ザ・フー

2008年11月17日 音楽
 ふはあ。過剰に期待してはいなかったが、良かったなー。九段下・日本武道館。

 ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズ(2003年3月15日)に続く存在という形容もそれほど外れてはいないだろう、このヴェテランUKロック・バンドは何年か前の通称ウドー・フェスで初来日を果たしたが、単独の日本ツアーが組まれるのは初めてとなる。60年代〜70年代(82年に解散。その後、何度も再結成ツアーをし、06年に24年ぶりの新作をリリース。そのときには、オリジナル・メンバー四人中二人が亡くなっていた)には人気が低くて来日の話がとんとなかった孤高の(?)バンドでありますね。ふーむ、月日の流れとは興味深い。洋楽界不況と言われて久しいが、大御所には優しい時代なのかもしれない。入り口で数年ぶりに会った業界重鎮と話す。「いやー、この前の彼らの映画(「アメイジング・ストーリー」;2008年9月29日)が良かったでしょ。あれを見たら、来なきゃと思った」、そう。洋楽界が一番伸び盛りのころを経験し、美味しい目にも多数あっているはずだが、彼も全盛期のザ・フーは見た事がないそうだ。他にも、普段会わない同業者をいろいろ見かける。
 
 ともに太めになった、ロジャー・ダルトリー(「フー・アー・ユー」他、何曲かではギターも持った)とピート・タウンゼント(なんか、黒いスーツや帽子、サングラスという出で立ちのためだろう、最初エルヴィス・コステロみたいに見えた)は二人とも威風堂々。ぼくはダルトリーの歌を上手いと思ったことがない(心意気、気持ちはありあまるほど評価する)が、十二分に声は出ていた。あの喉に負担になりそうな歌い方で二時間近くちゃんと歌ったのだから、凄い。連日見ている人によると、この日は調子が良かったらしい。あまり単音弾きやブルーノートに頼らない卓越したギター奏法(腕をぐるぐる回す、カッティングを含めて)を見せるタウンゼントの個性にもため息。現役感もあったし、やっぱこの人たちすげえと素直に思っちゃったナ。とともに、彼らの出す声や音を聞きながら、かつて本欄で書いた事があったが、他の英国ビート・バンド勢と違い米国黒人流れの持ち味がとても低い、珍しい人たちであることにも頷く。その事実は、ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズに嵌まり、その奥にあるものとして黒人音楽も愛好するようになったという話はザラでも、<ザ・フー大好き→黒人音楽も聞くように>という話はあまり聞かない事でも明らかだ。

 二人をサポートするのは、ピートの弟のサイモン・タウンゼント(補助ギター)、百戦錬磨の技巧派ピノ・パラディーノ(ベース。2006年12月22日)、ハマった叩き口がうれしいザック・スターキー(ドラム。もち、リンゴ・スターの息子)、後期フリーにも在籍していたジョン“ラビット”バンドリック(70年代前半の英国ロック界のファースト・コールのキーボード奏者。スキンヘッドになっていた)の面々。その総体サウンドの聞き味は良質、まさにちゃんと張りと輝きあるバンドの音になっていて、にっこり。<等身大のリアル感>〜おおバンドが演奏しているゾという感触にかけては、アリーナ・クラスのバンドとしてはまこと上位に位置するものではないだろうか。

 だからこそ、残念だと思ったのは、ステージ後ろのヴィジョン(ステージ美術はいたって簡素なものでした)に終始映し出された映像。曲趣に合わせてと言えるのかもしれないが、昔の関連映像なども映しだされたのには閉口。そりゃ、ノスタルジックで甘酸っぱい思いを誘発する。それ、40年を超えるキャリアをもつ彼らには許される方策かもしれない。だが、現役感のある彼らのパフォーマンスには過去の関連映像は余計なものではなかったか。それよりも、映すなら目の前にいる今の彼らの勇士ではなかったろうか。ぼく、途中で彼らの姿を追うのに夢中になって、映像の存在を忘れかけたりもしていたのだけど。

 楽曲はほとんど、解散前の曲から。マニアの間では本編最後に「ネイキッド・アイ」を本来の最終曲「マイ・ジェネレーション」に続けて披露したのがレアでうひゃひゃとなっているようだ。アンコールは映画「トミー」収録曲を4〜5曲続け、最後はデュオで客と向かい合い(二人で、06年作のクローザー「ティー&シアター」を披露)、幕。……彼らはその名声になんら負けない、立派なショウを見せてくれたとは間違いなく言える。かなり高まっていた(と、思われる。この晩はもう満員でした)プレミア感、なんら裏切らず。いやー、純ロックってやっぱいいナとも素直に思えました。


 


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