まず、六本木・STB139で大貫妙子(2005年9月14日)の公演を見る。MCによれば、アコースティックな設定のものが続いたなか久しぶりのバンド編成によるもの、とのこと。そのため、昔の曲もやろうといろいろ聞き直したけど、歌詞の部分で今は合わなくなっているものが多くなってしまっているのだとか。そうした、知りえていい情報を伝えもするMC(歌声よりも低音なんですね)は控えめに。日本担い手のライヴ・ショウに行くと長〜い垂れ流しMCに閉口しちゃうことがよくあるのだが、さすがわきまえた(?)熟練者……。いや、やはり洋楽感覚を内のどこかにちゃんと抱えていると取ったほうがいいのかな。

 適切に薄口な、温もりを持つサウンドのもと、クールネスと美意識と心智をもつ大貫の声/佇まいがさあーっと溶けて行き、彼女ならではの世界がぽっかりと浮び上がる。それ、洋楽でも邦楽でもない、不可分な領域を自在に漂うもの、なんても形容したくなるか。やはり、古めの曲は拍手が沸くようで、隣の人がある曲で一句一字もらさずと言う感じで嬉々として口を動かしていたナ。バンドはキーボードの森俊之(2005年9月14日、2008年1月30日、2008年1月31日、他)、ギターの小倉博和(いろいろギターを持ち替えていた)、べースの鈴木正人(2007年1月27日、2008 年1月31日、他)、ドラムの林立夫(2001年12月16日)という名のある面々。邦人ロック・ドラムの大御所である林立夫のブラシやリム・ショットなども用いるドラミングは不器用な味を持つんだけど、ときにけっこうジャジー。流れに乗ってアクセントを加えていくという感じもあった。

 最後のほうで退出し、丸の内に移動。コットンクラブ(セカンド・ショウ)で、ジャム・バンド系の人気者でもある、特殊ギター使用の変種ギタリストのチャーリー・ハンター(1999年6月22日、2002年1月24日、2006年4月17日)のギグを見る。で、好ましい方向に完全に舵を取ったと思わせるものだったナ。今のトリオの編成は、ベース音も出す彼とオルガン奏者とドラマー。のらりくらりな曲調やものすごーく曖昧な情緒のなかからそこはかとない気分を出すというのは変わらないのだが、なんせギターでオルガン音を模さなくなったぶん(当初、彼がギターとベースの音を一緒に出す奏法を編み出したのはオルガン音を出したかったから、と伝えられる)、ギタリストとしての凄さ、面白さが、素直に伝わるようになった。音楽として正しい明解さを彼は出すようになった。嬉しい押し出しが強くなった。

 とにかく、太いほうの弦を上下のサム・ピッキングで出すベース音はすごいし、アルペジオのように弾く複音ギター音主体演奏も彼一流と感じさせ、やっぱりこりゃ無条件にすげェと思わせる。ときにブルース・コード曲もやったが、単音弾き主体の演奏も訴求力ばっちり(そのときは、オルガン奏者がベース音を出したときも)。その総体はまったくもって我が道を行く秀でたギタリストであるぞと思わせるものになっていたわけで、さすがマイケル・フランティ(2006年10月5日、他。大昔組んでいた、ヒップホップリシー〜時代の同僚なり)やプライマスのレス・クレイプール(ハンターのデビュー作はクレイプールがプロデューサーを務める)、ディアンジェロ(その大傑作『ヴードゥー』はハンターの個性的なギター・リフが基調になったものアリ)からも慕われた逸材じゃと実感。そして、全体から漂う、なあなあな気分……。それに触れていると、さすが筋金入りのヒッピーの母親のもと赤ちゃんのときから全米を放浪し、西海岸バークレーに定住するまで靴を履いたことがなかった、なんてエピソードにも納得させられるのだ。


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