この日は、忘年会→ライヴという順序にて、私の夜は更けていく。南青山・プラッサオンゼ。
<Feliz Natal>〜ポルトガル語でメリー・クリスマスの意味だという〜と題された出し物で、ディレクションをするTOYON0(2009年9月26日、他)を中心に月路奏、Nobie、yuki、4人の女性ヴォーカリストがフロントに立つ。皆さん、黒系の服でシックにまとめていましたね。そして、ギター、キーボード、打楽器がサポート。取り上げるのは広義のクリスマス・ソングで、それらをどこかにブラジリアン・テイストを通しつつ、フレッシュにして柔らかい女性コーラスで紡いでいくという趣向のパフォーマンス。会場内には、いつも以上にファミリアな気分が流れる。この晩のショウのためにすべては用意されたもののようで、プレミアムね。
見ていてどんどんいい気持ちになってきて、ビールを2杯飲んだ後、ブラジル産のワイン(アルゼンチン寄りで作られるらしい)があるというので、開ける。ほわーんと真夏のクリスマスに思いをはせる。ブラジルのサンタクロースも冬っぽい格好をしているのかなあとか、誘う女性声群に触れつつ、いろんな夢想に走りました。もし、多くの大陸や人口が南半球に集中していたら、地球の価値観はどう違っていたろうか。無宗教でキリスト教との親和性は持たないが(なぜか、小川町周辺でぼくが牧師の息子だというガセねたが出たことがあったなー)、クリスマスにはいい思い出がいっぱいで、ほんわかした気持ちになれる。と、書くとモテた奴のようだが、それは主に小僧だったころの思い出に依る。
ぼくにとってクリスマス(・イヴ)というのは、いろんなうれしいことの最たる代名詞のようなものだったのだ。2学期が終了し冬休みに突入、これから当分お休みだァという開放感とともに、クリスマス・プレゼントを買ってもらい、その晩にはケーキをはじめ、いろんなものが食卓にのる……。ツリーを置きたいとねだって、飾り付けとかしたのもいい記憶としてあるし、なんかきらきらしたイメージで一杯だな。そんなぼくは、小学校低学年のころにはサンタクロースにまつわる話はおかしいんじゃいかと思うようになり、半信半疑ながら母親にサンタさんは本当はいないんでしょと訊ねたことがあった。彼女が少しとまどいつつ肯定するのを聞いて、サンタの存在をしっかり信じていた姉は泣き出しちゃったんだよな。そのとき、実は平静を装いつつ、ぼくは子供心にパンドラの箱を開けちゃったなーみたいな(そのころはパンドラの箱なんて言葉、知りませんでしたが)寂寥感にとらわれたのをとてもよく覚えている。そんなビターな思い出込みで、ぼくにとってクリスマスは新しい世界/未知のものへの好奇心の“扉”のようなものだったのではないか。
年が明けると、真夏のオセアニアの公演の行き帰りのアクトの公演が多くなるなあ。
古い知人とも会い杯を重ねたりして、けっこう酔っぱらっちゃったナリ。夜半、帰りにタクシーに乗ったら、「お客さん、忘年会は今日がピークなんですってね」と言われる。現実に引き戻される←嘘。あれれ、数年前にも同じ台詞を年末にタクシーに乗ってかけられたような。帰宅したらそんなに眠くない気もしたので、雑誌原稿を書くことになっている、モンティ・パイソン出身のテリー・ギリアムの新しい映画「Dr.パルナサスの鏡」を見はじめたが、起きたら昼間。映画のなかの博士がサンタクロースの格好していて、ぼくと一緒に不思議世界を徘徊する夢を見ちゃった……。うー、師走。
<Feliz Natal>〜ポルトガル語でメリー・クリスマスの意味だという〜と題された出し物で、ディレクションをするTOYON0(2009年9月26日、他)を中心に月路奏、Nobie、yuki、4人の女性ヴォーカリストがフロントに立つ。皆さん、黒系の服でシックにまとめていましたね。そして、ギター、キーボード、打楽器がサポート。取り上げるのは広義のクリスマス・ソングで、それらをどこかにブラジリアン・テイストを通しつつ、フレッシュにして柔らかい女性コーラスで紡いでいくという趣向のパフォーマンス。会場内には、いつも以上にファミリアな気分が流れる。この晩のショウのためにすべては用意されたもののようで、プレミアムね。
見ていてどんどんいい気持ちになってきて、ビールを2杯飲んだ後、ブラジル産のワイン(アルゼンチン寄りで作られるらしい)があるというので、開ける。ほわーんと真夏のクリスマスに思いをはせる。ブラジルのサンタクロースも冬っぽい格好をしているのかなあとか、誘う女性声群に触れつつ、いろんな夢想に走りました。もし、多くの大陸や人口が南半球に集中していたら、地球の価値観はどう違っていたろうか。無宗教でキリスト教との親和性は持たないが(なぜか、小川町周辺でぼくが牧師の息子だというガセねたが出たことがあったなー)、クリスマスにはいい思い出がいっぱいで、ほんわかした気持ちになれる。と、書くとモテた奴のようだが、それは主に小僧だったころの思い出に依る。
ぼくにとってクリスマス(・イヴ)というのは、いろんなうれしいことの最たる代名詞のようなものだったのだ。2学期が終了し冬休みに突入、これから当分お休みだァという開放感とともに、クリスマス・プレゼントを買ってもらい、その晩にはケーキをはじめ、いろんなものが食卓にのる……。ツリーを置きたいとねだって、飾り付けとかしたのもいい記憶としてあるし、なんかきらきらしたイメージで一杯だな。そんなぼくは、小学校低学年のころにはサンタクロースにまつわる話はおかしいんじゃいかと思うようになり、半信半疑ながら母親にサンタさんは本当はいないんでしょと訊ねたことがあった。彼女が少しとまどいつつ肯定するのを聞いて、サンタの存在をしっかり信じていた姉は泣き出しちゃったんだよな。そのとき、実は平静を装いつつ、ぼくは子供心にパンドラの箱を開けちゃったなーみたいな(そのころはパンドラの箱なんて言葉、知りませんでしたが)寂寥感にとらわれたのをとてもよく覚えている。そんなビターな思い出込みで、ぼくにとってクリスマスは新しい世界/未知のものへの好奇心の“扉”のようなものだったのではないか。
年が明けると、真夏のオセアニアの公演の行き帰りのアクトの公演が多くなるなあ。
古い知人とも会い杯を重ねたりして、けっこう酔っぱらっちゃったナリ。夜半、帰りにタクシーに乗ったら、「お客さん、忘年会は今日がピークなんですってね」と言われる。現実に引き戻される←嘘。あれれ、数年前にも同じ台詞を年末にタクシーに乗ってかけられたような。帰宅したらそんなに眠くない気もしたので、雑誌原稿を書くことになっている、モンティ・パイソン出身のテリー・ギリアムの新しい映画「Dr.パルナサスの鏡」を見はじめたが、起きたら昼間。映画のなかの博士がサンタクロースの格好していて、ぼくと一緒に不思議世界を徘徊する夢を見ちゃった……。うー、師走。
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