レジーナ・カーター

2008年7月19日
 南青山・ブルーノート東京。ファースト・ショウ。この日も車で行き来、ブルーノート東京前のコイン・パーキング(イデーがあった所)は3ナンバー対応の広めの枠が取られた仕様で、この日は2時間ぐらい留めて2100円なり。

 わーこう来るのか。あんた、すごいよ。やっぱ、ライヴは見なきゃ分からない。そんな気持ちが見ててすぐに頭ののなかに渦巻くパフォーマンス。今のジャズ・ヴァイオリニストの筆頭にいる人だが、想像できた以上に才ほとばしる実演=“私の考えるもう一つのジャズ表現“を提示していて、うわあ。ところで、彼女は好リード奏者ジェイムズ・カーター(よく、ジョシュア・レッドマンと横並びに置かれたりもするが、ぼくはカーターのほうが才あると思う)の妹という話もあるが……。

 アコーディオン、縦ベース、ドラムという布陣によるもの。リズム隊(クリス・ライトキャップとアルヴェスター・ガーネット)は過去のアルバムで雇っている人だが、これまで絡んでいないウィル・ホースハウザーという在NYのアコーディオン奏者はヨーロッパ的とも言いたくなる白人で、いろんな弾き方を暖簾に腕押し的なノリで洒脱に弾く奏者。過去、そういう編成によるアルバムは出していない(なんか、彼女のアルバムって参加者の数が多いものばかり)が、その編成でやる狙いや必然性が鬼のように出たものであったのは間違いない。たとえば、1曲目はアフリカ的情緒とミニマル・ミュージックとアイリッシュ・ミュージック(他の曲にしても、カーターは概してフィドルっぽい弾き方をしていたと思う)が解け合い隙間ある模様を臨機応変に描いていくような曲で、MCではマリのブパカール・トラオレの曲と言っていなかったか。

 万事がそんな調子で、タンゴっぽい曲やマヌーシュ・スウィングっぽい断片でもそれ一辺倒にはならず、いろんな材料や余白がするりと差し込まれる。ムーディに流れるものでもドラムはレゲエのアクセントを刻んでいる、なんて曲もあり。とかなんとか、どの曲でもいろんな表現を俯瞰し、その妙味を活かしつつ、もう一つ別の大地にあるアコースティカルな音を紡ぎたいという意思は横溢。そして、それらは奏者が会話し合う感覚もたっぷり持つものであり、延々と取るわけではないがもちろんソロも確かであっわけだ。その様を品がないながら分かりやすい例えをするなら、<ジャズ・ヴァイオリン界のカサンドラ・ウィルソンなる行き方>、なんて言えるものではなかったか。クール! カーターは当分この路線を突き詰めてほしいし、次作はこのフォーマットで録ってほしい。

 基本、ずっといい天気が続いていてピンと来ないが、今年は本日梅雨あけが宣言された。

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