昨日今日はかなり晴天だが湿度が低く、日が暮れるとかなり涼しい。秋に向かっている、そんな感じがたっぷり……。

 まず、渋谷・O-イーストで、今年2度目の来日となるアシャを見る。前回(2008年6月7日)はギター奏者とバック・シンガーを伴う簡便な編成によるものだったが、今回はバンドを伴ってのもの。前回同行者にプラスして、キーボード、ベース、ドラムが帯同。ギタリスト(スティヴィー・レイ・ヴォーン他、ホワイト・ブルース系ギタリストがお好みとか。アシャとは1年間、行動をともにする)以外はアフリカ系だ。

 隙間の多いサウンドがつけられていたデビュー作の音を無理なく開いたバンド音(おうおうにして、少し太く、より弾んだものになっていたか)を得て、アシャは自分を無理なく押し出して行く。今回、コーラス担当のジャネット嬢がドレスを着用していることもあり、アシャのボーイッシュな感じ、飾り気ない自然性のようなものはより前に出ていた感じはあったかな。この晩の公演は福岡から北上してきたツアー(1週間で6カ所)の最終日、そのためかアシャの声が少し嗄れているかもと感じたが、あとでCDを聞いたらもともとけっこうハスキー・ヴォイスなのだな。ときに声を振り絞る感じは、ボブ・マーリー愛好を通してのものという感じが出る。

 彼女を包み込むバンド・サウンドを得てより思うまま振る舞えることで(ギターを持たず、ヴォーカリストに専念するほうが多い)露になったのが、彼女の巧みなショウの進め方の能力。ときにユーモアを交え、的確にオーディエンスに語りかけたり、堂にいったコール&レスポンスをやったり、一緒に歌うことを求めたり。繰り返すがそれらはとてもお上手、彼女がそんな才覚を持つ人だとは……驚きました。それから、身のこなしも軽快、なるほど「踊りは好き。私の足にはリズムが入っているの」なんて、かつて取材したときのコメントも納得だな。

 アルバム『アシャ』からの曲を中心に、新曲も披露。アルバムよりももっとシンプルに届けられたヨルバ語による平和を祈る「アイ・アバダ」の広がる慈しみの情にはじわーん。これに触れたら、もう何も言えなくなっちゃうよな。沸き上がる人間的な気持ちと、心の琴線に引っかかる素直なメロディと、その奥に広がる豊かな音楽語彙のしなやかな三位一体表現……。そりゃ、客席側からは熱い反応が返されまくるわけで、双方の澄んだ気持ちの交換は磁場と言いたくなるような、一体化した空間をぽっかりと生み出していた。なんか、そういう部分においては、アシャはもう“黄金”を手にしていて、日本において特別な位置を得てしまうかも、ぼくはそんな事も思った。アンコール最後の曲は、ギタリストとデュオで披露した、ボブ・マーリーの「リデンプション・ソング」なり。

 その後、南青山・ブルーノート東京に移動して、マッコイ・タイナー(2003年7月9日)のトリオに、俊英トランぺッターのクリスチャン・スコット(2008年7月23日)が入った出し物を見る。セカンド・ショウ。

 今年末でちょうど70歳となるジャズ・ピアノ大御所の演奏に触れて感じるのは、悠々”自分の道を行く”ということ。タイナーといえば、60年代ジョン・コルトレーンのグループや脱退後の饒舌かつスケールの大きな指さばきがすぐに思い浮かべられるが、現在は今の自分の心象やジャズ観を出す演奏をちまちまさせてもらいますワ、というノリにシフトしているのがよく分かる。今だってムキになれば往年を彷彿とさせる演奏ができなくはないはずだが、そんな事は過去の話と含蓄豊かな指さばきをさらりと出して行く指針も、名人ならアリだろう。なんか笑えたのは、御大と同様にスーツを着用し真面目そうに見えるベーシストのジェラルド・キャノンがソロのときにディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」やダニー・ハサウェイの「ゲットー」を弾き込んでいたこと。はは。でも、その総体は、大人の余裕のジャズというしかないものなのであるが。

 スコットは途中から出るのかなと思ったら、最初から出ずっぱり。途中で、1曲抜けただけだった。で、前回のソウライヴのゲスト時のニューオーリンズ・マナー大爆発の演奏から、今回は抑制された、ふくよか&なめらかな演奏に終始する。彼は自己表現だと、レディオヘッド的な事をジャズでやりたいという気持ちを反映させたアブストラクトな今様ジャズを標榜する(その『アンセム』には、先週金曜に見たエスペランサが入っていた)わけだが、この年末に出るスコットの新作はニューポート・ジャズ祭でのライヴ盤。もちろん、注目に値する出来で、なんとかそのリーダー・グループの来日が実現してほしいが。

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