マヌ・チャオ

2010年10月4日 音楽
 マヌ・チャオというと、畳を思い出す……。彼が率いていたマノ・ネグラ(ぼくは、フランスのフィッシュボーンなるものとして、愛好していました)の初来日のとき(まだ、80年代だったっけ?)取材したんだけど、その際、彼らは市ヶ谷界隈の修学旅行の学生が泊まる旅館に投宿していたのだ。取材場所となったのもそこで、小さな和室で和机はさんで、インタヴューをやった記憶がほんわかアリ。

 立派になりなさって。当時の跳ねっ返り心意気系担い手としてはもっとも健在、いやより一層の力を得て輝いている人と言えるか。バスクやガリシアの血を引くとも言われ、今はバルセロナに拠点を置き、スペイン語などで歌うなど用いる言葉もリベラルな感覚ととにもに広がった彼だが、来日は2002年のフジ・ロック以来(7月26日〜)。その項で書いてあるように、雑誌原稿との重なりを避けるために、彼のパフォーマンスについてはそこで触れていないが、思った以上にレゲエ/ダブ色を通ったサウンドのもと地に足をつけた濃い歌心を彼はまっすぐにオーディエンスに送りまくっていたよなあ。で、今回はあのときのようなバンド仕様ではなく、選抜メンバーによる、全3人による簡素編成によるもの。

 生ギターを弾きながら歌うチャオに加え、最初のほうは生ギターを持つギタリスト(ちょいフラメンコ的な奏法を見せたりも)と、ドラマー。途中からは、ギタリストが電気ギターに持ち替えた(ロック的に、少し通俗的な演奏になったという感想も持つ)がなんにせよ、片肺編成でも、なんら問題ないぢゃん。もう、バスドラ音も強力な豪腕ドラマーがきっちり叩くせいかベーシスト不在も気にならないし(ときにドラム音にはダブ的効果が施されたりも)、サウンドも無理なく雄弁。でもって、そこに、きっちりと聞き手に届くチャオの歌が乗るのだから、もう見ている端から醍醐味たっぷりで、オレは替えがきかないチャオならではの表現を真っ向から受けているという感激に包まれちゃう。

 チャオは随所で、マイクで心臓部を叩いたり(それは、心臓の鼓動を模した音を出す)、同様に頭をごんごん叩いたりして、気持ちの高揚や観客への感謝やショウにこめた強い気持ちを表す。そりゃ、音楽自体のパワーともども、見る者は鼓舞されます。客は一緒に歌ったりもし、すげー。まるで、日本の会場じゃないみたいだった。すぐに売り切れになったという公演、恵比寿・リキッドルーム。

 アンコールに2回(だよな?)に答え、会場は明るくなる。だが、熱心なファンは歌い続け……、そしたら5分後ぐらいに、オマエらの意気に応えなくてどうするといった感じで、3人は出てきてまた演奏。ああ、J・ガイルズ・バンド(大昔、アメリカのストーンズ、という言われ方もあり)のピーター・ウルフの真心熱血漢ぶりを思い出しちゃった。→彼らの70年代後期の新宿厚生年金会館のライヴのさい、ウルフは公演が終わった後、一人でのべ10回ぐらい出てきて(トレードマークが蛙飛びで、それもしました)、声援に応えた。最後は緞帳なども全て片され、素の舞台となっていたんだよなー。また、90年代に一度あったウルフの渋谷クアトロでの単独公演も熱かった!

 真実の男、マヌ・チャオ、ここにあり。

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