100ゴールド・フィンガーズ
2009年6月7日 音楽 公演表題が示すように、10人の名のあるジャズ・ピアニストが一堂に会する出し物、今回で11度目を数えるようだが、ぼくはこれまで行ったことがなかった。リピーターも少なくないのだろう、客の年齢層はそうとうに高い。リタイア世代、多数だったかな。会場は五反田・ゆうぽうとホール、10何年かぶりに行く。ステージにはグランド・ピアノ2台とウッド・ベースとドラムが置かれている。PAは用いているようだが、それらの音は結構小さめだ。
ジュニア・マンス、シダー・ウォルトン、ジェラルド・クレイトン、ドン・フリードマン、山中千尋、サイラス・チェスナット、ジョアン・ドナート(2008年8月22日)、ベニー・グリーン(2006年1月26日)、ケニー・バロン(2001年11月20日、2009年1月7日)、テッド・ローゼンタール(2005年7月10日)、という28年から84年生まれまでの10人のピアノ弾きが登場。ボブ・クランショウ(ブーストさせた縦ベースの音には幻滅。1999年7月15日参照)と何より晩年のビル・エヴァンスをサポートしたことで知られるジョー・ラ・バーベラ(当初、告知されていたグラディ・テイトが体調不良とかで急遽代わる)というリズム隊のサポートのもと、次から次へと出てきてトリオか、ピアノスト2〜3人+リズム隊か、ピアノ・ソロで演奏。レパートリーはスタンダード群が主。出演者は多くても弾くのは2曲まで、せわしない。10人という人数はいかにも多すぎ、10人とうたったほうがはったりが利いていいのかもしれないが、ちゃんとピアニストの個を大切に出させてあげようとするなら、ピアニストの数は6人までが適切ではないか。ただ、地方公演など複数あって、ピアニストの組み合わせ/設定や演奏曲は臨機応変に変わるらしい。
そんななか、異彩を放っていたのが、ブラジル人のジョアン・ドナート。彼はまずトリオで、自分が作った有名曲「カエルの歌」を歌を交えて、ユーモラスに演奏。もう、一気に会場の空気が和み、温かい空気が流れる。彼はもう1曲ドン・フリードマン(だったかな)と一緒に演奏したが、はっり言って純粋なピアノ技量は彼が一番下だったろうが、一番客にアピールしていたのも彼(皆、正装するなか、彼だけ少しラフな格好)だった。一番若く一番無名だったクレイトンはダイアナ・クラールのバッキングなんかで知られるジョン・クレイトンの息子で、ドレッド頭の混血長身イケ面くん。山中(オフマイクで少し話したが、ぜんぜん聞こえなかった)と一緒に弾くとともに、彼はソロで1曲端正な演奏を聞かせた。
最後には全員出てきて、エリントンの「A列車で行こう」を入れ替わり立ち代わり演奏。その際、弾かないピアニストたちは後ろにずらりとならんで手拍子をしながら、笑顔で見守る。主催者はその絵がほしくて(確かに、ヒネたぼくでも悪くないと思えた)、不毛に多くのピアニストを呼んいるのか。公演後、ホワイエには弾いた人の名前と曲名が書かれた紙が張り出されていて、それは親切。だが、本当に親切にしようとするなら、登場時にきっちり名前を紹介するべきだろう。前に座っていた人たち、あれ誰なのとか演奏者が変わるたびに話していました。
ジュニア・マンス、シダー・ウォルトン、ジェラルド・クレイトン、ドン・フリードマン、山中千尋、サイラス・チェスナット、ジョアン・ドナート(2008年8月22日)、ベニー・グリーン(2006年1月26日)、ケニー・バロン(2001年11月20日、2009年1月7日)、テッド・ローゼンタール(2005年7月10日)、という28年から84年生まれまでの10人のピアノ弾きが登場。ボブ・クランショウ(ブーストさせた縦ベースの音には幻滅。1999年7月15日参照)と何より晩年のビル・エヴァンスをサポートしたことで知られるジョー・ラ・バーベラ(当初、告知されていたグラディ・テイトが体調不良とかで急遽代わる)というリズム隊のサポートのもと、次から次へと出てきてトリオか、ピアノスト2〜3人+リズム隊か、ピアノ・ソロで演奏。レパートリーはスタンダード群が主。出演者は多くても弾くのは2曲まで、せわしない。10人という人数はいかにも多すぎ、10人とうたったほうがはったりが利いていいのかもしれないが、ちゃんとピアニストの個を大切に出させてあげようとするなら、ピアニストの数は6人までが適切ではないか。ただ、地方公演など複数あって、ピアニストの組み合わせ/設定や演奏曲は臨機応変に変わるらしい。
そんななか、異彩を放っていたのが、ブラジル人のジョアン・ドナート。彼はまずトリオで、自分が作った有名曲「カエルの歌」を歌を交えて、ユーモラスに演奏。もう、一気に会場の空気が和み、温かい空気が流れる。彼はもう1曲ドン・フリードマン(だったかな)と一緒に演奏したが、はっり言って純粋なピアノ技量は彼が一番下だったろうが、一番客にアピールしていたのも彼(皆、正装するなか、彼だけ少しラフな格好)だった。一番若く一番無名だったクレイトンはダイアナ・クラールのバッキングなんかで知られるジョン・クレイトンの息子で、ドレッド頭の混血長身イケ面くん。山中(オフマイクで少し話したが、ぜんぜん聞こえなかった)と一緒に弾くとともに、彼はソロで1曲端正な演奏を聞かせた。
最後には全員出てきて、エリントンの「A列車で行こう」を入れ替わり立ち代わり演奏。その際、弾かないピアニストたちは後ろにずらりとならんで手拍子をしながら、笑顔で見守る。主催者はその絵がほしくて(確かに、ヒネたぼくでも悪くないと思えた)、不毛に多くのピアニストを呼んいるのか。公演後、ホワイエには弾いた人の名前と曲名が書かれた紙が張り出されていて、それは親切。だが、本当に親切にしようとするなら、登場時にきっちり名前を紹介するべきだろう。前に座っていた人たち、あれ誰なのとか演奏者が変わるたびに話していました。
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