秀でた楽器技巧を“魔法の物差し”とし、米国ルーツ音楽を好奇心たっぷりに探り、その興味が年齢とともにどんどん広がり、独自の私の考えるワールド・ミュージックなるものを飄々と40年も作り続けている米国人特殊ギタリスト←←ライ・クーダー。パブ・ロックの名バンドであるプリンズリー・シュウォーツ(ザ・バンドのフォロワーでもありましたね)のベーシスト/シンガーであり、パンク/ニュー・ウェイヴ期にはプロデューサーとして同シーンの広がりに寄与した事もあった、滋味ありUK自作自演派←←ニック・ロウ(2002年11月8日)。という、二人の双頭公演。なんでも、昨年に二人はフェスだかチャリティ・イヴェントだかそーいうので一緒にやったのがきっかけで、この夏に欧州で共同のショウをやるようになったという。二人は、ジョン・ハイアットとジム・ケルトナーとともにリトル・ヴィレッジというバンドを90年ごろに組んだこともありましたね。

 水道橋・JCBホール。当然のごとく、ずっと聞いていますよという感じの、年齢高めのお客さんだらけ。だが、二人はすぐには登場せずに、最初にパフォーマンスしたのはライ・クーダーの義理の娘のジュリエットさん(ラスト・ネームはCommagere。読めん)。映画『ブエナ・ヴィスタ・ソーシャル・クラブ』にも出ていた、ドラムをやっているクーダーの息子のヨアキムの嫁ですね。なんでもヨアキムとジュリエットは高校時代からの付き合いのようで、彼女はクーダー親子が参加しているリーダー作を昨年リリースしている。とともに、彼女はミレニアム以降(ようは、ノンサッチと契約してから)のライ・クーダー作品にもヴォーカルで入っている。と、思ったら、そのオープナーはライ・クーダーの05年作『チャヴェス・ラヴィーン』に入っていた茫洋ポップ曲「エイ・U.F.O.カヨ」。その曲にジュリエットは作曲関与していますね。

 ときにキーボードや5弦マンドリンを弾きながら歌う彼女に加え、ドラム(当然、ヨアキムですね)、電気ベース、ギター、女性コーラス/キーボードという布陣で、6曲演奏。なんか捉えどころのない、アメリカ人のもう一つの、視野の広いアダルトなポップ・ロックと説明したくなるものを淡々と披露。やっぱり、アメリカ人は演奏がうまい(とくに、ベーシストには感心)と思わせられたりも。彼女、ゴスとメイド服が混ざったような格好をしていたな。

 休憩のあとに、ライ・クーダー、ニック・ロウ、ヨアキム・クーダーのトリオによる主役アクトのパフォーマンスが始まる。歌はそれぞれの持ち歌+αを交互に取る感じで(少しクーダーが歌うほうが多いか)、2、3曲でロウは生ギターを手にする(その際は、ベースレスによる)。彼、ベースは親指にサム・ピックをつけて、それで弾いていたな。一方のクーダーは殆ど電気ギターを手にし(いろいろ、持ち替えてはいた。何本のギターを持っていたのか)、3分の2ぐらいではスライド・バーを小指につけての演奏だったか。そのため、基本ロックぽい曲(スライド・ギターが効いているときは、リトル・フィートを想起させられたりも)が主に披露され、生理的に込みいった異国情緒曲はあまりやらず。それ、古いロック・ファンなら歓迎の行き方であったか。なお、やはり3分の2ぐらいでは前座に出ていた二人の女性がかなりいい感じでコーラスをつける。その際、ジュリエット嬢は着替えていた。

 鷹揚に、くつろぎつつ。余裕と、渋さと、まだまだ若いぞというほんの少しの突っ張りと。けっこうぷっくりしたライ・クーダーはまだ60歳少しだそうだが、70歳近いように見えた。でも、妙味はいっぱい、ギターも雄弁で、やはり上手いなあと思わずにはいられない。歌もあんなに芝居気たっぷり(言い方を変えれば、ユーモアがある)だったけと思わせられたか。昔は笑みをたたえつつももっとストイックな感じもあったと思うが、いまはサバけた感じが前面に出ている。いろんな良い技と流儀と、彼らだけの味。ぼく、個人の見解としてはそんなにこの米と英の熟達さんは音楽性が合うとは思っていないのだが、ぜんぜん違和感もなく、それぞれの味を出し、それらがちゃんと一つのものとして繋がっているのにはへえ。なるほど、二人は本当に仲がいいと思わせられるとともに、ヴェテランの熟達したミュージシャンシップを感じずにはいられませんね。満足ぢゃ。見る人によって意見が別れる場合は多々あると思うが、今コンサートはかなりの度合いで見た後の観客の見解が重なるのではないだろうか。彼らは90分ほど、実演する。

 そして、即タクシーに飛び乗ったものの、当然次のライヴには遅刻。南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)でジョー・サンプルを見る。彼の曲説明、長え。ぼくの知っている外国人アーティストのなかでもトップの部類か。ライ・クーダーも曲によっては少しウィットに富んだ曲説明(というか、曲のマクラとなるお話)を長めにしていたな。

 ザ・クルセイダーズ(2005年3月8日)のキーボード奏者のトリオ名義の公演は近年ザ・クルセイダーズに加わっている息子のニック・サンプル、そしてなんとニューオーリンズの名ドラマーであるジョニー・ヴィダコヴィッチ(2007 年2月4日)とのもの。ジョー・サンプルはグランド・ピアノのみを弾き、電気ベース奏者というイメージのあるニック・サンプルも全曲アコースティック・ベースを弾く。という指針に表れているように、私の考える、くだけたジャズ・ピアノ・トリオを求めたショウを披露したと言えるか。

 実は今回はサンプル目当てではなく、神経質でコワそうな顔をしたヴィダコヴィッチの演奏に触れたくて行った。この知る人ぞ知る名手の来日はザ・ミーターズの「シシィ・ストラト」をカヴァーしていたころ(80年代末)のジョン・スコフィールド(2009年9月5日、他)・バンド以来かと思ったら、近年のジョー・サンプルとランディ・クロフォードの双頭公演のときも同行しているのだとか。

 実は1年半前ぐらいだったか、ヴィダコヴィッチの弟子であるギャラクティック(2007年12月11日、他)のスタントン・ムーアが自分のウェッブサイトで、かつてはレッスンを受けるために通ったヴィダコヴィッチの自宅が大幅改修を必要としていて、その費用にあてる寄付を呼びかけたことがあった。ヴィダコヴィッチは右手親指関節炎を患っており、今は治癒に向けて演奏しないでほしいとの希望もムーアはそこで表明していた……のだが。ともあれ、傍目には彼が休んでいた感じはあまりなかったし、ここでもフツーに演奏しているように思えた。だが、残念ながら、グルーヴィな曲はやらず。ヴィダコヴィッチたる(ぼくが考える)妙味はあまり出されていなかった。残念。

 考えてみれば、まったくの偶然だが、この晩は名のあるオヤジがそれほどは名のない息子(関わるプロジェクトは多くは父親絡みのものとなる)を伴う公演を二つ続けて見たことになるのだな。深夜、家に戻り、酔っぱらいつつザ・クルセイダーズの74年作『スクラッチ』を探して(よく、すぐに出てきたな)回す。その表題曲は、ぼくのなかでNo.1ファンキーなエレピ・リフ/ファンキー・インスト曲として燦然と輝いている曲で、それをヴィダコヴィッチのサポートで聞きたかったのだが。実は黄金期ザ・クルセイダーズにおいて(ぼくが笑顔になれるザ・クルセイダーズは70年代中期まで。以降は、甘すぎて心から楽しめない)、ファンクネスを抱えた好曲を書いていたのはドラマーのスティックス・フーパー(リーダーでもあった)とトロンボーン奏者のウエイン・ヘンダーソン(2008年7月10日)で、ジョー・サンプルはなんか退屈な曲ばかり提供していてザ・クルセイダーズ作品の質を低めていたという印象がぼくにはある。ながら、ザ・クルセイダーズのなかでぼくが一番好きな「スクラッチ」はサンプルの作曲ということでぼくは一目置いていたのだが、改めてその作曲クレジットを見たらなんとウエイン・ヘンダーソン作ではないか。ありゃあ。……間違って記憶していることはもっともっとあるんだろうなー。シュンっ。で、今後は歳とともに新たな曲解事項が増えて行くのかも。ガクっ。

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