フレッド・フリス、アマッド・コンパオレ+オノ セイゲン
2009年1月17日 音楽 外見はほのぼの、熊さんみたい(ずっと昔からだよなあ)ながら、フリスは一部の人にとっては相当にリジェンダリーなミュージシャン。会場の飯田橋・東京日仏学院のラ・ブラスリーはもう満杯。49年英国生まれ(ぎりぎりまだ50代なんだァ)、彼の地のジャズとロックの関係がまだ刺激的だった70年代初頭に登場し、ヘンリー・カウ〜ジ・アート・ベアーズという意義たっぷりのアヴァン・ロック・バンドに参加したあと、80年前後からはNYのフリー/ボーダーレス・ミュージックのシーンに身を投じて、好奇心向くままに様々な人といろんな音を出している“枠をこえた”ギター奏者……。近年はオークランドの大学の教授となり作曲を教えているらしが、ウィンター&ウィンター、ツァディック、RERなど、ミレニアム以降、一段とリーダー作リリースを活発に行っていたりもする。
そんな彼を今回呼んだのは、今は日本に住んでいるという、アマッド・コンパオレというドラム/打楽器奏者。いろいろと米国のアヴァンギャルド奏者を知るらしい彼、両親はブルキナ・ファソ人とエジプト人で、サウジアラビア生まれでフランス育ちという経歴を持っているそうな。
ファースト・セットは、その2人による約45分の即興パフォーマンス。半分ぐらいは調性を感じさせる、対話……。フリスは座っているためほとんど演奏している様は見えず、ゆえにどんな奏法をしているのかまったく分らなかった(とても、残念。弓を手にしていたときがあったのは、確認できた)が、本当に多彩な音が繰り出され、舞う。コンパレオは的をいたフリー・ジャズ流れのインプロ流儀で対応。その総体はいろんなカタチをこさえる。終わったあと、こんなの音楽じゃないと一緒に来た人に小声でぶつぶつ言っているおじいさんがいるのが可笑しかった。
休憩を挟んで、その2人に、世界的なエンジニアでもある作曲家のオノセイゲン(2000年3月12日)がやはり電気ギターで加わる。フリスは彼の88年作『COMME des GARCONS』に参加してもいるが、オノセイゲンが行うライヴ・パフォーマンス(昨年は、またスイスのモントルー・ジャズ祭に出演したのか)の題材はいつも自分の曲であったわけで、どういうものになるのかと興味津々で追ったら……。おお、すげえ。面白い。そりゃ、技量的にはつたない部分はあったろうが、彼の反応や新たな展開の提示などはいけてて、さすがジョン・ゾーンをはじめNYの自由音楽シーンの逸材たちと長年渡り合ってきている人物だと思わせられる事しきり。というか、彼の耳の良さや豊かな知識に支えられた鋭敏な勘や瞬発力なんかがあらゆる活動の礎になっているんだろうなと思わずにはいられず。
出だしは、オノが弾くリフから始まり、2人が音を重ねていく。その流れでオノの弾く低音の単音アクセントがそうだったからもしれないが、ちょっと70年ごろのマイルズ・デイヴィスみたいと感じた局面も冒頭はあったか。1部と比較するなら、2部はより具体的でダイナミック。もっとメロディがあって、ステディなビートが存在したパフォーマンスと言える。こちらでフリスはシング・トークをはじめ、3、4カ所ぐらいで肉声も繰り出した! 楽器をセッティングするときちょい打ち合わせしただけらしいが、望外の具体性や力強さはなんか逆に新鮮だったな。
アンコールはオノがつまびくボサ調の調べから始まり、延々とメロディアスな協調が続く。おお、これはオノの既発のほのぼの曲(「She is She」)じゃないか。最後のほうはフリーフォームになりましたが。18日はスーパーデラックスでギグがあるが、そちらはフリス、コンパオレ、大友良英という即興のあっち側まで知り尽くした奏者のお手合わせなゆえまったく異なるもになるはずで、このセカンド・セットはとても貴重なものだったのではないかしら。この晩の演奏はしっかり録音されたようだが、製品化はなるか。
そんな彼を今回呼んだのは、今は日本に住んでいるという、アマッド・コンパオレというドラム/打楽器奏者。いろいろと米国のアヴァンギャルド奏者を知るらしい彼、両親はブルキナ・ファソ人とエジプト人で、サウジアラビア生まれでフランス育ちという経歴を持っているそうな。
ファースト・セットは、その2人による約45分の即興パフォーマンス。半分ぐらいは調性を感じさせる、対話……。フリスは座っているためほとんど演奏している様は見えず、ゆえにどんな奏法をしているのかまったく分らなかった(とても、残念。弓を手にしていたときがあったのは、確認できた)が、本当に多彩な音が繰り出され、舞う。コンパレオは的をいたフリー・ジャズ流れのインプロ流儀で対応。その総体はいろんなカタチをこさえる。終わったあと、こんなの音楽じゃないと一緒に来た人に小声でぶつぶつ言っているおじいさんがいるのが可笑しかった。
休憩を挟んで、その2人に、世界的なエンジニアでもある作曲家のオノセイゲン(2000年3月12日)がやはり電気ギターで加わる。フリスは彼の88年作『COMME des GARCONS』に参加してもいるが、オノセイゲンが行うライヴ・パフォーマンス(昨年は、またスイスのモントルー・ジャズ祭に出演したのか)の題材はいつも自分の曲であったわけで、どういうものになるのかと興味津々で追ったら……。おお、すげえ。面白い。そりゃ、技量的にはつたない部分はあったろうが、彼の反応や新たな展開の提示などはいけてて、さすがジョン・ゾーンをはじめNYの自由音楽シーンの逸材たちと長年渡り合ってきている人物だと思わせられる事しきり。というか、彼の耳の良さや豊かな知識に支えられた鋭敏な勘や瞬発力なんかがあらゆる活動の礎になっているんだろうなと思わずにはいられず。
出だしは、オノが弾くリフから始まり、2人が音を重ねていく。その流れでオノの弾く低音の単音アクセントがそうだったからもしれないが、ちょっと70年ごろのマイルズ・デイヴィスみたいと感じた局面も冒頭はあったか。1部と比較するなら、2部はより具体的でダイナミック。もっとメロディがあって、ステディなビートが存在したパフォーマンスと言える。こちらでフリスはシング・トークをはじめ、3、4カ所ぐらいで肉声も繰り出した! 楽器をセッティングするときちょい打ち合わせしただけらしいが、望外の具体性や力強さはなんか逆に新鮮だったな。
アンコールはオノがつまびくボサ調の調べから始まり、延々とメロディアスな協調が続く。おお、これはオノの既発のほのぼの曲(「She is She」)じゃないか。最後のほうはフリーフォームになりましたが。18日はスーパーデラックスでギグがあるが、そちらはフリス、コンパオレ、大友良英という即興のあっち側まで知り尽くした奏者のお手合わせなゆえまったく異なるもになるはずで、このセカンド・セットはとても貴重なものだったのではないかしら。この晩の演奏はしっかり録音されたようだが、製品化はなるか。
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