ビョーク
2008年2月22日 日本武道館。九段下駅の最寄りの出口につながる地下階段部から大渋滞。うひょー。普段、武道館は車で行く(それは、会場周辺にいるダフ屋の無礼きわまりない汚いセールス文句を聞きたくないから、というのは大きい。あそこのギワクの駐車場;1999年4月24日参照;からだと、あの手の人たちに会うことなく会場入りできる)のでイマイチ最近の状況について不明なのだが、こんなに混むのか。まあ、イヴェント心をかき立てられる、という人もいるかもしれないが……。で、道すがらは、チケット売ってくださいと書いた紙を持つ人がけっこういる。やっぱ、そういうのに触れても、ビョーク(2001年12月5日)は特別銘柄なのだなと思わせられる。
ステージ上にチープに旗が何枚も垂れ下がっている以外(それは少し意味ありげ)は、そんなに凝った設定がなされているわけではない。場内暗転し、コスプレしたホーン隊(10人ほど。アイスランドの人たちのよう)が演奏しながら出てきて、ショウはスタートする。他にサポート・ミュージシャンは二人の機械オペレイト担当者(うち一人はLFOのマーク・ベルだったが、彼は誕生日だったよう。アンコールのとき、ビョークは「ハッピー・バースデイ」の曲をアイスランド語で彼にむけて歌う)、キーボーディスト、ドラム/打楽器奏者の4人。そして、不思議ちゃんな格好をしたビョークが出てくるわけだが、なんか出てきただけでワっと観客が大きく沸くのはよ〜く分かる。やっぱ、一瞥だけでも人をひきつける何かを彼女は発する。
今回のバッキング・サウンドは4人の奏者が出すデジタル色をうまく用いる硬めのサウンドに、多くの場合はホーン隊音が絡むというもの。テクノロジーと人間的なアナログ/手作り音をうまく重ねるというのはこれまでの公演でも志向するとおりだが、今回はくだけたホーン隊(彼らは、フリも楽しい)を用いての、ビョーク曲の再開示という感じだろうか。アンコールを含め20曲弱披露された曲はかつての有名曲から新作曲(4曲だったかな)まで、一応まんべんなく。
演奏時間は1時間半ぐらい。ぼくの耳には、今回のビョークの歌は声質が少し枯れ気味かなと感じる部分も。ちょいキーを外した部分が気になったときもあったかな。なんにせよ、かつて誇示した地声で空気を切り裂くようなパワーは減じてきているのは間違いなく、彼女も喉の衰えと向き合いながら自分の表現を作る年齢にそろそろなってきているのかもしれない(実際、新作『ヴォルタ』はそういう作りだった)。また、生身の奏者たちが音を出しているというノリは強くだしていたが、そこに宿る即興性や臨機応変さの濃度はそれほど高くはないのには、少し不満を覚えたりも。こちらの要求がどんどん高くなっているせいもあるだろうが、これまで触れた公演のなかでは一番得た感興は低かったコンサートだったのかな……。
なーんて書いちゃって,自分でもびっくり。だって、高揚し、楽しみ、感服したもの。やはり今年のベスト10公演に入れるだろうし。すごい才と気を発する人が思うまま人間や機械とからんでいる様は美しすぎる! そして、ショウを成り立たせるものすべてを掌握した末に出てきた表現は現代ポップ音楽として高みにあるものであり、ビョーク印100%なのだから! やっぱり、彼女は名実ともに特別銘柄だ。
ステージ上にチープに旗が何枚も垂れ下がっている以外(それは少し意味ありげ)は、そんなに凝った設定がなされているわけではない。場内暗転し、コスプレしたホーン隊(10人ほど。アイスランドの人たちのよう)が演奏しながら出てきて、ショウはスタートする。他にサポート・ミュージシャンは二人の機械オペレイト担当者(うち一人はLFOのマーク・ベルだったが、彼は誕生日だったよう。アンコールのとき、ビョークは「ハッピー・バースデイ」の曲をアイスランド語で彼にむけて歌う)、キーボーディスト、ドラム/打楽器奏者の4人。そして、不思議ちゃんな格好をしたビョークが出てくるわけだが、なんか出てきただけでワっと観客が大きく沸くのはよ〜く分かる。やっぱ、一瞥だけでも人をひきつける何かを彼女は発する。
今回のバッキング・サウンドは4人の奏者が出すデジタル色をうまく用いる硬めのサウンドに、多くの場合はホーン隊音が絡むというもの。テクノロジーと人間的なアナログ/手作り音をうまく重ねるというのはこれまでの公演でも志向するとおりだが、今回はくだけたホーン隊(彼らは、フリも楽しい)を用いての、ビョーク曲の再開示という感じだろうか。アンコールを含め20曲弱披露された曲はかつての有名曲から新作曲(4曲だったかな)まで、一応まんべんなく。
演奏時間は1時間半ぐらい。ぼくの耳には、今回のビョークの歌は声質が少し枯れ気味かなと感じる部分も。ちょいキーを外した部分が気になったときもあったかな。なんにせよ、かつて誇示した地声で空気を切り裂くようなパワーは減じてきているのは間違いなく、彼女も喉の衰えと向き合いながら自分の表現を作る年齢にそろそろなってきているのかもしれない(実際、新作『ヴォルタ』はそういう作りだった)。また、生身の奏者たちが音を出しているというノリは強くだしていたが、そこに宿る即興性や臨機応変さの濃度はそれほど高くはないのには、少し不満を覚えたりも。こちらの要求がどんどん高くなっているせいもあるだろうが、これまで触れた公演のなかでは一番得た感興は低かったコンサートだったのかな……。
なーんて書いちゃって,自分でもびっくり。だって、高揚し、楽しみ、感服したもの。やはり今年のベスト10公演に入れるだろうし。すごい才と気を発する人が思うまま人間や機械とからんでいる様は美しすぎる! そして、ショウを成り立たせるものすべてを掌握した末に出てきた表現は現代ポップ音楽として高みにあるものであり、ビョーク印100%なのだから! やっぱり、彼女は名実ともに特別銘柄だ。
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