約したお金でデザイナーズ・ブランドの服を嬉々として買っていた、なんて話を聞いたことがあるが。
今回、少し冷静気味にライヴに接してまず感じたのは、肉声の噛み合いの素晴らしさ。本当に良く出来ている。いい感じのコール&レスポンスに加え、ラップが切り込んだりとか、最良の構成がなされていると思わせられることしきり。そして、皆それぞれに顔や動きだけでなく、声にキャラがしっかりあり、それを上手く用い(リード・ヴォーカルも曲によって変わる)、噛み合わせている。いい加減というか、烏合の衆なようでいて、曲ごとにヴァリエーションを持つ肉声群の絡みはマジ絶の妙。そのうえで、各々が気分に任せるところもあり、スポンテニアスな要素も決して失わないわないし、何より生き生きしている。これは凄い、と改めて思うとともに、この5人だからこそ、とも、しかと思わせられるか。誰かがいなくなったら……とか、余計なことを心配したくなるほどに。ともあれ、彼らはコンゴの伝統を受け身体にたっぷり蓄積させていて、それをきっちり今の自分たちのヴォーカル/ビート表現として、見事に花開かせている。彼らはまず何より、音楽的な才に恵まれている、それは間違いなく言える。
そして、彼らはとにもかくにも、胸を張って、大きく手を広げて、一生懸命。ぼくはジュナナやカボセ側のほうにいたのだが、彼らの心からの熱演の様に胸が張り裂けそうになった。ほんと、去年から山ほどツアーをやっているはずなのに、何ら疲弊も見せず、これこそが勝負の日とばかりに振る舞うのには頭が下がる。そこには、見る者を和ませる無邪気さや颯爽さもありココロをつかむ。ああ、人間がやっているという感覚の強さに、接する者はヤラれる。
彼らのショウの演目は全公演、同じもの(全13曲)であったという。だが、この日は2曲のアンコールを終えた後、もう一度出てきて、おそらく世界初お披露目となる新曲をやった。実はリハーサルのときには何度かその曲をやっていたそうだが、まだ完璧ではないという判断で、本編ではやっていなかったらしい。うーぬ、ぼくが先に書いた歌声の重なりの周到さといい、見せ方の確かさといい、楽曲に対する責任の取り方といい、やはりビリリは天然だけのグループではなく、きっちりと才能も見識も計算も努力を持つ、プロフェッショナルな集団であると指摘できる。ゆえに、ぼくが見たビリリの3回のライヴはどれも外れがなく、質の高さを持っていたのも当然のこと。とともに、キンシャサの地べたで形作られたその表現はとんでもない強さを持つということでもあるだろう。そして、それが成就するまでには、映画「ベンダ・ビリリ!〜もう一つのキンシャサの奇跡」にもあるようにいろんな紆余曲折があったわけで、本当に頭がクラクラしちゃう。
ともあれ、彼らの態度は正しく、美しすぎる。いやあ、マジいろんなものを出していったナ。ショウのアタマには彼らを扱った映画の予告編も流されたけど、それももう一度みなきゃ。きっと、また新たな発見や感慨とともに、人間と音楽の関係についていろいろ考えさせるはず。この6月30日の項では精一杯あの映画のことを書き留めたつもりだけど、きっとまた新しい見解や気持ちが頭のなかで渦巻くんだろう。年内にはスタジオ入りも予定されているというが、この傑物グループのセカンド作はどうなるのか。まだまだ、これからだ。
一番年長のリッキーは、さすがちょい疲れ気味に見えた。この日、彼は白いスーツで、シャツと帽子も比較的ベージュっぽいものを身につけている。なんでも、みんな来日時の荷物は最小限らしいが、リッキーだけはいろいろ衣服を持ってきたらしい。なにせよ、やっぱし、皆いい感じで格好をまとめている。ベースのカバリエとロジェはこの日長いスカーフを上手くかぶっていた。そういえば、コンゴの先達であるパパ・ウエンバが来日した際(80年代後期だったっけ?)、お洒落好きなメンバーたちは、食事はすべてコンビニ飯などで済ませ、節約したお金でデザイナーズ・ブランドの服を嬉々として買っていた、なんて話を聞いたことがあるが。
今回、少し冷静気味にライヴに接してまず感じたのは、肉声の噛み合いの素晴らしさ。本当に良く出来ている。いい感じのコール&レスポンスに加え、ラップが切り込んだりとか、最良の構成がなされていると思わせられることしきり。そして、皆それぞれに顔や動きだけでなく、声にキャラがしっかりあり、それを上手く用い(リード・ヴォーカルも曲によって変わる)、噛み合わせている。いい加減というか、烏合の衆なようでいて、曲ごとにヴァリエーションを持つ肉声群の絡みはマジ絶の妙。そのうえで、各々が気分に任せるところもあり、スポンテニアスな要素も決して失わないわないし、何より生き生きしている。これは凄い、と改めて思うとともに、この5人だからこそ、とも、しかと思わせられるか。誰かがいなくなったら……とか、余計なことを心配したくなるほどに。ともあれ、彼らはコンゴの伝統を受け身体にたっぷり蓄積させていて、それをきっちり今の自分たちのヴォーカル/ビート表現として、見事に花開かせている。彼らはまず何より、音楽的な才に恵まれている、それは間違いなく言える。
そして、彼らはとにもかくにも、胸を張って、大きく手を広げて、一生懸命。ぼくはジュナナやカボセ側のほうにいたのだが、彼らの心からの熱演の様に胸が張り裂けそうになった。ほんと、去年から山ほどツアーをやっているはずなのに、何ら疲弊も見せず、これこそが勝負の日とばかりに振る舞うのには頭が下がる。そこには、見る者を和ませる無邪気さや颯爽さもありココロをつかむ。ああ、人間がやっているという感覚の強さに、接する者はヤラれる。
彼らのショウの演目は全公演、同じもの(全13曲)であったという。だが、この日は2曲のアンコールを終えた後、もう一度出てきて、おそらく世界初お披露目となる新曲をやった。実はリハーサルのときには何度かその曲をやっていたそうだが、まだ完璧ではないという判断で、本編ではやっていなかったらしい。うーぬ、ぼくが先に書いた歌声の重なりの周到さといい、見せ方の確かさといい、楽曲に対する責任の取り方といい、やはりビリリは天然だけのグループではなく、きっちりと才能も見識も計算も努力を持つ、プロフェッショナルな集団であると指摘できる。ゆえに、ぼくが見たビリリの3回のライヴはどれも外れがなく、質の高さを持っていたのも当然のこと。とともに、キンシャサの地べたで形作られたその表現はとんでもない強さを持つということでもあるだろう。そして、それが成就するまでには、映画「ベンダ・ビリリ!〜もう一つのキンシャサの奇跡」にもあるようにいろんな紆余曲折があったわけで、本当に頭がクラクラしちゃう。
ともあれ、彼らの態度は正しく、美しすぎる。いやあ、マジいろんなものを出していったナ。ショウのアタマには彼らを扱った映画の予告編も流されたけど、それももう一度みなきゃ。きっと、また新たな発見や感慨とともに、人間と音楽の関係についていろいろ考えさせるはず。この6月30日の項では精一杯あの映画のことを書き留めたつもりだけど、きっとまた新しい見解や気持ちが頭のなかで渦巻くんだろう。年内にはスタジオ入りも予定されているというが、この傑物グループのセカンド作はどうなるのか。まだまだ、これからだ。
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