ノラ・ジョーンズ。ルーファス・フューチャリング・スライ・ストーン
2010年1月20日 音楽 まずは、赤坂・ブリッツで、ノラ・ジョーンズ(2002年5月30日、2002年9月14日、2007年3月21日)を見る。ほのかにアメリカーナな、激シブのシンガー・ソングライター表現をやんわり開いていたな。レコード会社打ちのショーケース公演(新作購入者を抽選招待)ながら、新作収録曲を中心にちょうど1時間ほど。一曲が長くないので、曲数はけっこうあったはず。アンコールではデビュー作の茫洋としたタイトル・トラック(「カム・アウェイ・ウィズ・ミー」)をやる。が、この晩のジョーンズの様に触れた人なら、新しい道を踏み出した彼女はもう「ドント・ノウ・ホワイ」はやらないかもと、肌で悟ったのではないか。
その新作『ザ・フォール』(大きなシングル・ヒットもないのに全米3位まで入ったようだから、きっちり固定支持者がいるんだろう)はそれまでの人脈と大きく離れ(ボーイ・フレンドで、作曲のパートナーでもあったリー・アレクサンダーとも別れ)、ジャズ的残り香を払拭し、よりポップ・ロック側に踏み出す姿勢を見せたものだったが、かようにライヴは今の実像をしかと知らせるものだった。
歌とギターのサーシャ・ダブソン(2006年4月22日)、制作者としても活動するドラムのジョーイ・ワロンカー(チャーリー・ヘイデンの子供たちと仲良く、ベックとも関係の深い彼は、往年のワーナー系制作者であるレニー・ワロンカーの息子ね)、ベースのガス・サイファード、キーボードのジョン・カービーという、新作レコーディングに関与しているミュージシャンを伴ってのもの。彼(女)らに囲まれるようにジョーンズ(ミニ目のワンピースを着ていました)はのっけから数曲はギターを持って歌う。キーボードやアップライト・ピアノ(グランド・ピアノではない。当然、ソロも取らない)を弾きながら歌う曲もないではないが、ギターを手にするほうが多かったはず。という設定による実演は、抑制と含みを持つ超オトナなバッキング・サウンドとあいまって、エッジィな何かをはらむ、枯れまくったワビサビ・ロックとして結実する。途中、ギター3本だけで歌ったり、ダブソンとデュオでやったりも。ジョーンズは旅に出たとき気の置けない女友達が横にいるのを好むようで、かつてのダルー・オダ(2008年12月4日、他)役割を今はダブソンがやっているようだ。
十分に気配りがなされて風情があるショウであり、一人の人気ミュージシャンの自我の行方を伝える公演。ステージ美術/照明も通常公演のごとく練られていたし、わざわざ質の高いバンドも呼んでいるのだから、普通の公演を一回でもしたらいいのに。彼女なら、東京国際フォーラムのホールAでも出来るだろう。まあ、「ドント・ノウ・ホワイ」なるものを頑に求め続ける聞き手には失望を与えるだろうが。
その後、南青山・ブルーノート東京に移動して、スライ・ストーン(2008年8月31日、2008年9月2日)とルーファス(2008年11月10日)のジョイント・ショウという、ありゃりゃ〜な出し物を見に行く。なんでも、それはルーファスを率いるトニー・メイデンが誘ったところ、実は前回の来日公演で親日/親ブルーノートになったスライ・ストーンが快諾したらしい。
セカンド・ショウ。10分でも、御大の姿を見られればいいと思って嬉々として行った。だって、自分の名前を冠してやった公演でも、バンドが延々演奏するなか出てきてステージ上にいたのは10分と少しだった御仁なのだから。でも、そうした綻び/ダメさも含めて、あのザ・ビートルズと比肩すべき音楽的大偉業をやった人ならではの闇の部分を感じさせられ、深く頷き、こんな変人=天才を同時代に受けとることができたありがたさに、ぼくは震えてしまうのだ。ファンならではの贔屓がそこにないとは言わないが、スライのやったことの人間離れ具合を認知できているのなら、それは極めてまっとうな見解だとぼくは思うが。
そしたら、時間はやはり短かったけど、前回見せたのとは違うスライがいて、ぼくはぶっとんだ!
ま、まずはステージングの流れに従って、ルーファスのことから。今回のルーファスは、ギターと歌のメイデン(ピックを使わずすべて指で弾くギター演奏は素敵だァ)に加え、キーボード3、ベース、ドラム、女性ヴォーカル5、トランペットとアルト・サックスという布陣。演奏陣については、サポート・ギターと打楽器がいなくなり、ホーン隊がついた形となっているが、それはスライ曲をやることを念頭においての変化もあるのだろう。バンド音は良好、若い白人の二管も悪くない。ヴォーカル陣は3人から5人に増大。前回同様にメイデンの娘もいるが、一番小柄なシンガーはなんと、かつてルーファスで歌っていたチャカ・カーン(2008年6月5日、他)の娘だとういう。基本、おなじみのルーファス曲をリード・シンガーが次々に交代して披露されるわけだが、スティーヴィ・ワンダーがルーファスに74年に送った「テル・ミー・サムシング・グッド」を娘のインディラ・ミリニ・カーンが歌ったときにはなんか妙な感慨がもぞもぞ。そりゃ、母からみれば赤子だが、なんか透かし絵的に若い日の母の像が浮かんでくるような気がして。なんか、音楽ファンでしか得られないだろう、贅沢なトリップ感覚を得ちゃった。シンガー陣はみな歌える(故リック・ジェイムズに気に入られ、モータウンから85年にリーダー作もだしたヴァル・ヤングもいた)が、彼女たちの歌を聞いていて感じたのは、背後霊の如くチャカ・カーンの歌が聞こえてくるような気がしたこと。「何を歌っても、私の歌にする自信がある」とカーンは取材時に言っていたことがあるが、まさに彼女はルーファス曲を自分の色に染めて、確固たる自分の歌として開いていたのだな。
ルーファスとしてのパフォーマンスを一時間強やったところで、メイデンの「ファンク、行くぞォ」みたいな一声とともに「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」を演奏しだす。そのリフに合わせて、女性シンガーたちは「スライ・ストーン、スライ・ストーン!」というかけ声をだす。けっこう、それが続いたあと、スライは出てきたわけだが、まず格好におお。今回はもっとキンキラでステージ衣装みたいなのを着ている。イカれたヘア・スタイルの髪の色は薄い紫。そして、前回のブルーノート公演のようにパーカーのフードで頭をおおったりもせず、堂々と彼は顔を出している。すごーく、表情がよくわかる。終始、嬉しそう! 彼がステージにあがると、「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」がはじまる(だったよな? 酔っぱらい、うかれているので……はっきり覚えてないところも)。立ちながらワイヤレス・マイクを横にして両手で持って歌い、途中で横に向いているローランドの少し小さめのキーボードの前にすわり歌い、加工ヴォイスと鍵盤フレイズが同化したような事を彼は聞かせる。おお。そんなこと、昨年はやっていない。そして、それを終えると、また立ち、動く。前回は多くはキーボードの前に座って歌ったり、所在なげにしていた彼だが、今回はずっと立っていた。逆に今回は、メインのキーボードとして置かれていたコーグのトリトンはぜんぜん弾かなかった(一回だけ、弾きかかったかもしれないが)。
そして、「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」が終わると、スライはなんとギター(テレキャスター)を手に取り、メイデンと一緒にギターを弾き始める。曲は、「サンキュー」だあ。ま、スライはすぐに弾くのをやめ、その後はギターを肩にかけたまま歌っていましたが。そのテレキャスターはピカピカ、もしかして日本で買った? 昨年は一切ギターを手にしなかったが、彼の全盛期のショウではギターを弾くことが多々あったはずで、弾かなくても、その絵だけで嬉しい。けっこう一部はシャウトしたりして、これも昨年とは違う。
「サンキュー」の終盤、スライがワイヤレス・マイクを手にステージを去り、エンディングをバンドが盛り上げ、本編は終了。そして、アンコールはまず「ファミリー・アフェア」。スライはその曲の途中に楽屋から出てきて、会場後方で歌っている。そして、ステージに上がると「ファミリー・アフェア」は終了し、「アイ・ウォント・トゥ・テイク・ユー・ハイヤー」が始まる。それ、二分ぐらいしか歌わない感じで、スライはステージを去っていく。もう帰るの、そんな顔をメイデンが一瞬したような気もしたが、絶頂感のあるなか、ショウは終了。ルーファスの頭からだと、1時間半ほどのパフォーマンス時間だった。
といった感じで、ところどころハラハラさせつつも、昨年見せていない様相をいろいろ見せて、彼が再生の道を歩んでいるのが実感できた。うれしすぎる。
その新作『ザ・フォール』(大きなシングル・ヒットもないのに全米3位まで入ったようだから、きっちり固定支持者がいるんだろう)はそれまでの人脈と大きく離れ(ボーイ・フレンドで、作曲のパートナーでもあったリー・アレクサンダーとも別れ)、ジャズ的残り香を払拭し、よりポップ・ロック側に踏み出す姿勢を見せたものだったが、かようにライヴは今の実像をしかと知らせるものだった。
歌とギターのサーシャ・ダブソン(2006年4月22日)、制作者としても活動するドラムのジョーイ・ワロンカー(チャーリー・ヘイデンの子供たちと仲良く、ベックとも関係の深い彼は、往年のワーナー系制作者であるレニー・ワロンカーの息子ね)、ベースのガス・サイファード、キーボードのジョン・カービーという、新作レコーディングに関与しているミュージシャンを伴ってのもの。彼(女)らに囲まれるようにジョーンズ(ミニ目のワンピースを着ていました)はのっけから数曲はギターを持って歌う。キーボードやアップライト・ピアノ(グランド・ピアノではない。当然、ソロも取らない)を弾きながら歌う曲もないではないが、ギターを手にするほうが多かったはず。という設定による実演は、抑制と含みを持つ超オトナなバッキング・サウンドとあいまって、エッジィな何かをはらむ、枯れまくったワビサビ・ロックとして結実する。途中、ギター3本だけで歌ったり、ダブソンとデュオでやったりも。ジョーンズは旅に出たとき気の置けない女友達が横にいるのを好むようで、かつてのダルー・オダ(2008年12月4日、他)役割を今はダブソンがやっているようだ。
十分に気配りがなされて風情があるショウであり、一人の人気ミュージシャンの自我の行方を伝える公演。ステージ美術/照明も通常公演のごとく練られていたし、わざわざ質の高いバンドも呼んでいるのだから、普通の公演を一回でもしたらいいのに。彼女なら、東京国際フォーラムのホールAでも出来るだろう。まあ、「ドント・ノウ・ホワイ」なるものを頑に求め続ける聞き手には失望を与えるだろうが。
その後、南青山・ブルーノート東京に移動して、スライ・ストーン(2008年8月31日、2008年9月2日)とルーファス(2008年11月10日)のジョイント・ショウという、ありゃりゃ〜な出し物を見に行く。なんでも、それはルーファスを率いるトニー・メイデンが誘ったところ、実は前回の来日公演で親日/親ブルーノートになったスライ・ストーンが快諾したらしい。
セカンド・ショウ。10分でも、御大の姿を見られればいいと思って嬉々として行った。だって、自分の名前を冠してやった公演でも、バンドが延々演奏するなか出てきてステージ上にいたのは10分と少しだった御仁なのだから。でも、そうした綻び/ダメさも含めて、あのザ・ビートルズと比肩すべき音楽的大偉業をやった人ならではの闇の部分を感じさせられ、深く頷き、こんな変人=天才を同時代に受けとることができたありがたさに、ぼくは震えてしまうのだ。ファンならではの贔屓がそこにないとは言わないが、スライのやったことの人間離れ具合を認知できているのなら、それは極めてまっとうな見解だとぼくは思うが。
そしたら、時間はやはり短かったけど、前回見せたのとは違うスライがいて、ぼくはぶっとんだ!
ま、まずはステージングの流れに従って、ルーファスのことから。今回のルーファスは、ギターと歌のメイデン(ピックを使わずすべて指で弾くギター演奏は素敵だァ)に加え、キーボード3、ベース、ドラム、女性ヴォーカル5、トランペットとアルト・サックスという布陣。演奏陣については、サポート・ギターと打楽器がいなくなり、ホーン隊がついた形となっているが、それはスライ曲をやることを念頭においての変化もあるのだろう。バンド音は良好、若い白人の二管も悪くない。ヴォーカル陣は3人から5人に増大。前回同様にメイデンの娘もいるが、一番小柄なシンガーはなんと、かつてルーファスで歌っていたチャカ・カーン(2008年6月5日、他)の娘だとういう。基本、おなじみのルーファス曲をリード・シンガーが次々に交代して披露されるわけだが、スティーヴィ・ワンダーがルーファスに74年に送った「テル・ミー・サムシング・グッド」を娘のインディラ・ミリニ・カーンが歌ったときにはなんか妙な感慨がもぞもぞ。そりゃ、母からみれば赤子だが、なんか透かし絵的に若い日の母の像が浮かんでくるような気がして。なんか、音楽ファンでしか得られないだろう、贅沢なトリップ感覚を得ちゃった。シンガー陣はみな歌える(故リック・ジェイムズに気に入られ、モータウンから85年にリーダー作もだしたヴァル・ヤングもいた)が、彼女たちの歌を聞いていて感じたのは、背後霊の如くチャカ・カーンの歌が聞こえてくるような気がしたこと。「何を歌っても、私の歌にする自信がある」とカーンは取材時に言っていたことがあるが、まさに彼女はルーファス曲を自分の色に染めて、確固たる自分の歌として開いていたのだな。
ルーファスとしてのパフォーマンスを一時間強やったところで、メイデンの「ファンク、行くぞォ」みたいな一声とともに「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」を演奏しだす。そのリフに合わせて、女性シンガーたちは「スライ・ストーン、スライ・ストーン!」というかけ声をだす。けっこう、それが続いたあと、スライは出てきたわけだが、まず格好におお。今回はもっとキンキラでステージ衣装みたいなのを着ている。イカれたヘア・スタイルの髪の色は薄い紫。そして、前回のブルーノート公演のようにパーカーのフードで頭をおおったりもせず、堂々と彼は顔を出している。すごーく、表情がよくわかる。終始、嬉しそう! 彼がステージにあがると、「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」がはじまる(だったよな? 酔っぱらい、うかれているので……はっきり覚えてないところも)。立ちながらワイヤレス・マイクを横にして両手で持って歌い、途中で横に向いているローランドの少し小さめのキーボードの前にすわり歌い、加工ヴォイスと鍵盤フレイズが同化したような事を彼は聞かせる。おお。そんなこと、昨年はやっていない。そして、それを終えると、また立ち、動く。前回は多くはキーボードの前に座って歌ったり、所在なげにしていた彼だが、今回はずっと立っていた。逆に今回は、メインのキーボードとして置かれていたコーグのトリトンはぜんぜん弾かなかった(一回だけ、弾きかかったかもしれないが)。
そして、「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」が終わると、スライはなんとギター(テレキャスター)を手に取り、メイデンと一緒にギターを弾き始める。曲は、「サンキュー」だあ。ま、スライはすぐに弾くのをやめ、その後はギターを肩にかけたまま歌っていましたが。そのテレキャスターはピカピカ、もしかして日本で買った? 昨年は一切ギターを手にしなかったが、彼の全盛期のショウではギターを弾くことが多々あったはずで、弾かなくても、その絵だけで嬉しい。けっこう一部はシャウトしたりして、これも昨年とは違う。
「サンキュー」の終盤、スライがワイヤレス・マイクを手にステージを去り、エンディングをバンドが盛り上げ、本編は終了。そして、アンコールはまず「ファミリー・アフェア」。スライはその曲の途中に楽屋から出てきて、会場後方で歌っている。そして、ステージに上がると「ファミリー・アフェア」は終了し、「アイ・ウォント・トゥ・テイク・ユー・ハイヤー」が始まる。それ、二分ぐらいしか歌わない感じで、スライはステージを去っていく。もう帰るの、そんな顔をメイデンが一瞬したような気もしたが、絶頂感のあるなか、ショウは終了。ルーファスの頭からだと、1時間半ほどのパフォーマンス時間だった。
といった感じで、ところどころハラハラさせつつも、昨年見せていない様相をいろいろ見せて、彼が再生の道を歩んでいるのが実感できた。うれしすぎる。
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