うひょ、こんなのアリ? と、書きたくなるぐらい、素敵なライヴだったな。

 ブーツィ・コリンズ/ジョージ・クリントン(2009年9月5日、他)の後押しで出てきたオハイオの知恵と知識を持つ兄弟主体のファンク・バンドで、統帥ロジャー・トラウトマン(彼は音楽活動の傍ら地元のオハイオ州デイトンで、不動産とか建設とかタクシーといった会社を複合で経営していた。確か、トラウトマン・エンタープライズという名前だったはず)が生きていたころはM&Iの招聘で何度も来日し、冴えた得難い姿を見せていた。彼らは全盛期にザップとロジャーという二つの名前を用いて同志向のアルバムを送り出していたが、99年に兄のラリーがロジャーを射殺、グループは表舞台から消えてしまった(ように、ぼくは感じていた)。

 六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。最初スケジュールが発表されたときはシャーリー・マードック名義の公演で、それが途中からザップ・フューチャリング・シャーリー・マードックに変更になったと、ぼくは記憶しているが。マードックは80年代中期に同ファミリーが送り出した、女傑系シンガーだ。

 まず、マードックが中央に立ち、2曲か3曲、バンドを従えて朗々と歌う。イエイ。もう、ゴスペル臭もたっぷりで、ぼくは彼女だけののショウだとしても、十分な満足を得たに違いない。が、すぐに、彼女とバンドは引っ込んでしまう(彼女はショウの最後のほうで出てきて、少しまた歌う)。そして、場内には音楽が流され一時休憩という感じになり、ステージ両端にはザップ系表現のトレイドマークでもあったトーク・ボックスが配置される(公演後、それを携帯で撮る人も次々)。お、ザップ公演のスタートだあという気になりますね。で、それからの1時間少し、もう山あり谷ありのショウ。黒人音楽の本質がメルティング・ポットで煮詰められたようなパフォーマンスは本当に夢のようだった。

 ステージ上には多いときで8人いたはずで、トラウトマン姓は3人のよう。もう、彼らはステージに出たり下がったりで、自在のステージ運び。自由にフォーメイションを変え、いろんな踊りを見せ(お見事!)、本当に頻繁にきらびやかな服装を換える。彼らは一体、何着服を持ってきたのか。皆でアフロのカツラをかぶるときもあった。とにかく、見せる、聞かせる、楽しませる。鮮やか、すぎる! 同軌音も用いていたはずだが(80年代中期は、プリンスと並ぶエレクトロ・ファンクの旗手的存在として捉えられたこともあったのを、ぼくは思い出した)、演奏もまっとう、歌もおいしい。現役感、たっぷり。プロフェッショナル度数、高すぎ。で、その総体はザップ系表現の素晴らしさ全てを括るとともに、キャロ・キャブウェイ時代から現在までの黒人音楽妙味の流れを見事に鷲掴みにする。ほんと、すごすぎ。もしかして、ロジャーがいたころより、今のほうがいいんじゃないかなんても、興奮したアタマでぼくは思った。

 案内された席がミュージシャンが出入りする通路の横で、それもまた気分が高まった要因にはなったかな。でも、そんなの抜きにして、極上のファンク・ショウだったのは間違いない。というわけで、今年のブラック系実演のベスト3の一つは、これに決定。もう、毎年きてほしい。切に、そう思う。

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