丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)で、NYに住む66年ドイツ生まれのジャズ・ピアニスト(フランス育ちで、フランスで活動していたことも。英語MC にボンソワとかメルシーとかフランス語も少し入れていました)を見る。90年代中期から基本ブルーノート・レコードを拠点としていて、90年代を中心に来日も10回ぐらい重ねるのかな。ぼくは今回初めて彼の生演奏に触れるが、思っていた以上の俊英の様におおきくうなづく。今回、彼の鍵盤さばきが手に取るように見える位置で見ることができたので、余計にそう感じたナ。

 とにかく、演奏が闊達にして確か。奔放に歌う感じもしかと持つ。ぼくは彼にけっこう耽美的な味にポイントありと見ていたりもしたが、現物はもっとシャープでフラッシィなところも。いろんな奏法を繰り出すとともに(有名ジャズ曲の引用も入れたりもする)、彼のジャズ観を表すかのように明晰な綻びや歪みも適所で入れたりもして、その総体は現代ジャズ・ピアニストとしての秀でた身の処し方をしていると思わされる。拍手! 97年に彼はカサンドラ・ウィルソン(2008年8月11日)との双頭作をブルーノートから出しているが(『ランデヴー』)、それもあってしかるべき顔合わせだったのダとも今回のショウを見て思わせられたな。

 生で見たテラソンはアフリカ系かカリブ系の血が少し混ざっている感じ。で、けっこううなり声をあげて演奏したりもするのだが、それもキース・ジャレット(2007年5月8日、他)のように嫌な感じではなく、なんとくグルーヴィ。ベース奏者とドラマーは米国黒人で見た目から判断するとまだ25歳以下か。けっこうアトラクティヴなルックスも持つ(でも、行儀は良さそう)彼らもジャズ流儀と現代的立ちを併せ持つもので、秀逸。ベン・ウィリアムズとジャマイア・ウィリアムズ(兄弟ではないと思う)、まだ無名の奏者たちだが、こんご名前が見られるようになるんじゃないのか。

 ここは、ジェイソン・モラン(2007年1月16日、17日)、アーロン・パークス(2008年11月22日)、ロバート・グラスパー(2007年10月3日、2009年4月13日)といったブルーノート・レコードと契約する好現代ジャズ・ピアニストのショウをいろいろブッキングしているが、もしかすると(一番期待していなかっただけに)、ぼくはテラソン実演にトップ級の感銘を受けたかも。思わせぶりなところがなく、ジャズ初心者にももっとも分かりやすいのが彼ともしっかり感じました。あ、そういえば、なぜかライ・クーダーはテラソンのことを気に入っていて、近年の2枚のアルバムで彼を起用している。

 そして異動(根津美術館近くのビルに、“サマーソニック・オーディション会場”という張り紙がされているのを見つける)、南青山・ブルーノート東京でマデリン・ペルー(2006年8月24日、他)のセカンド・ショウを見る。ノラ・ジョーンズ以降もっとも成功したジャジーな女性シンガーの一人で(デビューは彼女よりもずっと早いが)で、アーティスト肌でとっても気分屋なんてかつては喧伝された人だ。ライヴに接するかぎりはそんなふうには見えないんだけどね。

 過去の来日ショウと異なるのは今回の同行バンドの編成。過去は生ギターを渋く弾きながら歌う本人をピアノ/キーボードとリズム隊によるトリオがサポートしていたが、今回はそういう編成に再結成スティーリー・ダンにずっと参画しているセッション・ギタリストのジョー・ヘリントンが新たに入っている。ちなみに、リズム隊は近年ずっと一緒にやっている基本ジャズ側にいる奏者たちであり、今回新たに関与するピアノ/キーボード奏者はパット・メセニーやマイケル・ブレッカーらに重用されるなどして90年代後半にやたら注目を浴びたジム・ビアード。彼には一度インタヴューしたことがあるけど(ジョージ・ウォリントンに個人師事していたことがあるそう。ジャズに燃える若き彼は真面ジャズ・ピアニストのウォリントンからこんなものも聞いてみればとウェザー・リポートを紹介されてそんときはざけんじゃえねえとブチ切れた、なんてことも言っていたはず)、秀才さと変人さを合わせ持つ捉えどころのない人物だった。そんなビアードは今年久しぶりにリーダー作を出したものの、ここ7年間ほどは名前を出す事がなかったが、そんなところも彼らしいかも。実はビアードとヘリントンはずっと昔から仲良しさんで、6月にはスティーリー・ダンの長期欧米ツアーに同行することになっている。会場で葡萄畑の青木和義さん(Banda Planetar10という、越境アコースティカル・ユニットを現在やっているそう)と15年強ぶりぐらいに邂逅したが、ぜんぜん違う音楽趣味を持っていそうな彼はビアードのことを前から気に入っていたようで、熱く語っていらっしゃった。

 そんな二人の多様な演奏もあり、サウンドの色調はけっこう変わったかな。その手触りのいい達者なバンド・サウンドはよりロック〜シンガー・ソングライターのりなものになっていたはずで、それは彼女の非ジャジー性を浮き上がらせていたはず。披露していた11曲はすべて過去のオリジナル4作品で発表している曲群。その内訳は96年デビュー作から1曲、04年ブレイク作から4曲、06年作から3曲、09年作から3曲、というもの。ベッシー・スミス他で知られるブルージィ曲「ドント・クライ・ベイビー」はやったものの、スタンダード曲は一切やらなかったはず。でも、そうではあってもやはり多くの曲からは時間を多大に遡るような感覚がこぼれ落ちていたのはまぎれもない事実。それは聞き手のなかに入ってきてじわーんと広がるものでもあり、それはペルーの偉大な個性だと思わずにはいられず。本来、それはレトロという言葉も似合うもののはずだが、今回のショウに関してはその言葉は似合わないような気も。きっと、それは<自分なりの今>が自然体で出せればOKという気持ちがゆったりと横たわっていたからではないだろうか。



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