まずは、横浜モーションブルーで、コペンハーゲン在住日本人ピアニスト、平林牧子の来日ライヴを見る。本欄初登場、ゆえにどういう人かしっかり書き留めたいのだが、仕事に遊びに忙しくてちゃんと書く時間も根性もない。ゆえに、毎日新聞に5月上旬に載った記事を転載しておく。




 米国に住む坂本龍一や上原ひろみをはじめ、クラシック以外でも、海外を拠点とする音楽家は現在すくなくない。そして、デンマークのコペンハーゲンにも一人、平林牧子は同地で活躍しているジャズ・ピアニストだ。
 それにしても、なぜコペンハーゲン。同地は古くから米国黒人ジャズマンが移り住んだ土地としても知られるわけだが。「それは、引っ越してから知りました。オトコについていったんですよ、アハハハ」と、返事は明るく屈託がない。「引っ越しの多い人生だったので、その後20年も住むとは思わなかったですが。でも、コペンハーゲンはコスモポリタンないい街ですよ」
 1965年、東京生まれ。ながら、父親の赴任により小学5年生から高校2年生までは香港に住んで英国式の教育を受け、日本の大学を1年でやめて、米国ボストンにあるバークリー音楽大学に進んだ。「テープを送ったら、奨学金が取れてしまいまして。そして、そこでデンマークからギターを学びにきていた主人と出会いました」。
 感じるまま、思うままの、風通しの良い人生。4歳からピアノを習い始めたものの、「スポーツのほうを熱心にやっていた」。そして、「ピアノをやっている人は多いので」、小学生から香港時代にかけてはピアノではなくバイオリンを習っている。東京に戻った高校3年生のときには「シンセサイザーに夢中になり、作曲にも向かう」ようにもなった。また、バークリーでは「ピアノが自分に一番近い楽器に思え、ジャズに対する興味もどんどん増した」。
 現在、11歳と8歳の二児の母親でもある。「音楽と子育てを両立させていましたが、二人目が生まれたときにはさすがに無理で一時休業ですね。その後、子育てが一段落したときに、こんなジャズがあってもいいじゃないという提案のつもりで録ったのがデビュー作です」
 1作目の「マキコ」と続く「ハイド・アンド・シーク」、ともに清新にして闊達なピアノ・トリオ作になっているが、それらを送り出しているのはドイツのエンヤ・レコード。40年もの歴史を持つ同社は欧州を代表するジャズ・レーベルで、古くは日野皓正や山下洋輔らを欧州で紹介した会社としても知られる。「録音したものを送ったら、幸運にも契約してもらえました」。が、それも国際規格の現代ジャズとしての内実があればこそ。
「いろんな所に住み、自分のアイデンティティが不明になって、それを探す過程ででてきた音楽と言えるかもしれない」。様々な場を知り多様な経験を持つからこその、自分探しを経ての、自立した音楽……。だからこそ、中林のピアノ表現は凛とした日本人女性の姿を世界に伝える好サンプルとして輝いている。(音楽評論家・佐藤英輔)






 ちなみに、彼女の長男はデンマークきってのサッカー・クラブのジュニア・チームに在籍していて、闘争心のなさを指摘されつつも、長身のアタッカーとして将来を嘱望されているとか。それを聞いて、日本に帰化させちゃえとか、無責任なサッカー・ファンである私はそう不用意に思った、なーんて。

 記事中にあるエンヤ発の2枚のトリオ作で絡んでいるデンマーク人のクラウス・ボウマンとドラマーのマリリン・マズール(2004年2月25日)と仲良く一緒に来日してのもの。ボウマンとマズールは夫婦(マズールの方が年長だが、旦那の方が老けて見える)。米国生まれで、6歳のときにデンマークに家族とともに引っ越したマズールは80年代後期にマイルズ・デイヴィスやギル・エヴァンスのバンドに”自由の”パーカッション奏者として関わった事で知られる奏者で、ECMにもリーダー作を残していますね。

 ボウマンはエレクトリック・アップライト・ベースを使用。マズールはいろいろ小物をドラム・セット回りに置いて、どこか打楽器的な演奏を披露する。彼女は1曲目から肉声を披露するなど、かなりフィーチャーされる。CDを聞くと迸るリアルなジャズ感覚がまず印象に残る平林だが、実演ではジャズを核におきつつも、より広い世界(それはメロディアスなものであったり、エスニックなものであったり)を求めようとしている姿勢をまず受けたか。アコースティック・ピアノで勝負している彼女だが、実はジョー・ザヴィヌル/ウェザー・リポートなんかも大好きなんだよね。

 ファースト・ショウを見た後、横浜に出て東海道線に乗って東京駅下車。丸の内・コットンクラブへ。そちらは、NYに住むブラジル人と韓国人ギタリストの共演パフォーマンス。お互いのリーダー作に参加し合う二人だが、彼らの寛いだ交歓に触れれば、普段から仲良しなのはよくわかる。どっちかの家のリヴィング・ルームでのギターを持ったやりとりをここでも再現している、なんて説明の仕方をしたくなるか。ミルトン・ナシメントのバンドを皮切りにそうそうたるキャリアを持つオルタは実に飄々、スーダラとも少し言える風情でギターを弾き、歌う。ソロでやった曲はくっきりとクラシック・ギターの心得が外に表れる。ボブ・ジェイムズとの活動なんかでも知られるリーはニコニコしながら、基本はオルタ流儀に合わせて行く。ときにソロはパット・メセニー的、そういえばメセニーもオルタに最敬礼していた一人だった。韓国曲「アリラン」をボサノヴァ調にして歌ったりも。それ、二人の2000年連名作『From Belo to Seoul』に入っていますね。それから、日本人歌手のnobie(2010年5月9日、他)が途中で出てきて、歌う。日本語で、「東京、名古屋、京都、大阪、博多/福岡 新幹線〜」と、オルタと一緒に歌った曲は楽しい。

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