3月かあ、はー。今日も暖かめ、飲むとそろそろ花見話が出るようになりますね。あと、ぼくは発症してない(と、思う)ので関係ないけど、花粉話も。今日も早起き。6時間ほど机に向かいキーをバシバシ打った後、新木場のスタジオ・コーストに。イキのいい英国勢を提供しようとする何度かやっている“ブリティッシュ・アンセム”というイヴェント、クイーンアドリーナから見る。

 もう20年近く前にデイジー・チェインソーというバンドにいた女性シンガーがフロントに立つ女男二人づつのバンド(遠目には、英国の化粧系バンド?てな、感じに見える)だが、こりゃびっくり。もう太ももと背中が丸出しの薄手のミニのドレスを身にまとうシンガーの振る舞いにゃ目が点。危ないジャンキー風情のアクションを見せるだけでなく、白ワインだかシャンパンだかその手のボトルを手にしラッパ飲みし、果ては股間にはさんでそれを一物の如くこすってみたり。ぼかァ、思わずティナ・ターナーが大昔にやっていたマイクをあれにみたてた猥褻パフォーマンスのことを思い出しましたよ(露出度の高い格好も重なるナ)。おー、身体はってる。おばさん何してんのって感じでどん引きしちゃった人もいたようだが、なんか妙に澄んだ、得難い何かがそこには蔓延。旧世代の流儀かもしれないが、あってしかるべき、捨て身のロック芸能/エンターテインメント精神がそこに存在していたのは間違いない。もー笑えた。ぼくは、おおいに賞賛したいと思う。あ、音楽性のことは何も書いてませんね。ちょいゴス入った陰険気味なロックやってて、静か目な曲調の場合はほんのすこしビョークを想起させるところもありました。一応、各々のスキルは確か。

 続いては、バンド名がほほえましいスカウティング・フォー・ガールズ。が、最初から最後まで見ていたのに、なんも覚えていないのはどうしたことか。バンドの編成さえも、忘れちゃってる。ただ、もの分かりのいい表現だったはず。拳を振り上げる前方のオーディエンスを見ながら、そこにあるメンタリティって、ボクたちのこと理解してくれそうと麻生某を支持しちゃうそれと重なるんじゃないかと唐突に思った。いやー、なんの根拠もないこと書いてんなー。第一、アソウのことだって、いかにも腹黒で性格悪そうなタカ派の人ぐらいのイメージしかないのに。その後はロッキン・エレクトロ・ユニットと言えそうな、ダズ・イット・オフェンド・ユー・ヤー?がバンド編成で登場。愛想ふりまく。まあ、楽しかった。そして、次のジョー・リーン&ザ・ジン・ジャン・ジョンは演奏が下手だった。なんか古くさいロカビリー調といいたくなる曲を早いテンポでぽんぽん出していくんだが、曲調もぼくにはつまらない。彼らよりはまだスカウティング〜のほうを好ましく思ったんじゃなかったか。その後にも出るバンドはあったが、その途中で退出。

 そして、丸の内・コットンクラブに。出演者は、昨年出したデビュー作が今どきこんなはまったレトロ・ソウルを聞かせてくれるなんてと評判を呼んだライアン・ショウ。ただいま、27歳。初来日かと思えば、14カラット・ソウルやゴスペル・クワイアーの一員とかで来ていて、今回が4度目の来日となるという。歌えると、ちゃんとそれなりの仕事は回ってくるということか。

 「アルバム数が1枚だとどのぐらいの時間やるのかな」、「カヴァーをやれば時間は持つよねー」、「あーそれ聞いてみたい」、などと開演前に知人と話していたら……。ステージ上にバンドとともに上がった彼は、おもむろにアカペラで「アイ・ワズ・ボーン〜」と、サム・クックの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」を歌い始める。うおおお。見事な、歌いっぷり。全部、有名曲のカヴァーでいいよーんと思っちゃいました。

 で、その後も、ボビー・ウォマック、ザ・ビートルズ、ウィルソン・ピケットなどの曲を交えつつ、これこそがR&Bヴォーカル、正統にまっすぐに歌えることはどんに素敵なことであるのかを伝えるようなパフォーマンスを展開する。うれしかったのは、アルバムはほのかに古いソウル表現に対するパロディみたいな感覚があったのに対し、生の彼はもっと迸る感覚とともにストレートな今っぽさがあったこと。

 興味深かったのはボブ・マーリーの「リデンプション・ソング」のカヴァー。マーリー曲のなかで今一番とりあげられる事が多いだろうこの人気曲は彼のラスト・アルバムの一番最後に置かれていて、生ギターの弾き型りによる異色曲だった。ようはレゲエ・ビートを介さないフォーキー曲なのだが、細いドレッド調の髪型をしたショウはそんな曲をわざわざレゲエ・ビートに直して披露していた。それから、オーティス・レディングの十八番曲「トライ・ア・リトル・テンダーネス」(実はこの曲、ティン・パン・アレイ派生の30年代初出の古い曲。ジャズやMOR系のシンガーが多数カヴァーしている。で、それらとの差異でオーティスすげえとなっちゃう)も堂々とりあげる。生に触れて、彼はビッグ・Oのこと好きなんだあと実感できた事もとってもうれしかったな。

 バンドはヌーノ・ベッテンコートを小柄にしたような白人ギタリストと、黒人のリズム・セクション。本来は鍵盤やホーン音を必要とするはずの伴奏をそんなに疑問を感じさせることなくまっとうした彼らは褒められていいと思う(そりゃ、もっと人数がいたほうがいいけど)。ときにハードなソロも披露したギター君はルックスがもろロッカーだったこともあり不評を呼んだようだが、きっちりブルージーな弾き方は抑えていたし、そんなに悪くないと思う。というか、ライアン・ショウにとって、もしかするとバンドに白人がいることはとても意味のあることではなかったか。というのも、ぼくが白黒混合の伴奏隊を見て想起せずにはいられなかったのはオーティス・レディングのバック・バンド/スタックスのハウス・バンドであるザ・MGズの有り様。オーティス・レディングはリベラルにスティーヴ・クロッパーら白人たちと協調して両手を大きく広げた怪物ソウル表現を作り上げていたわけで、ライアン・ショウが先達のそういう振る舞いに対するオマージュのようなものを抱いていても不思議ではないだろう。

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