ヴィデオがリリースされることはなく、かといって来日するはずもなく。そんな時代、レコードを聞きながら、その表現を生み出す音場やライヴの有様を鋭敏に想像しようとしていた。それ、80年代中期ごろの話ね。そんな時期、一番ライヴ・ヴィデオをぼくが切実に欲したのはフランク・ザッパとP-ファンク。ともに、入手できたときはうれしくてうれしくて、そして音楽のあまりに口惜しいマジックを感じて、より彼らのことを大好きになったっけ。今はいろんな手段で楽勝にマニアックな人々の映像に触れられる……ああ、隔世の感ナリ。

 というわけでザッパは間違いなく私のアーティスト五指に入る存在だったはずだが、(前にこの欄で書いたこともあるはずだが)この15年ぐらいはほとんど聞いていない。もの凄い才と閃きと修練を孕む表現であるのを鬼のように認めつつ、あの壮絶な仕掛けや変拍子がダルく感じるようになってしまって、山ほどあるそのアルバム群になんら手が伸びなくなってしまったのだ。あの子供ぽくもあるエログロ歌詞ゆえ、英語がわかっていたらもっと遠のいてる? 

 <ザッパ・プレイズ・ザッパ>は息子のドゥイージル・ザッパが父親フランク・ザッパ(1940年〜1993年)の残した財産=あまりに生理的に美しくもある複雑怪奇な楽曲群を父のバンドにいた人たちも少し交えて演じます、てな出し物。ドゥイージルは10代半ばのころから父親の表現に関与しているわけで、その諸々にはたっぷり触れているはず。オーネット・コールマンにおけるデナード・コールマン(2006年3月27日。2001年5月3日参照)みたいなもんとも言える?

 今回は2度目の来日となるものだが、初回のときはあまり見たいと思わなかった。それは、齢を重ねるとともにフランク・ザッパの音楽が聞けなくなっているというよりも、息子が親父の財産をコピーするという行為イメージが、フランク・ザッパが持っていたあまりに崇高なノリ(ロック史において、もっとも常規を逸して、それを抱えた表現を提出していた人と言えるはず)とあまりに離れているような気がして、違和感を覚えてしまったからだった。ところが、後日に同名/同志向のライヴDVDを見たらなんか感動しちゃって(やっぱり、壮絶で、うれしい磁力がそこにはあった)、今回はぜひ見ねばと、ぼくはいきり立ってしまったのだった。

 前回のときは父親の映像と共演というシーンもあったようだが、今回は映像は用いず、自分たちの演奏だけで勝負。とともに、往年のザッパ・バンドの経験者比率はどんどん減っていき、今回も参加するはずだった70年代からザッパ・グループに在籍したキャラも立つギタリストのレイ・ホワイトも直前にバンドから逃亡したとかで、ドゥイージル以外はほぼ父とはやりとりを持たぬ奏者だけのプロジェクトになった。

 感想は、嬉しさも中ぐらいなり。みんな達者なんだけど、やっぱ父親が有していたブラックホール的なヤバさがそんなになくて、普通のプログ・ロック〜ジャズ・ロックになっちゃている所もあったよなー(その観点だけで取れば、出来のいいものであるのは間違いないが)。今回の編成はドゥイージルに加えて、サイド・ギター、キーボード/サックス、打楽器(マリンバが主)、ベース、ドラムという6人(みんな、前回も来日している人たち)。うーむ、やっぱり6人では、めくるめくあの人の世界をなぞるには編成が小さすぎる。酔狂さがあんまし出ない。それに、肉声群の重なりも少なすぎ。歌はドラマーか紅一点の女性キーボード/サックス奏者が取り、ドゥイージルはあまり歌わない。ギター・ソロも親父のそれを思い出すと……。なんか、ドゥイージルのかつての穏健な(?)彼女選びにも納得したか。彼の元カノはリサ・ローブ(2008年12月4日、他)。去年、ローブに取材したおり、悪い思い出はないらしく、婚約している余裕か彼女はドゥイージルの名前も気軽に(?)出していました。

 熱心なファンが多いだろうオーディエンスは熱狂的に反応していたが、本当にコレでいいのと、なんか思ってしまった私。自覚している以上に、フランク・ザッパの表現は自分にとって神聖なものだったのダとも、ぼくは痛感した。うひい。ただただ、打楽器奏者やキーボード/サックス奏者からほとばしる澄んだミュージシャンシップには降参す。ああ、音楽の道はけわしい、でも彼らにもっともっと脚光があたりますように、なんて甘酸っぱい気持ちになれたのは大マル。とともに、もしかすると今回は父親の毒の回路から離れて、レパートリーはマニアックに求めつつも、このメンバーとしての演奏を前向きに求めようとしたのではないか。そう思えるところもあって、そうすると、ぼくは接していてだいぶ楽になった。

 昨日に続いて、客の外国人比率が高いのか、曲リクエストを伝える声が飛び交う。それに受け答えするドゥイージルは、昔のCDのカヴァーで見せた美少年ぶりは遥か昔な感じ(でも、40歳ぐらいだから、それも当然か)ではあったが、とてもいい人そう。事実、彼は終演後にステージ前に出てきてファンとの交歓をはかる。うーん、そんなの見ると、ぼくは何も言えなくなっちゃう。ドゥイージルに、幸あれ。渋谷・Oイースト。

 渋谷・Oイースト。その東京2公演のあと、ご一行は豪州ツアーをし、そのまま相当な数の欧州ツアーに入る。

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