ミシェル・ンデゲオチェロ
2008年5月7日 アルバムが出たらすぐに聞きたい、サイドマン参加作もなるべくチェックしたい、来日したら見に行きたい……。やはりンデゲオチェロは、ぼくにとっては特別な、自分の領域にいる人なんだろうな。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。
この<ライヴ三昧>を書くようになってからは、3度目の来日。ワールドカップ期間中の2002年(6月18日)のときにはほぼシンガーに専念し、彼女のメインのチャンネルにあるだろう(ベースを弾いていたそれ以前の公演とも音楽的な連続線を持っていたはず)、ぶっといオルタナティヴ・ソウル表現を披露。が、敏腕ジャズ・マンをともなった2004年(11月18日、22日)のときにはベーシストである私を前面にだした真摯ファンク・フュージョンと言えるインスト表現に終始。で、やはり自分以外のベーシストを同行させる今回は2002年時と同様のバンド編成なので、かつての路線に戻ってのパフォーマンスと思われたのだが、、、、、。
キーボード、ギター、ベース、ドラムを伴ってのショウ。あ、あの一応新作となる『夢の男』(エマーシー)で示されていた電波が入ったニュー・ウェイヴ路線は本気だったんですね。2曲目にやったンデゲオチェロもベースを手にしたインスト曲(マイルス・デイヴィスの「ブラック・サテン」のメロディをモチーフにした曲)以外は全編そういうノリのパフォーマンスだった! 本人はファルセット多用のヴォーカリスト(それも、過去とは異なる)として振る舞うわけだが、なんとアンコール曲はジョイ・ディヴィジョンのカヴァーだったようだ。ぼくは、彼女の興味深い何かが出ているとは思うものの、『夢の男』をそれほどは買っていない。だが、ぼくが推測できた以上に彼女は80年前後のニュー・ウェイヴと言われたロック表現に何かを見いだしているのは間違いなさそう。へーえ。で、驚かされたというか、やはり感服せずにはいられなかったのは、そういう行き方をしてもきっちりと出る、彼女の音楽家としての線の太さ/高潔さのようなもの。自分の思う事を、きっちりサイド・マンを掌握し(みんな腕がたち、同じゴールを見据えて流れる演奏は見事でした)つつ、凛と打ち出す様はあまりに“正”。彼女の事を知ろうと知るまいと、今回の彼女の音楽性を気に入ろうと気に入るまいと、マインドや感性をちゃんと持つ人なら、それにはすごいと感服せずにはいられないのではないか。やはり彼女のパフォーマンスには音楽としてあまりに尊い生命線、音楽を音楽足らしめる真実ようなものが馬鹿みたいにある。
後半はステージ後ろのカーテンがあけられ、夜景が背面に広がるなかパフォーマンスされる(ここは通常、カーテンが締められたままショウがなされる)。綺麗じゃない、だったら開けましょうよという、出演者側からの提案であったのだろうか。前回の来日時ライヴはとっても暗いなか演奏していた彼女だったが、この日はそれなりに光をステージにあてて(といっても、明るくはないが)行う。また、ぶっきらぼうながら、ちゃんと謝辞的MCをしていたのにも驚く。彼女のなかで、ライヴ観/聞き手との対し方が少し変わってきているのかも、そう感じさせられもしたか。なんて書くと、すごく偏屈な人っぽい印象を与えるかな。彼女にインタヴューしたのは1度だけ、90年代中期ごろ(それは公演ではなく、プロモ来日したときだったっけか?)のことだったが、多弁ではないが普通にココロある受け答えをする人でした。
話はとんだが、ミュージシャンとしての自由をちゃんと表出するンデゲオチェロはまこと偉い。いつになるか分からないが、次の来日公演はまた様相を変えたものになるに違いない。もとい、次のアルバムはどうなるのだろうか。なお、ベーシストとしての彼女にまず着目する人ならば、ネオ・ソウル系歌手/ソングライターのマイロンの新作『マイロン&ザ・ワークス』(P-Vine)は必聴。ロバート・グラスパー(2007年10月3日、『夢の男』にも入っている)や彼女を擁するスモール・コンボ演奏によるそれはミレニアムのダニー・ハサウェイ・バンドを求めんとしたような感じのもので、ンデゲオチェロの粘るベース演奏は素晴らしいの一言に尽きる。
この<ライヴ三昧>を書くようになってからは、3度目の来日。ワールドカップ期間中の2002年(6月18日)のときにはほぼシンガーに専念し、彼女のメインのチャンネルにあるだろう(ベースを弾いていたそれ以前の公演とも音楽的な連続線を持っていたはず)、ぶっといオルタナティヴ・ソウル表現を披露。が、敏腕ジャズ・マンをともなった2004年(11月18日、22日)のときにはベーシストである私を前面にだした真摯ファンク・フュージョンと言えるインスト表現に終始。で、やはり自分以外のベーシストを同行させる今回は2002年時と同様のバンド編成なので、かつての路線に戻ってのパフォーマンスと思われたのだが、、、、、。
キーボード、ギター、ベース、ドラムを伴ってのショウ。あ、あの一応新作となる『夢の男』(エマーシー)で示されていた電波が入ったニュー・ウェイヴ路線は本気だったんですね。2曲目にやったンデゲオチェロもベースを手にしたインスト曲(マイルス・デイヴィスの「ブラック・サテン」のメロディをモチーフにした曲)以外は全編そういうノリのパフォーマンスだった! 本人はファルセット多用のヴォーカリスト(それも、過去とは異なる)として振る舞うわけだが、なんとアンコール曲はジョイ・ディヴィジョンのカヴァーだったようだ。ぼくは、彼女の興味深い何かが出ているとは思うものの、『夢の男』をそれほどは買っていない。だが、ぼくが推測できた以上に彼女は80年前後のニュー・ウェイヴと言われたロック表現に何かを見いだしているのは間違いなさそう。へーえ。で、驚かされたというか、やはり感服せずにはいられなかったのは、そういう行き方をしてもきっちりと出る、彼女の音楽家としての線の太さ/高潔さのようなもの。自分の思う事を、きっちりサイド・マンを掌握し(みんな腕がたち、同じゴールを見据えて流れる演奏は見事でした)つつ、凛と打ち出す様はあまりに“正”。彼女の事を知ろうと知るまいと、今回の彼女の音楽性を気に入ろうと気に入るまいと、マインドや感性をちゃんと持つ人なら、それにはすごいと感服せずにはいられないのではないか。やはり彼女のパフォーマンスには音楽としてあまりに尊い生命線、音楽を音楽足らしめる真実ようなものが馬鹿みたいにある。
後半はステージ後ろのカーテンがあけられ、夜景が背面に広がるなかパフォーマンスされる(ここは通常、カーテンが締められたままショウがなされる)。綺麗じゃない、だったら開けましょうよという、出演者側からの提案であったのだろうか。前回の来日時ライヴはとっても暗いなか演奏していた彼女だったが、この日はそれなりに光をステージにあてて(といっても、明るくはないが)行う。また、ぶっきらぼうながら、ちゃんと謝辞的MCをしていたのにも驚く。彼女のなかで、ライヴ観/聞き手との対し方が少し変わってきているのかも、そう感じさせられもしたか。なんて書くと、すごく偏屈な人っぽい印象を与えるかな。彼女にインタヴューしたのは1度だけ、90年代中期ごろ(それは公演ではなく、プロモ来日したときだったっけか?)のことだったが、多弁ではないが普通にココロある受け答えをする人でした。
話はとんだが、ミュージシャンとしての自由をちゃんと表出するンデゲオチェロはまこと偉い。いつになるか分からないが、次の来日公演はまた様相を変えたものになるに違いない。もとい、次のアルバムはどうなるのだろうか。なお、ベーシストとしての彼女にまず着目する人ならば、ネオ・ソウル系歌手/ソングライターのマイロンの新作『マイロン&ザ・ワークス』(P-Vine)は必聴。ロバート・グラスパー(2007年10月3日、『夢の男』にも入っている)や彼女を擁するスモール・コンボ演奏によるそれはミレニアムのダニー・ハサウェイ・バンドを求めんとしたような感じのもので、ンデゲオチェロの粘るベース演奏は素晴らしいの一言に尽きる。
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