わわわ、これは。矢野顕子を見るのはアンソニー・ジャクソンとクリフ・アーモンドのリズム隊を従えた04年公演(7月20日)いらい。あのとき彼女はなぜ常識的でおとなしかったんだろうと、この晩のパフォーマンスに触れちゃうと感じずにはいられないな。もう、弾けていて、とってもグルーヴィで。指さばきが奔放で、それに乗る歌もぐい乗りしまくり。もちろん、それを引き出していたのはNYアンダーグラウンド・ジャズ界の変調ギタリストのマーク・リーボウ(2001年1月19日。トム・ウェイツやエルヴィス・コステロらも彼を大いに信頼)の演奏だったと書きたいところだが、本当の所はここ10年の間に彼女の事を1度しか見ていないのでなんともよく分からない。だけど、矢野は終始本当に嬉しそうだったし、見る者を射抜く奔放さや迸りを出しまくっていたのは確か。「宮沢和史さんとのは長続きしなかったけど、マークとのデュオはずっと続けていきたい」。なーんてことも、彼女は朗らかに言っていたな。

 その両者の共演は、矢野のこの秋に出る新作『Akiko』がT・ボーン・バーネット(米国ルーツ・ロック系のトップ制作者ですね)のプロデュースで、そこにリーボウも参加していたからのよう。演目もおそらくバンド録音だろうそこに入っている曲をいくつかやったと思われるが、ここではどの曲も矢野のピアノ弾き語りにリーボウが適度な距離感でつきあう、といった感じのものが出される。リーボウはそんなにアヴァンギャルドな音は出さず、いつもよりブルージーなソロを取っているとも思わされたか。が、なんにせよ、その演奏に触れていると、彼は子供のような自由な気持ちをとっても持っていると思わずにはいられなく、それこそが矢野も彼を気にいった部分ではないのか。

 矢野の弾き語りとリーボウのソロ演奏も一曲づつ。また、古いカントリー曲のカヴァーと言ってやった曲のとき、リーボウはバンジョーを弾いた。そして、本編の最後はかなりアグレッシヴな感覚〜アウトする感覚を持つ曲。で、歌詞から分かったのだが、その曲はなんとレッド・ツェッペリンの「胸一杯の愛を」ではないか! それ、滅茶飛躍させた形で披露された。

 といったような二人のデュオ・パフォーマンスに触れてぼくが感じずにはいられなかったのは、矢野はアメリカの様々な財産が生んだ襞(その最たるものが、リーボウの演奏ですね)に触発されることを楽しんでいるということと、矢野とリーボウはロックの原初的衝動を今の成熟した両者のノリで伸張させようとしていたのではないのか、ということ。

 とにかく、矢野顕子は圧倒的に凄いし、なんら朽ちる事なく輝きまくっている……そんな事を痛感させられた夜。というか、この晩の彼女はぼくが大昔に胸を焦がした、デビュー作にしてLAの天変地異的怪物バンドというしかないリトル・フィート(2000年12月8日)と協調した『Japanese Girl』まんまのイケてる彼女だったのだ! 南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

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