チャック・ブラウン&ザ・ソウル・サーチャーズ
2010年3月18日 音楽 金、金、金、金……と、こんなにも連呼する日はもうねえかもなあ。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。2年ぶりの来日、前回はミスしていたので、気持ち昂る〜。
ワシントン・ゴー・ゴー。チョコレート・シティ/黒人都市である米国首都ワシントンDCで70年代後期から育まれているノンストップの超ど級真っ黒ファンク・ミュージックのことを指す。ノンストップであるのは完全にダンス用のライヴ・ミュージックとして出てきたためで、P-ファンク的な純正ファンク・サウンドにラテン・パーカッション的な打楽器音を効果的にかませて弾力度数/横揺れ度数を高めるとともに、独特なタムの連打音が効果的アクセントとして用いられる。なんて、同表現はおおまかには説明できるか。日本で大々的に紹介されたのは、英アイランド・レコードがレゲエに続く商売になる土着表現として着目し、同ムーヴメントを現地レーベルを傘下に抱えて送り出した85年(アイランドはレゲエ売り出しのときに、そのプロパガンダの材料として映画「ハーダー・ゼイ・カム」を制作したが、ゴー・ゴー売り出し時も「グッド・トゥ・ゴー」という映画を作った。その主演はアート・ガーファンクル)。いやあ、あんときゃ、これぞ俺のサウンドだァって燃えて、自分が事務所を持つとしたらゴー・ゴー・オフィスっていう名前しかねえとなぜか思い込んだ。事実、友達と遊びの名刺を作ったときには、その名前を冠したっけ。ね、よっちゃん&くどうちゃん。名刺には、俺んちを<ヘッド・オフィス>とし、深川に住んでいる奴んちは<スタジオ>で、町田の方は<ファーム>と印刷したっけ。ついでに、当時LAに住んでいたドラマーの住所を借りて、それは<LAブランチ>としたよなあ。他愛ないけど、楽しかったなー。
チャック・ブラウンはそのゴー・ゴーができる前から同地で活動しているファンカーで、当然その成立過程の中枢にいたこともあり、ワシントン・ゴー・ゴーのゴッドファーザーと呼ばれる人。ぼくがこの御大を見るのは87年以来かな。
で、ステージに出てきたチャック・ブラウンは現在73歳だそうだが、ぜんぜん老けてない。な、だけでなく、とてもヤクザないい味を鬼のように出していて、一瞥するだけで発汗できる。イエイ。バンドは、ドラム、打楽器、ベース、キーボード(綺麗な女性で、シックでも来ている)、そして、トロンボーンとトランペットとサックス。3人の管楽器奏者はちゃんとスーツをきていて、唯一の白人であるトランぺッターはショーン・レノン(2009年1月21日)を長身にしたみたいな感じの人。得意げにソロを回すその3人はジャズ畑の奏者のようにも見受けられたが、踊りなどにもちゃんと参加し、普段着の他のバンド員と違和感なく重なる。とともに、ブラウンはワシントン・ゴー・ゴーの担い手のなかでももっともジャジーな手口を見せる人であることも、そうした違和感のなさに繋がっているか。ブラウンはときにジャジーな弾き口のギター・ソロを取るとともに、伸縮性に富んだビートに楽々といろんなジャズ・スタンダードからマイルス・デイヴィスの「ツツ」までを自在に乗せてきている人なのダ。
ショウは娯楽ジャズ系有名曲「ハーレム・ノクターン」で幕を明け、約1時間半ノンストップで、次々に曲を泳がせていく。ブラウンのダミ声も健在、前よりもギターは前に出さなくなったようにも感じたが、曲の流れの変化は全面的に彼が出しているのだと思う。実は、先に触れたタムの連打音をザ・ソウル・サーチャーズはあまり使わないが、それはブラウンの仕草やギターが全面的に変化のきっかけを与えていることとも関係があるのではないのか。
途中から派手なヘア・スタイルの若い娘が出てきて、一部でそれほどは上手くないラップを噛ます。そのときにビートはラガ調が加味されるが、彼女はブラウンの娘なのだとか。ほほほ。また、その後には、小柄なおっさんが出てきてラップ調ヴォーカルやトランペット・ソロをとるが、それはリトル・ベニーのよう。おおお。80年代中期のゴー・ゴーの世界進出期のときから、名が出ていた人ではないか。今回は違うけど、前回来日時はドラマーがゴー・ゴー界きってのスター奏者である元EU(かつて、ヴァージンと契約したことあり)のウィリアム・ジュジュ・ハウスだったらしいし、キーボード奏者はシック(2009年4月6日、他)と持ち合っている事になるし、なるほどブラウンはいまだライヴ・アクトとしてきっちりプライオリティを持つのだな。
驚いたのは、彼らのショウの曲目や流れを熟知しまくった、一部のお客さんの反応。のっけから、見事にコール&レスポンスする。それは確実にショウが濃いものとなる力を与えていたはず。アンコールは、<カードなんか糞食らえ、現金こそベスト>と歌われる彼らの84年のヒット曲である、生理的にも超ファンキーな「ウィ・ニード・サム・マネー」。その際、そのエンスージアストたちはパーティ用の$札の束を持参してきていて、他のお客さんにも渡す。ぼくのほうにも回ってきて、お金をかざして、マニ・マニ・マニ・マニ・マニ!と連呼できて、ほんとバカみたいに楽しかった。グッゴー! はあ、電車あるうちに帰宅するのが辛かったァ。仕事がたまり気味なので(朝までコースやっちゃうと、次の日ツブれちゃうから)、悲しく自制ナリ。ゴー・ゴーじゃなかったぼく……。
ワシントン・ゴー・ゴー。チョコレート・シティ/黒人都市である米国首都ワシントンDCで70年代後期から育まれているノンストップの超ど級真っ黒ファンク・ミュージックのことを指す。ノンストップであるのは完全にダンス用のライヴ・ミュージックとして出てきたためで、P-ファンク的な純正ファンク・サウンドにラテン・パーカッション的な打楽器音を効果的にかませて弾力度数/横揺れ度数を高めるとともに、独特なタムの連打音が効果的アクセントとして用いられる。なんて、同表現はおおまかには説明できるか。日本で大々的に紹介されたのは、英アイランド・レコードがレゲエに続く商売になる土着表現として着目し、同ムーヴメントを現地レーベルを傘下に抱えて送り出した85年(アイランドはレゲエ売り出しのときに、そのプロパガンダの材料として映画「ハーダー・ゼイ・カム」を制作したが、ゴー・ゴー売り出し時も「グッド・トゥ・ゴー」という映画を作った。その主演はアート・ガーファンクル)。いやあ、あんときゃ、これぞ俺のサウンドだァって燃えて、自分が事務所を持つとしたらゴー・ゴー・オフィスっていう名前しかねえとなぜか思い込んだ。事実、友達と遊びの名刺を作ったときには、その名前を冠したっけ。ね、よっちゃん&くどうちゃん。名刺には、俺んちを<ヘッド・オフィス>とし、深川に住んでいる奴んちは<スタジオ>で、町田の方は<ファーム>と印刷したっけ。ついでに、当時LAに住んでいたドラマーの住所を借りて、それは<LAブランチ>としたよなあ。他愛ないけど、楽しかったなー。
チャック・ブラウンはそのゴー・ゴーができる前から同地で活動しているファンカーで、当然その成立過程の中枢にいたこともあり、ワシントン・ゴー・ゴーのゴッドファーザーと呼ばれる人。ぼくがこの御大を見るのは87年以来かな。
で、ステージに出てきたチャック・ブラウンは現在73歳だそうだが、ぜんぜん老けてない。な、だけでなく、とてもヤクザないい味を鬼のように出していて、一瞥するだけで発汗できる。イエイ。バンドは、ドラム、打楽器、ベース、キーボード(綺麗な女性で、シックでも来ている)、そして、トロンボーンとトランペットとサックス。3人の管楽器奏者はちゃんとスーツをきていて、唯一の白人であるトランぺッターはショーン・レノン(2009年1月21日)を長身にしたみたいな感じの人。得意げにソロを回すその3人はジャズ畑の奏者のようにも見受けられたが、踊りなどにもちゃんと参加し、普段着の他のバンド員と違和感なく重なる。とともに、ブラウンはワシントン・ゴー・ゴーの担い手のなかでももっともジャジーな手口を見せる人であることも、そうした違和感のなさに繋がっているか。ブラウンはときにジャジーな弾き口のギター・ソロを取るとともに、伸縮性に富んだビートに楽々といろんなジャズ・スタンダードからマイルス・デイヴィスの「ツツ」までを自在に乗せてきている人なのダ。
ショウは娯楽ジャズ系有名曲「ハーレム・ノクターン」で幕を明け、約1時間半ノンストップで、次々に曲を泳がせていく。ブラウンのダミ声も健在、前よりもギターは前に出さなくなったようにも感じたが、曲の流れの変化は全面的に彼が出しているのだと思う。実は、先に触れたタムの連打音をザ・ソウル・サーチャーズはあまり使わないが、それはブラウンの仕草やギターが全面的に変化のきっかけを与えていることとも関係があるのではないのか。
途中から派手なヘア・スタイルの若い娘が出てきて、一部でそれほどは上手くないラップを噛ます。そのときにビートはラガ調が加味されるが、彼女はブラウンの娘なのだとか。ほほほ。また、その後には、小柄なおっさんが出てきてラップ調ヴォーカルやトランペット・ソロをとるが、それはリトル・ベニーのよう。おおお。80年代中期のゴー・ゴーの世界進出期のときから、名が出ていた人ではないか。今回は違うけど、前回来日時はドラマーがゴー・ゴー界きってのスター奏者である元EU(かつて、ヴァージンと契約したことあり)のウィリアム・ジュジュ・ハウスだったらしいし、キーボード奏者はシック(2009年4月6日、他)と持ち合っている事になるし、なるほどブラウンはいまだライヴ・アクトとしてきっちりプライオリティを持つのだな。
驚いたのは、彼らのショウの曲目や流れを熟知しまくった、一部のお客さんの反応。のっけから、見事にコール&レスポンスする。それは確実にショウが濃いものとなる力を与えていたはず。アンコールは、<カードなんか糞食らえ、現金こそベスト>と歌われる彼らの84年のヒット曲である、生理的にも超ファンキーな「ウィ・ニード・サム・マネー」。その際、そのエンスージアストたちはパーティ用の$札の束を持参してきていて、他のお客さんにも渡す。ぼくのほうにも回ってきて、お金をかざして、マニ・マニ・マニ・マニ・マニ!と連呼できて、ほんとバカみたいに楽しかった。グッゴー! はあ、電車あるうちに帰宅するのが辛かったァ。仕事がたまり気味なので(朝までコースやっちゃうと、次の日ツブれちゃうから)、悲しく自制ナリ。ゴー・ゴーじゃなかったぼく……。
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