1枚のアルバムが重みを持つ寡作の音楽家がいる一方、ありあまる創造性をあますことなく表出せんと多作であろうとするアーティストもいる。故フランク・ザッパや一頃のプリンスなどは、その最たる例。そして、トランぺッターの田村夏樹とピアニストの藤井郷子の夫妻(1999年8月16日、2000年6月2日、2000年10月1日、2002年8月5日、2003年4月7日、2004年7月27日、2005年12月11日、2006年7月3日、2008年8月24日、2008年12月17日、他)も多作家ということにかけては、トップに挙げられる存在だろう。それは、二人が自由の音楽家としての特権を思うまま行使しようとする結果として、関与するプロジェクトの数が気が遠くなるほど多い(誇張してますが、生理的には本当にそう)ことと関係もしているわけだが。
新宿・ピットイン。年明け早々のこの日の出し物は、同時リリースとなる4プロジェクトの実演を一気に披露しようというもの。同ヴェニューの<昼の部>(ここは、昼の部と夜の部と、それぞれライヴが企画される)はなしで、大々的に4時からから10時まで。ふう。基本1時間やって、30分の休憩という設定。休憩時間がもう少し短めのほうが聞くほうにとっては楽だけど、ずっと出っぱなしの田村/藤井にとっては、次の単位にリフレッシュして臨むためには必要な幕間の長さなのだろう。
まず、4作目となる『シロ』(リブラ・レコーズ。2009年8月に東京で録音とミキシング、10月にNYでマスタリング)を出す、田村、アコーディオン専任の藤井、生ギターの津村和彦、ベースの是安克則という顔ぶれのガトー・リブレ(2005年2月10日)。田村/藤井にとっては“外し”のグループと言えるもので、素朴なメロディを柱におき、それを愛でるように楽器音をシンプルに重ねる。ときに発展を目指す局面はなくはないが、それは過剰なものではない。もう一つの歌心/ペーソス追求のユニット、ですね。そこはかとない、なんちゃってエスノ情緒もあり。田村の吹き口は優しく、子守唄のごとし。ただ、いろんな音楽ジャンルを聞いているぼくには、提出するメロディにもっと輝きを求めたくなるが。ともあれ、普段は“左の即興道”を突き進む両者にとっては新鮮な行き方であり、それが他の活動に跳ね返るりもするのはよく分かる。事実、これ以後の演奏の様との落差は人間って面白いなと思わされ、非常に愉快だった。
次は、第一作『カット・ザ・ロープ』(リブラ。録音などすべて、09年7月に東京で)を出す、ノイズ・インプロ・バンドのファースト・ミーティング。田村、藤井、在日カナダ人ギター奏者のケリー・チュルコ(2008年12月17日)、ドラマーの山本達彦(2008年1月30日)というのが構成員。そして、この日はさらに最初から最後まで米国西海岸をベースとする視野の広いインプロ系ギタリストで近年はウィルコ(2003年2月9日)にも参加しているネルス・クラインも加わる。体形も頭髪も老化していない長身のクラインは56年生まれのようだが若く見え、ステージ中央に堂々位置し、なんか彼が中心となるユニットのようにも思えた? 完全即興による山あり谷ありの丁々発止、いろんな刺激と示唆を孕む手癖が繰り出される。そう、フリー・ジャズ/インプロものって乱暴に書いてしまえば思いつきと手癖の世界、だが、それを興味深く聞かせきるかどうかはそのアーティストの資質次第。実はこの手のものほど、人間性のようなものが価値を決める表現もないのではないのか、な〜んて笑顔で演奏に触れながらふと思う。お母さんが藤井と同じ年頃だという山本の繰り出すアクセントにはただ聞いているぼくも確かな鼓舞を受けた。ミニットメンやファイアーホース他での活動でも知られる米国西海岸オルタナ・ロック界の重鎮マイク・ワットとも付き合いを持つクラインは田村夫妻と欧州のフェスでよく顔を合わせるんだそう。
3番目は、2作目『Desert Ship』(Not Two。ポーランドのクラクフで09年7月に録音、同じく11月にミックスとマスタリング)を出す、田村、藤井、是安、ドラムの堀越彰からなるカルテットの藤井郷子ma-do。発売元のノット・トゥーはポーランドのレーベルだ。CDリリース数だけでなく、海外楽旅のスケジュールも驚異的に混んでいる二人は昨年だけでも3度ポーランドを訪れているのだという。その日本流通盤には夫妻のライナーノーツが新たに添付されていて、それを読むと、クラクフのカフェにはやたら可愛い女性が多いのだとか。それを知り、ぼくはとってもポーランドに行きたくなった。親日の国だそうで、モテるかな? 話は飛んだが、書かれた素材を基に自在に飛翔する、正義のジャズを鋭意展開。なお、『Desert Ship』はあっと驚くぐらい、このカルテットが抱えた醍醐味や可能性を巧みに盤に押し込んでいて、びっくり。この日の実演よりいい、と書くと語弊があるかもしれないが、濡れてて重厚な風情が野心と表裏一体の関係で横たわっており、コンテンポラリーさも色濃く出ているなど、おおいに感服させられる。それ、ポーランドという風土/関与者がなんらかの+をもたらしているだろうか。
最後は、米国から帰国後(97年〜)の藤井が一番長く維持しているユニットである藤井郷子オーケストラ東京(12年つづいているよう)。新作『ザコバネ』(リブラ。録音とミキシングは09年9月に東京。マスタリングは10月にNYで)はその4作目となり(ギタリストが入って初)、その他のオーケストラNY、オーケストラ名古屋、オーケストラ神戸も含めると、15作目のビッグ・バンド作品となるようだ。サックス5人、トランペット4、トロンボーン3、ギター、ベース、ドラム、そして指揮の藤井という全16人によるパフォーマンス。かつて同オーケストラ公演(2006年7月3日)のMCで藤井は自分の役割を猛獣使いのようと言っていたと記憶するが、まさしくそう。確かな骨組みと筋道(作曲と編曲)を与えて猛者どもを自由に振る舞わせている様は。で、それに触れていると、オーケストラ東京のアルバムとライヴは別ものだと言いたくなったりも。だって、ライヴだとお互いを信頼しあう構成員たちがこんなに楽しいプレイグラウンドはないという感じでおおいにはしゃぎ、創造性に則って自己を溌剌と解き放っているのが分かるから。その様は本当に歓びに満ちた音楽創造の場という感じで、えも言われぬ気持ちを得てしまうのだ。豊穣にして、高潔なこのファミリーに幸あれ! 見ていて、カーラ・ブレイ(1999年4月3日、2000年3月25日)が歳とともにボケ気味になっている現在、藤井の存在はますます頼もしく思えるなあ。この晩はハネもの中心にやった感じもあり(生の場だと、よち“立ち”度数が高くなる?)、非ジャズの聞き手へ大きく手を広げているようにも感じた。なお、この18日にはディスクユニオンの新宿ジャズ館で、フルのオーケストラ・メンバーでインストア・ライヴをやるのだという! あのスペースに入るのかあというのはともかく、何からなにまで定石はずし。藤井たちの音楽行為者としての正のヴェクトルには頷かされっぱなしで、恐れ入る。行動は美徳なり、なのだ!
新宿・ピットイン。年明け早々のこの日の出し物は、同時リリースとなる4プロジェクトの実演を一気に披露しようというもの。同ヴェニューの<昼の部>(ここは、昼の部と夜の部と、それぞれライヴが企画される)はなしで、大々的に4時からから10時まで。ふう。基本1時間やって、30分の休憩という設定。休憩時間がもう少し短めのほうが聞くほうにとっては楽だけど、ずっと出っぱなしの田村/藤井にとっては、次の単位にリフレッシュして臨むためには必要な幕間の長さなのだろう。
まず、4作目となる『シロ』(リブラ・レコーズ。2009年8月に東京で録音とミキシング、10月にNYでマスタリング)を出す、田村、アコーディオン専任の藤井、生ギターの津村和彦、ベースの是安克則という顔ぶれのガトー・リブレ(2005年2月10日)。田村/藤井にとっては“外し”のグループと言えるもので、素朴なメロディを柱におき、それを愛でるように楽器音をシンプルに重ねる。ときに発展を目指す局面はなくはないが、それは過剰なものではない。もう一つの歌心/ペーソス追求のユニット、ですね。そこはかとない、なんちゃってエスノ情緒もあり。田村の吹き口は優しく、子守唄のごとし。ただ、いろんな音楽ジャンルを聞いているぼくには、提出するメロディにもっと輝きを求めたくなるが。ともあれ、普段は“左の即興道”を突き進む両者にとっては新鮮な行き方であり、それが他の活動に跳ね返るりもするのはよく分かる。事実、これ以後の演奏の様との落差は人間って面白いなと思わされ、非常に愉快だった。
次は、第一作『カット・ザ・ロープ』(リブラ。録音などすべて、09年7月に東京で)を出す、ノイズ・インプロ・バンドのファースト・ミーティング。田村、藤井、在日カナダ人ギター奏者のケリー・チュルコ(2008年12月17日)、ドラマーの山本達彦(2008年1月30日)というのが構成員。そして、この日はさらに最初から最後まで米国西海岸をベースとする視野の広いインプロ系ギタリストで近年はウィルコ(2003年2月9日)にも参加しているネルス・クラインも加わる。体形も頭髪も老化していない長身のクラインは56年生まれのようだが若く見え、ステージ中央に堂々位置し、なんか彼が中心となるユニットのようにも思えた? 完全即興による山あり谷ありの丁々発止、いろんな刺激と示唆を孕む手癖が繰り出される。そう、フリー・ジャズ/インプロものって乱暴に書いてしまえば思いつきと手癖の世界、だが、それを興味深く聞かせきるかどうかはそのアーティストの資質次第。実はこの手のものほど、人間性のようなものが価値を決める表現もないのではないのか、な〜んて笑顔で演奏に触れながらふと思う。お母さんが藤井と同じ年頃だという山本の繰り出すアクセントにはただ聞いているぼくも確かな鼓舞を受けた。ミニットメンやファイアーホース他での活動でも知られる米国西海岸オルタナ・ロック界の重鎮マイク・ワットとも付き合いを持つクラインは田村夫妻と欧州のフェスでよく顔を合わせるんだそう。
3番目は、2作目『Desert Ship』(Not Two。ポーランドのクラクフで09年7月に録音、同じく11月にミックスとマスタリング)を出す、田村、藤井、是安、ドラムの堀越彰からなるカルテットの藤井郷子ma-do。発売元のノット・トゥーはポーランドのレーベルだ。CDリリース数だけでなく、海外楽旅のスケジュールも驚異的に混んでいる二人は昨年だけでも3度ポーランドを訪れているのだという。その日本流通盤には夫妻のライナーノーツが新たに添付されていて、それを読むと、クラクフのカフェにはやたら可愛い女性が多いのだとか。それを知り、ぼくはとってもポーランドに行きたくなった。親日の国だそうで、モテるかな? 話は飛んだが、書かれた素材を基に自在に飛翔する、正義のジャズを鋭意展開。なお、『Desert Ship』はあっと驚くぐらい、このカルテットが抱えた醍醐味や可能性を巧みに盤に押し込んでいて、びっくり。この日の実演よりいい、と書くと語弊があるかもしれないが、濡れてて重厚な風情が野心と表裏一体の関係で横たわっており、コンテンポラリーさも色濃く出ているなど、おおいに感服させられる。それ、ポーランドという風土/関与者がなんらかの+をもたらしているだろうか。
最後は、米国から帰国後(97年〜)の藤井が一番長く維持しているユニットである藤井郷子オーケストラ東京(12年つづいているよう)。新作『ザコバネ』(リブラ。録音とミキシングは09年9月に東京。マスタリングは10月にNYで)はその4作目となり(ギタリストが入って初)、その他のオーケストラNY、オーケストラ名古屋、オーケストラ神戸も含めると、15作目のビッグ・バンド作品となるようだ。サックス5人、トランペット4、トロンボーン3、ギター、ベース、ドラム、そして指揮の藤井という全16人によるパフォーマンス。かつて同オーケストラ公演(2006年7月3日)のMCで藤井は自分の役割を猛獣使いのようと言っていたと記憶するが、まさしくそう。確かな骨組みと筋道(作曲と編曲)を与えて猛者どもを自由に振る舞わせている様は。で、それに触れていると、オーケストラ東京のアルバムとライヴは別ものだと言いたくなったりも。だって、ライヴだとお互いを信頼しあう構成員たちがこんなに楽しいプレイグラウンドはないという感じでおおいにはしゃぎ、創造性に則って自己を溌剌と解き放っているのが分かるから。その様は本当に歓びに満ちた音楽創造の場という感じで、えも言われぬ気持ちを得てしまうのだ。豊穣にして、高潔なこのファミリーに幸あれ! 見ていて、カーラ・ブレイ(1999年4月3日、2000年3月25日)が歳とともにボケ気味になっている現在、藤井の存在はますます頼もしく思えるなあ。この晩はハネもの中心にやった感じもあり(生の場だと、よち“立ち”度数が高くなる?)、非ジャズの聞き手へ大きく手を広げているようにも感じた。なお、この18日にはディスクユニオンの新宿ジャズ館で、フルのオーケストラ・メンバーでインストア・ライヴをやるのだという! あのスペースに入るのかあというのはともかく、何からなにまで定石はずし。藤井たちの音楽行為者としての正のヴェクトルには頷かされっぱなしで、恐れ入る。行動は美徳なり、なのだ!
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