東京ジャズ。映画「アクロス・ザ・ユニバース」
2008年8月31日 NHKの音頭とりで毎年やっているジャズ主体フェス、この日の昼の部(午後1時〜)はブルーノート東京のブッキングによるもので、順にロベン・フォード(1999年8月28日、2004年4月21日、2004年10月22日)、サム・ムーア(2006年11月14日)、紆余曲折のすえ奇跡的復活なったスライ&ザ・ファミリー・ストーンが出演。有楽町・東京国際フォーラムのホールA。
フォードの演奏は音が悪かった。トリオという音数の少ないものなのに、なんかベールを1枚へだてて接している気持ちにも。多くの曲がブルースのコード進行の曲、一番印象に残ったのはフォードはけっこう格好がいいなということ。大御所ムーアの実演は前回見たときみたいな失禁しそうなくらいの感動はなかったが、やはり触れてありがたやーの得難いソウル・ショウ。前回もそうだったが、アフリカン・アメリカンをほとんど雇わないのは彼の流儀と言えるのか。本人を含め、総勢15人だったか。うち、ギタリストの刻みは完璧に近いものでびっくり。“サヴァイヴァー”による、この前なくなった(ムーアの出世グループ、サム&デイヴの最大後見人である)アイザック・ヘイズに関するコメントはなし。
そして、混合ロッキン・ファンクの天才、スライ・ストーン。伝説というか、もう神話の域? ああ、まさかスライを日本で見れる日が来ようとは。感無量。始まる前、ステージ前に機材セッティングを見る人が前に集まったりして、他の出し物とは皆の期待値が違うぞという感じはあり。歓声もすごかった。
バンドは、音楽監督役っぽいギター(少しキーボードも。トニー・イエーツという人)、キーボード2、女性ヴォーカル、ギター、ベース、ドラム、管3つ、という布陣。うち、昔からの関与者は妹のロージー・ストーン(kyd,vo)、シンシア・ロビンソン(tp)、ジェリー・マルティーニ(サックス)。それに、ロージーの娘(つまり、スライの姪)のリサ・バンクス(vo)も入れていいかな。彼女は70年代後半のスライ作にはすでに参加していた。
「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」などが前説的に演奏されたあと、スライが登場。おおおおお。小柄な人なんだな。キンキラな格好で、変な髪型。頭はぜんぜん禿げてない。サングラスをかけたその様は、イカレてて危ない、少しやせたハービー・ハンコックという感じ。彼は中央のキーボードが置かれたところに座る。が、そんなにキーボードは弾かなかったかな。でも、歌は想像していた以上に歌った(目は伏し目がちという感じで)という印象が残ったし、思っていた以上に声も出ていたんじゃないか。もともと上手い人ではないしネ。特徴的な声のしゃくりあげ方なんかにも触れることができ、ぼくはポっ。丸椅子にちょこんと座った彼は演奏部のとき、すわったままくるくると意味もなく椅子ごと回ったりも。だが、2度ほど立ち上がり前に出てきて歌ったり、客を煽る場面もあった。
やった曲は本当に本当に有名曲ばかり。「スライ・ストーンは、もうあちこちで流れていたからね……こちらが聞きたかろうがなかろうが。スライ・ストーンは誰もが聞いてきた、みんなの人生のサウンドトラックのようなものだった」とは、在NYの特殊プロデューサーであるキップ・ハンラハン(2000年1月12日、2001年5月15日、2003年8月9日)の弁。昨年、インタヴューしたときのものだが、まさしく本当にそう。
で、さすがスライと思えたのは、誰もが知っている彼の有名曲をやるものの、<昔の名前で出ています>というのを拒否るかのように、どれも耳なじんだまんまのアレンジでやらずに、リズムのテンポや構築を変えたり、和音を換えたりとか、いろいろと策を労して、ひと味もふた味も変えていたこと。それ、けっこう難しい方向にも行くものであり、ときにノリにくかったり、まとまり悪く聞こえたりもしたが、それこそはツっぱった音楽家の矜持の発露というものだろう。個別の音を聞くと、各奏者たちはみんな腕は達者だ。
一時は完全に人間辞めてた、元真性ハード・ジャンキーが入国できるのか。出来たとしてもステージにどのぐらいたつのか。なんて言われた彼だが、35分ぐらいステージ上にいてそれなりの存在感を出し(バンド演奏は1時間を超えた)たし、ぼくはおおいに満足。彼の輝ける功績やいろんな事情を知る人なら、それは皆そうだったのではないか。
その後、有楽町・シネカノン2で、映画「アクロス・ザ・ユニバース」を見る。ザ・ビートルズの楽曲をいっぱい用い噛み合わせて、ストーリーを作ったアメリカ映画(2007年。ジュリー・テイモア監督)。主人公の名前はジュード(「ヘイ・ジュード」)で、相手役はルーシー(「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ア・ダイアモンド」)という。リタやセイデイやプルーデンスも出てきた。あ、そう書くとなんか安っぽい? それにしても、曲名のオフィシャルな日本語表記は「アクロス・ザ・ユニヴァース」なのに、どうしてわざわざ「アクロス・ザ・ユニバース」とするのだろう? 違和感、大アリ。映画のほうの人たちは、そんなに<う濁点>が嫌いなのかな。
時代はザ・ビートルズが誕生し、解散した60年代。もう少しはっきり書くなら、67〜68年のグリニッジヴィレッジが舞台。リヴァプールに住む労働者階級の青年がアメリカに行き、知己を得てNYに居住しての周辺事情、恋愛模様を綴った映画だ。ミュージカル映画という言い方もされているようだが、映画「トミー」もそうなら、まあそう言えるのかな。普通の台詞の部分の方が多いが、重要場面や転換期では主人公たちがザ・ビートルズ曲(30曲強が登場。一部は台詞にも引用されるか)を歌う。そういえば、曲から得た映像の飛躍の様は映画「トミー」におけるケン・ラッセル監督のやり方を思い出させるところはあるかも。
歌詞からの映像の飛躍のさせ方で一番感心したのは、主人公の親友が軍隊に入るシーンで使われる「アイ・ウォント・ユー」。ザ・ビートルズはこの曲をどろどろした只のヘヴィなラヴ・ソングとして作ったはずだが、ここでは執拗に繰り返される“アイ・ウォント・ユー”という歌詞を、かつて米国が兵士募集のポスターに用いていた大キャッチ“(Uncle Sam )I Want You”にかけ、同曲の“She’s So Heavy”というリフレインのときには兵士たちにアメリカの象徴である自由の女神を背負わせるという方策を取る。ほう。そういえば、そのアンクル・サムが指を突き出して兵士を勧誘する“Uncle Sam Wants You”ポスターを茶化して、若者をファンクの世界に誘う“Uncle Jam Wants You”キャンペーンを張ったのが、79年に同名作をリリースしたジョージ・クリントン/ファンカデリックだった。ちなみにジョージ・クリントンは80年代初頭にスライ・ストーンに手を差し出したりしましたね(その後、クリントン帝国にも翳りが出て、90年前後に助け舟をだしたのがプリンス。そして、プリンスの最大の影響源がスライ……。ああ、これぞワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ! ファンクの輪、の法則なり)。
話は飛んだが、ザ・ビートルズの曲を材料に進められる映画の描かんとする事はあの頃が”揺れる”サイケの時代であり、”青い”反抗の時代であったということだ。ロックはまぎれもなくカウンター・カルチャーなり。体験がないぼくでも、CG応用(と思ふ)で映し出される60年代後半のグリニッジヴィレッジの様子は本当に甘酸っぱく感じる。なるほど、ある意味、この映画は米国リベラル版「三丁目の夕日」なのかもしれない(って、見てないけど)。
それから、これが肝心なのだが、劇中に出てくるザ・ビートルズの再演曲はどれもまっとう。いや、びっくりするぐらいに良く出来ている。エンドロールによれば、それらはT・ボーン・バーネットたちが関与し、インタースコープからサントラ盤が出ているようだ。また、映画にはU2のボーノ(2006年12月4日)やジョー・コッカーなども参加。ちゃらい部分も少しはあるが、よく練られ、お金と手間もちゃんとかけられているとぼくは大きく頷いた。
結論。そんなに話題になっているという感じはない(この日見たのは、もうすぐ公開が終わると聞いたから。実際、日曜なのに入りは半分以下……)が、とっても良かった。映画終了後、拍手がおきてもいいのに。かなり秀逸な、ロック映画です。
先に触れた主人公の友人が徴兵されたのは、彼がアイビー・リーグをドロップ・アウトしたため。当時のアメリカの徴兵は大学に行ってると免除になったんだよね。以下は、かつてアート・リンゼイ(1953年、米国生まれ。1999年12月9日、2002年9月9日、2004年11月21日)が言っていたことの乱暴な要約だ。
子供のときに牧師をしている父親についてブラジルに渡ったものの、彼が高校を出たころはぎりぎりでまだ徴兵制度(くじ引きだったそう)が残っていて、それを回避するため(市民権はアメリカに残していたのだろう)に大学に行く事にし、なんか格好良さそうということで、彼はNYの大学を選んだのだとか。そして、そこで目の当たりにしたのが当時のパンク/ニューウェイヴのムーヴメント、ブラジル育ちの純真なリンゼイ青年はそれにみせられ、楽器は一切できなかったものの、その流れに身を投じることとなる。で、彼はノー・チューニングによるパーカッシヴなギター奏法(音楽界のマルセル・デュシャン、と言ったのは故・生田朗さんだったか)のもと、DNA、ザ・ラウンジ・リザーズ、アンビシャス・ラヴァーズと移りつつ聞き手を魅了し、自由な発想でデイヴィッド・バーンやカエターノ・ヴェローゾらを手がけるプロデューサーとしてもおおいにエスタブリッシュされてしまったわけだ。で、徴兵制がなかったら、音楽の道に進んでいなかったかも、とは本人も思うところなのでした。
フォードの演奏は音が悪かった。トリオという音数の少ないものなのに、なんかベールを1枚へだてて接している気持ちにも。多くの曲がブルースのコード進行の曲、一番印象に残ったのはフォードはけっこう格好がいいなということ。大御所ムーアの実演は前回見たときみたいな失禁しそうなくらいの感動はなかったが、やはり触れてありがたやーの得難いソウル・ショウ。前回もそうだったが、アフリカン・アメリカンをほとんど雇わないのは彼の流儀と言えるのか。本人を含め、総勢15人だったか。うち、ギタリストの刻みは完璧に近いものでびっくり。“サヴァイヴァー”による、この前なくなった(ムーアの出世グループ、サム&デイヴの最大後見人である)アイザック・ヘイズに関するコメントはなし。
そして、混合ロッキン・ファンクの天才、スライ・ストーン。伝説というか、もう神話の域? ああ、まさかスライを日本で見れる日が来ようとは。感無量。始まる前、ステージ前に機材セッティングを見る人が前に集まったりして、他の出し物とは皆の期待値が違うぞという感じはあり。歓声もすごかった。
バンドは、音楽監督役っぽいギター(少しキーボードも。トニー・イエーツという人)、キーボード2、女性ヴォーカル、ギター、ベース、ドラム、管3つ、という布陣。うち、昔からの関与者は妹のロージー・ストーン(kyd,vo)、シンシア・ロビンソン(tp)、ジェリー・マルティーニ(サックス)。それに、ロージーの娘(つまり、スライの姪)のリサ・バンクス(vo)も入れていいかな。彼女は70年代後半のスライ作にはすでに参加していた。
「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」などが前説的に演奏されたあと、スライが登場。おおおおお。小柄な人なんだな。キンキラな格好で、変な髪型。頭はぜんぜん禿げてない。サングラスをかけたその様は、イカレてて危ない、少しやせたハービー・ハンコックという感じ。彼は中央のキーボードが置かれたところに座る。が、そんなにキーボードは弾かなかったかな。でも、歌は想像していた以上に歌った(目は伏し目がちという感じで)という印象が残ったし、思っていた以上に声も出ていたんじゃないか。もともと上手い人ではないしネ。特徴的な声のしゃくりあげ方なんかにも触れることができ、ぼくはポっ。丸椅子にちょこんと座った彼は演奏部のとき、すわったままくるくると意味もなく椅子ごと回ったりも。だが、2度ほど立ち上がり前に出てきて歌ったり、客を煽る場面もあった。
やった曲は本当に本当に有名曲ばかり。「スライ・ストーンは、もうあちこちで流れていたからね……こちらが聞きたかろうがなかろうが。スライ・ストーンは誰もが聞いてきた、みんなの人生のサウンドトラックのようなものだった」とは、在NYの特殊プロデューサーであるキップ・ハンラハン(2000年1月12日、2001年5月15日、2003年8月9日)の弁。昨年、インタヴューしたときのものだが、まさしく本当にそう。
で、さすがスライと思えたのは、誰もが知っている彼の有名曲をやるものの、<昔の名前で出ています>というのを拒否るかのように、どれも耳なじんだまんまのアレンジでやらずに、リズムのテンポや構築を変えたり、和音を換えたりとか、いろいろと策を労して、ひと味もふた味も変えていたこと。それ、けっこう難しい方向にも行くものであり、ときにノリにくかったり、まとまり悪く聞こえたりもしたが、それこそはツっぱった音楽家の矜持の発露というものだろう。個別の音を聞くと、各奏者たちはみんな腕は達者だ。
一時は完全に人間辞めてた、元真性ハード・ジャンキーが入国できるのか。出来たとしてもステージにどのぐらいたつのか。なんて言われた彼だが、35分ぐらいステージ上にいてそれなりの存在感を出し(バンド演奏は1時間を超えた)たし、ぼくはおおいに満足。彼の輝ける功績やいろんな事情を知る人なら、それは皆そうだったのではないか。
その後、有楽町・シネカノン2で、映画「アクロス・ザ・ユニバース」を見る。ザ・ビートルズの楽曲をいっぱい用い噛み合わせて、ストーリーを作ったアメリカ映画(2007年。ジュリー・テイモア監督)。主人公の名前はジュード(「ヘイ・ジュード」)で、相手役はルーシー(「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ア・ダイアモンド」)という。リタやセイデイやプルーデンスも出てきた。あ、そう書くとなんか安っぽい? それにしても、曲名のオフィシャルな日本語表記は「アクロス・ザ・ユニヴァース」なのに、どうしてわざわざ「アクロス・ザ・ユニバース」とするのだろう? 違和感、大アリ。映画のほうの人たちは、そんなに<う濁点>が嫌いなのかな。
時代はザ・ビートルズが誕生し、解散した60年代。もう少しはっきり書くなら、67〜68年のグリニッジヴィレッジが舞台。リヴァプールに住む労働者階級の青年がアメリカに行き、知己を得てNYに居住しての周辺事情、恋愛模様を綴った映画だ。ミュージカル映画という言い方もされているようだが、映画「トミー」もそうなら、まあそう言えるのかな。普通の台詞の部分の方が多いが、重要場面や転換期では主人公たちがザ・ビートルズ曲(30曲強が登場。一部は台詞にも引用されるか)を歌う。そういえば、曲から得た映像の飛躍の様は映画「トミー」におけるケン・ラッセル監督のやり方を思い出させるところはあるかも。
歌詞からの映像の飛躍のさせ方で一番感心したのは、主人公の親友が軍隊に入るシーンで使われる「アイ・ウォント・ユー」。ザ・ビートルズはこの曲をどろどろした只のヘヴィなラヴ・ソングとして作ったはずだが、ここでは執拗に繰り返される“アイ・ウォント・ユー”という歌詞を、かつて米国が兵士募集のポスターに用いていた大キャッチ“(Uncle Sam )I Want You”にかけ、同曲の“She’s So Heavy”というリフレインのときには兵士たちにアメリカの象徴である自由の女神を背負わせるという方策を取る。ほう。そういえば、そのアンクル・サムが指を突き出して兵士を勧誘する“Uncle Sam Wants You”ポスターを茶化して、若者をファンクの世界に誘う“Uncle Jam Wants You”キャンペーンを張ったのが、79年に同名作をリリースしたジョージ・クリントン/ファンカデリックだった。ちなみにジョージ・クリントンは80年代初頭にスライ・ストーンに手を差し出したりしましたね(その後、クリントン帝国にも翳りが出て、90年前後に助け舟をだしたのがプリンス。そして、プリンスの最大の影響源がスライ……。ああ、これぞワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ! ファンクの輪、の法則なり)。
話は飛んだが、ザ・ビートルズの曲を材料に進められる映画の描かんとする事はあの頃が”揺れる”サイケの時代であり、”青い”反抗の時代であったということだ。ロックはまぎれもなくカウンター・カルチャーなり。体験がないぼくでも、CG応用(と思ふ)で映し出される60年代後半のグリニッジヴィレッジの様子は本当に甘酸っぱく感じる。なるほど、ある意味、この映画は米国リベラル版「三丁目の夕日」なのかもしれない(って、見てないけど)。
それから、これが肝心なのだが、劇中に出てくるザ・ビートルズの再演曲はどれもまっとう。いや、びっくりするぐらいに良く出来ている。エンドロールによれば、それらはT・ボーン・バーネットたちが関与し、インタースコープからサントラ盤が出ているようだ。また、映画にはU2のボーノ(2006年12月4日)やジョー・コッカーなども参加。ちゃらい部分も少しはあるが、よく練られ、お金と手間もちゃんとかけられているとぼくは大きく頷いた。
結論。そんなに話題になっているという感じはない(この日見たのは、もうすぐ公開が終わると聞いたから。実際、日曜なのに入りは半分以下……)が、とっても良かった。映画終了後、拍手がおきてもいいのに。かなり秀逸な、ロック映画です。
先に触れた主人公の友人が徴兵されたのは、彼がアイビー・リーグをドロップ・アウトしたため。当時のアメリカの徴兵は大学に行ってると免除になったんだよね。以下は、かつてアート・リンゼイ(1953年、米国生まれ。1999年12月9日、2002年9月9日、2004年11月21日)が言っていたことの乱暴な要約だ。
子供のときに牧師をしている父親についてブラジルに渡ったものの、彼が高校を出たころはぎりぎりでまだ徴兵制度(くじ引きだったそう)が残っていて、それを回避するため(市民権はアメリカに残していたのだろう)に大学に行く事にし、なんか格好良さそうということで、彼はNYの大学を選んだのだとか。そして、そこで目の当たりにしたのが当時のパンク/ニューウェイヴのムーヴメント、ブラジル育ちの純真なリンゼイ青年はそれにみせられ、楽器は一切できなかったものの、その流れに身を投じることとなる。で、彼はノー・チューニングによるパーカッシヴなギター奏法(音楽界のマルセル・デュシャン、と言ったのは故・生田朗さんだったか)のもと、DNA、ザ・ラウンジ・リザーズ、アンビシャス・ラヴァーズと移りつつ聞き手を魅了し、自由な発想でデイヴィッド・バーンやカエターノ・ヴェローゾらを手がけるプロデューサーとしてもおおいにエスタブリッシュされてしまったわけだ。で、徴兵制がなかったら、音楽の道に進んでいなかったかも、とは本人も思うところなのでした。
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