ロベルト・フォンセカ
2010年1月26日 音楽 好青年のロベルト・フォンセカ(2003年10月14日)には、2001年のころだったか、インタヴューしたことがあった。ちょうど、ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ(2001年2月9日)がもりあがり、そこにでていたイブラヒム・フェレールやオマール・モルトゥオンドらの覚えもめでたく、バッキングもしている新進ピアニストというのが触れ込みだったとおもう。そしたら、かなり米国のジャズに精通していて、ジャズの影響力を痛感さられたりもし、一方で、ジャズが好きだからこそ、奔放に自分のジャズを求めたいんだとも語っていたことが、好印象につながっている。
南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。サックス、縦ベース、ドラム、パーカッションを擁してのもの。まさに俊英というに相応しい、ピアノの弾き口を飄々と披露。ときに饒舌に行く場合もあるが、曲趣にのっとって、バンド音とともに自分の絵をときにメロディアスに描いて行く様はそうとう秀逸なピアノの使い手と言えるだろう。が、ぼくがまず彼の今回のパフォーマンスのことを書き留めたくなるポイントは、テーマ部を演奏しているときに、彼がサックス奏者の演奏に合わせるように半数以上の曲で詠唱していたことかな。それ、かなり褒めていうなら、ミルトン・ナシメント(2003年9月23日)のそれに通ずる? ともあれ、声を出す、歌うという行為をあんなにピアノを達者に弾ける人が臆面もなくやってしまっているのが生理的にうつくしい。とともに、それは過剰にジャズでもラテンでもない、<私が感じる、即興を通したロマンティックな音楽>の結実につながっていた。
南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。サックス、縦ベース、ドラム、パーカッションを擁してのもの。まさに俊英というに相応しい、ピアノの弾き口を飄々と披露。ときに饒舌に行く場合もあるが、曲趣にのっとって、バンド音とともに自分の絵をときにメロディアスに描いて行く様はそうとう秀逸なピアノの使い手と言えるだろう。が、ぼくがまず彼の今回のパフォーマンスのことを書き留めたくなるポイントは、テーマ部を演奏しているときに、彼がサックス奏者の演奏に合わせるように半数以上の曲で詠唱していたことかな。それ、かなり褒めていうなら、ミルトン・ナシメント(2003年9月23日)のそれに通ずる? ともあれ、声を出す、歌うという行為をあんなにピアノを達者に弾ける人が臆面もなくやってしまっているのが生理的にうつくしい。とともに、それは過剰にジャズでもラテンでもない、<私が感じる、即興を通したロマンティックな音楽>の結実につながっていた。
コメント