キーボード奏者のロニー・リストン・スミス(2003年10月16日)、電気ヴァイブラフォン奏者/シンガーのロイ・エアーズ(2000年3月23日、2002年8月11日、2004年3月10日)、トランぺッターのトム・ブラウン、ザ・クルセイダーズ(2005年3月8日)のオリジナルのトロンボーン奏者だったウェイン・ヘンダーソンという、単にフュージョンというにははばかられる米国黒人としての得難い機微を抱えた表現を送り出していた男性器楽奏者4人。そして、87年にアトランティックからデビューした、ジャジーな歌い方も出来る女性R&B歌手のミキ・ハワードが一緒になった公演。それぞれ、ちゃんと単独でもショウが出来る人たちとも言えるかな。なんか、出し物名を書いてちょい恥ずかしい気分になるが、あちらでもその名のもとツアーをしているらしい。南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)。

 ロイ・エアーズのバンドが基本となるらしく、エアーズは出番でないときもMCをしたり、ステージ横にいたりしたのかな。最初に演奏したのはスミス。ベースとドラムを従えたトリオ編成によるもので、キーボードの音色ともども少ししょぼい感じはあったか。自分のバンドでこそ、独自の磁力やメロウネスを出せるというところが彼にはあるのかも。そして、入れ替わって次はミキ・ハワード。おお、なんか貫禄あるな。大昔に取材したことあるはずだが、けっこうイメージが変わっている。で、豪快というかけっこう荒い、声を張り上げた部分で完全にキーを外したりもしててありゃりゃ。でも、そのファンキーな風情とともに歌い倒す様にゃふふふ。マイケル・ジャクソン風の痩身若人がバック・コーラスで付くが、最後の紹介MCによればなんと彼女の息子らしい。

 次は、旧GRP育ちのトム・ブラウン。80年のブラック・チャート1位曲「ファンキン・フォー・ジャマイカ(NY)」のとき、彼は嬉しそうにハワードとともに歌う。曲名のジャマイカはカリブの国ではなく、マーカス・ミラーなんかも育ったNYのジャマイカ地区のこと。ミラーは確かこの曲のオリジナル・ヴァージョンを弾いていたんじゃないか。とともに、彼はレニー・ホワイト(ドラム)やチャカ・カーンの弟のマーク・スティーヴンス(歌。それほど上手くない)らとともにジャマイカ・ボーイズというグループを組んだことがありましたね。

 ハワードは去り、ブラウンはずっと残り、エアーズ主導で巨人ディジー・ガレスピーの超有名曲「チュニジアの夜」をファンキー気味に演奏。別にどうってことない(ぼくの好みではない)アレンジとソロ回しだが、このとき客は一番沸く。なんでー? サックス奏者はソロのときジャズ有名曲「チェロキー」と「マイ・フェイヴァリット・シングス」のさわりをクォートしたりも。この曲でのエアーズのソロは完全にシンセ音のそれ。この曲だったか、ベースとドラムのソロ・パートはお客を沸かせてナンボの個性が光る娯楽性をきっちり持つもので素直に感心。続いて、エアーズの技ありブラック・メロウ・ポップ曲「サーチン」を彼がかなりヘタに歌い、比較的素直なヴァイブ音でソロを取る。なんか、この際とてもエアーズからは味あるいい人ぶりが望外ににじみ出ていて、とっても良かった。

 そこに、杖をついているヘンダーソン(格好は、コスプレと言いたくなる派手なもの。トロンボーンはディジー・ガレスピーのトランペットのように、朝顔が斜め上を向いたものを持つ)が表れ、骨太豪放だったころのザ・クルセイダーズのヴァイタル曲「ストップ・アンド・バック・ダンス」をやる。もちろん、当時の同バンドの主任コンポーザーだったヘンダーソンの曲。ファンクネスとモダニズムを見目麗しく両立させられるゆえにぼくがとても信頼するキーボーディスト/プロデューサーの森俊之(2001年2月18日、2002年11月15日、2004年2月21日、2005年2月15日、2005年9月14日、2006年5月30日、2008年1月30日、2008年1月31日、他)くんのエレピ・ソロにはこの曲におけるジョー・サンプルの手癖が表れるときがある。おそらく、昔好きでコピーしたんだろうな。で、もう1曲ぼくが嫌いになってからのザ・クルセイダーズ曲「キープ・ザット・セイム・オールド・フィーリング」を客とのコール&レスポンスを交えて。ヘンダーソンもとても役者ね。これで、本編はおしまい。そして、アンコールは全員(11人いたか)で、ロニー・リストンの曲をやったんだっけか。盛りだくさん、そこそこ練られていたし、みんな仲良しそうで、只のスター入れ替わり立ち代わり公演の域は超えていたんじゃないか。でも、ハワード、エアーズ、ヘンダーソンの3人でやったもののほうが、ぼくの胸は弾んだに違いない。

 この設定のように、米国では黒人アーティストを数名抱き合わせにして、そのパッケージでツアーを行うことがよくある。で、そういうツアーのことを<ジャングル・ツアー>というんだよと、80年代後期に米国の業界人から教えてもらったことがあった。それ、少し蔑称でもあるのかな? 今もそういう呼ばれ方をするのだろうか。

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