東京JAZZ 2009

2009年9月5日 音楽
 同じく、有楽町・東京国際フォーラム・ホールA。この日は昼の部と夜の部があって、両方を見る。

 昼のトップ登場者はインターナショナルな知名度を持つドラマーの神保彰。大掛かりなドラム・キットを手数の多い演奏のもと余裕で扱いつつ(プリセット音も自分でコントロールして使っているのにはびっくり。ドラムだけのサウンド構築には飽きているということか。ぼくは、ここでの使い方なら用いない方が美しいとは思うけど)、自作曲をLAのミュージシャン(ベースのエイブ・ラボリエルと鍵盤のオトマロ・ルイーズ、ギターのリー・リトナー)と奏でる。じじむさくなったリトナー(2005年6月20日)のニヤけた笑顔を見て、憎めない日本での逸話を彼はいろいろ持っている事を思い出した。例えば、斑尾のジャズ・フェスのときに接した通訳の女性(のちにタレントとして名をなす)に恥も外聞もなく思いっきり熱をあげて関係者の間でさらし者状態になったことがあったり、ツアーで札幌に行った際にすすき野のお湯を使う施設に行き、そこのサーヴィスの女性にミュージシャンをしているんだよと伝えたらサインを求められたので解りやすい字でパット・メセニーと書いたり。後の話は生真面目なメセニーのファンだったら怒りを覚えるかもしれないが、こういう崩れた諧謔の感覚は古いバンド・マンならではものではないだろうか。とまれ、音楽同様にソツのない、神保の好青年的溌剌MCにはなるほどと感じる。彼はたぶん音楽の道に進んでいなくてもちゃんとエリートぽい感じで実のある位置に立てた人だろう。でも、そんな人であっても、魔法を感じて音楽/演奏の道に進んでしまう……。オー・ヤー。

 続いての出し物は、ジョン・スコフィールド(2007 年5月10日、2008年10月8日、他)がニューオーリンズ系奏者と古いゴスペル系曲を中心にやる“ザ・パイティ・ストリート・バンド”プロジェクトで、歌と鍵盤のジョン・クリアリー(2007年4月6日、2008年10月15日、他)、ウッド・ベースのローランド・ゲリン、ドラムのシャノン・パウエルという同地在住の敏腕奏者を従えてのもの。昨年に米国を回ったツアーのときとはリズム・セクションが入れ替えられているが(そのときは、ザ・ミーターズのジョージ・ポーターJr. とザ・ビーチ・ボーイズやザ・ラトルズに関与したことがあるリッキー・ファター)、渋みや重量感はこちらのほうが上のような気がする。ほぼ、新作『パイティ・ストリート』(ヴァーヴ)のノリを踏襲するもので(→だから、クリアリーはけっこうリード・ヴォーカルを取る)、スリルは別になかったがうれしい味にはにんまり。

 3番目は東京スカパラダイスオーケストラ(2009年5月30日、他)。おお、ピンクのスーツに身を固めていて鮮やか。へえ、ヴォーカル曲の場合はみんなで烏合の衆的に歌うんだな。与えられた時間のなかで、毎度の自分たちをきっちり出しましょうというプロのパフォーマンス。エルヴィス・コステロのような(2009年8月8日参照)、フェスならではのツっぱった破れ方を彼らに望むのはあやまりか。

 そして、この日の目玉となるP-ファンク(ファンカデリック/パーラメント)の統帥ジョージ・クリントン(2002年7月28日)。昨年のスライ・ストーンに続く同フェスの<リアル・ファンク枠>出演? ずっと行方知れず&初来日というトピックあり過ぎだったスライのときは会場に異様な空気が山ほど渦巻いていたが、何度も来日しているクリントン翁の場合はそれほどでもないか。それでも、昼の部はクリントン軍団見たさで来た人が一番多かったんじゃないかとは思うけど。

 時間になり、ぞろぞろとイカれた風情/格好の黒人たちが出てきて、ファンカデリックの初期有名曲「コズミック・スロップ」が始まる。終わるごろには、無駄に多いギタリスト(5人ぐらいいた?)をはじめ、ヴォーカル隊や盛り上げ役を含め20人近くはステージにいたかな。もちろん、おむつ野郎のゲイリー・シャイダーやウェディング・ドレスを着たアンドレ・フォックスもいた。もうのっけからもわもわ出ている“まがいモノ感覚”にドン引きしているオーディエンスがあちこち散見され、とても愉快(じきに、けっこう席を立った)。誰が来るのかなあと思っていたが、ベースのライジ・カリーとか、歌のP-ナット・ジョンソンとかヴェリータ・ウッズとかおなじみの人たちも来ていたようだ。

 2曲目以降はクリントンも出てきて、かけ声や持ち上げ役をやる。まあ、基本的には無駄にうだうだいるわけで、それがうれしくも意義アリ……って、P-ファンク嫌いの人にはワケが解らんだろうけど。ホーン隊がいないせいもあり、より直線的というかロッキッシュな側面が強調されもするわけだが、なんにせよ馬鹿馬鹿しいファンクの美学のオンパレード。「アップ・フォー・ザ・ダウンストローク」「P-ファンク(ウォンツ・トゥ・ゲット・ファンクト・アップ)」「フラッシュライト」、クリントン名義の「アトミック・ドッグ」とか有名曲を乱暴に連発、パフォーマンス時間は60分強だった。ホーン・セクションがいないぶんキーボードの重要性が増すわけだが、鍵盤は近年P-ファンクのツアーに関与しているダニー・ベンドロジアムという白人奏者が孤軍奮闘。もともとP−ファンクのフリークで、リーダー作も出している御仁らしい。ヤマハのモティーフをあんなにファンキーに弾けちゃうとは素晴らしい。

 しっかし、きったねえじじいのオムツ着用の裸姿がずっとステージ上に存在したり、コカイン礼参の“サー・ノウズ”(70年代の、象のような鼻をつけたクリントンの姿はそう名付けられ、キャラクターとして浸透した。クリントンはコカイン大好きなくせに頭がぼけずにいる驚異の人間としても有名。ずっと人間やめざるを得なかったのがスライですね)と書かれた紙をメンバーが持ったり、ダンサーがつけ鼻をして踊ったりしたりして、その模様をNHKは本当にTV放映できるのだろうか(後に、その予定があるはず)。そう思わせたということはやはり彼らは健闘、ファンクであることを見事遂行していたのではないか。

 ブルース・インターアクションズから近々出るスライ・ストーンの伝記本「スライ&ザ・ファミリー・ストーンの伝説 人生はサーカス」(ジェフ・カリス著)には、スライ自身とクリントンによる前書きが載せられている!

 エアコンが利いていた会場内に寒さをけっこう感じ(咳もときどき出たな)、昼の部が終わったあと、近くの無印良品で長袖のシャツを購入。そしたら、翌日の項に書いてあるとおり。

 夜の部はメロディ・ガルドー(2009年4月13日)や上原ひろみ(2009年9月4日、他)を見る。前者は、余裕にして、自分の立ち位置や持ち味をきっちりと自覚してのパフォーマンス。このメロウさなのにまだ25歳前というのは驚異的、でもときにお茶目さが透けて見えるところもあるかな。上原の完全ソロのパフォーマンスは新作に入っていたツアー中世界のいろんな所で書いたというオリジナルを1曲以外演奏。人間的な情緒に忠実におそろしく踊る指、そしてそこから浮きあがるフレイズは立ちまくる! すげえ、この人は選ばれていると生ピアノ演奏を聞くと思わずにはいられず(電気ベースを擁する電気キーボード表現の場合は別。また、曲作りは精進の余地あり)。昨日の演奏とどっちを取ると言われたら、矢野顕子という常軌を逸した触媒があった前夜の演奏を選ぶけど、感服する。昨日、1曲だけソロでやったガーシュイン有名曲「アイ・ガット・リズム」の止まらない指さばきも壮絶だったなあ。

 その後のマイク・マイニエリたちのフュージョン・スターのセッッションは咳がでたりしているのでパスした。あんまし興味もてなかったのが、ばればれ?

追記)なんと、クリントン公演でのドラマーの一人がフォーリーであったのだとか。うわあ。昔、一度だけインタヴューしたことがあった(bmr誌用に取った。90年代中期にレニー・ホワイトか誰かの公演に同行したときにしたんじゃなかったけか。目茶、ナイス・ガイだった)けど、ぜんぜん気付かなかった。彼はオハイオ生まれのマルチ系ファンカーで、マーカス・ミラーの橋渡しで(確か、女友達がミラーと知り合いで、フォーリーのデモ・テープが彼の手に渡り……)マイルス・デイヴィスと懇意になり、80年代後期にデイヴィス・バンドにリード・ベーシストとして(!)加入していた人物。彼はデイヴィスにめっぽう気に入られ(時刻無視で、よく電話が彼からかかってきたそう)、業界ではデイヴィスと知り合いたいならまずフォーリーと仲良しになれ、なんても言われたのだとか。U2のボーノもへこへこフォーリーに連絡を取ってきたりもしたが、その際フォーリーは一蹴したそうな。彼はデイヴィスの母親とも仲良しになり、お母さんとも電話友達だった。そんな彼は92年にモージャズ(モータウン傘下にほんの一時期あった傍系レーベル)から『7Years Ago……』という混沌ファンク作を出していて、そこにはクリントンの大ファミリーが客演(上に名前が出ている人たちも)していたんだよな。で、今も付き合いもちゃんと持っていたのか。

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