セルジオ・メンデス
2008年2月7日 ウィル・アイ・アム(2001年2月7日、2004年2月11日、2007年8月8日)とのコラボレーションで見事にフロントラインに飛び出した(って書き方は、永遠の混合洗練ポッパーにはとても失礼になるかな)LA在住のブラジル人キーボード奏者/バンド・リーダー(2003年9月2日、2005年8月9日、2006年9月29日)のライヴを南青山・ブルーノート東京で見る(セカンド・ショウ)。その『タイムレス』の大ヒットを受けて前回の東京公演は国際フォーラムAやスタジオコーストなど大箱だったわけで、会場はもちろんフルハウス。
ラッパーなどを含む編成などはほぼ、その前回公演と同じ。近く出る同系新作に入っているハイパー・ヴァージョンのジョビン曲「三月の雨」などもやる。なんにせよ、メンデスはヴォーカル担当の奥さんともどもますます元気になっていると痛感。意気揚々。その新作もそうだが、エレピがよく聞こえるし、ステージではもっとうれしそうに歌をうたうようになったような。なお、今年は新作をフォロウするワールド・ツアーを大々的にやるはずで、それはまた大きな会場でするもののようだ。
ところで。うわわあ。ショウが終わり、ブルーノートの前の道を横切ろうと駆け出そうとしたとき、左足のふくろはぎに閃光がはしる。エっ。結論から言えば、肉離れ。なさけねえ。すぐにまっとうに歩けないことが判明。タクシーにて帰宅。なんと、かかとをつけて歩くことが出来ない。呆然、ぎっくり腰だって、経験したことがないのに。老いをおおいに感じる。運動不足、マジやべえ。翌日、銀座で御大を取材、ちゃんと歩けないが、クラッチを踏むのには問題ない。車を運転できてよかった。インタヴューの場所のホテル西洋は高級ホテルの矜持ゆえに、駐車場代をとらない。素晴らしい。
このホテルにくるのは、だいぶ前のクインシー・ジョーンズの取材時いらい。あまり、外タレは泊まらない所だな。最初に行ったのは、知人が結婚披露宴をやったとき。その際、新郎から世話になってる人に来てもらってご飯でも食べようと思うので(実際、世話したしな)……という電話をもらって軽い会合の気分で行ったら、マジなやつでギョギョギョ。もちろん、ちゃんとジャケットとかは着ていったけどノーネクタイだったし、会費制かと思ってご祝儀袋だって用意していなかった。祝儀受け付けがあるのを見て身が凍ったな。あ外しちゃったナと受け付けのおねーさんたちに照れ笑いとともに一言残し、そこをスルー。コノヤロー、何デチャント案内状ヲ送ラナカッタンダ……。ソウジャナイト、チャントシタ披露宴ダトハ思ワナイジャナイカ。でも、突っ張ったぼくは冷静を装い、クラクラしながらただ飯を食いました。考えてみれば、ぼくが出たなかであれが一番ハイソな結婚披露宴だったのかな。あー、シビレちゃう昔話。若い子には旅をさせろ……、ではないが小僧の時分だったからなんとか行けた話。今はもうそんなの無理。いや、場数踏んだぶん、もっと適切な打開策を思いつくだろうか。
話は飛んだが、肉離れで歩行困難気味、とうぶん移動など難儀しそう。全治2週間、時間が解決する。ということだが、当分ライヴ享受/遊びには影響を及ぼしそうだな。ぐすん。
ラッパーなどを含む編成などはほぼ、その前回公演と同じ。近く出る同系新作に入っているハイパー・ヴァージョンのジョビン曲「三月の雨」などもやる。なんにせよ、メンデスはヴォーカル担当の奥さんともどもますます元気になっていると痛感。意気揚々。その新作もそうだが、エレピがよく聞こえるし、ステージではもっとうれしそうに歌をうたうようになったような。なお、今年は新作をフォロウするワールド・ツアーを大々的にやるはずで、それはまた大きな会場でするもののようだ。
ところで。うわわあ。ショウが終わり、ブルーノートの前の道を横切ろうと駆け出そうとしたとき、左足のふくろはぎに閃光がはしる。エっ。結論から言えば、肉離れ。なさけねえ。すぐにまっとうに歩けないことが判明。タクシーにて帰宅。なんと、かかとをつけて歩くことが出来ない。呆然、ぎっくり腰だって、経験したことがないのに。老いをおおいに感じる。運動不足、マジやべえ。翌日、銀座で御大を取材、ちゃんと歩けないが、クラッチを踏むのには問題ない。車を運転できてよかった。インタヴューの場所のホテル西洋は高級ホテルの矜持ゆえに、駐車場代をとらない。素晴らしい。
このホテルにくるのは、だいぶ前のクインシー・ジョーンズの取材時いらい。あまり、外タレは泊まらない所だな。最初に行ったのは、知人が結婚披露宴をやったとき。その際、新郎から世話になってる人に来てもらってご飯でも食べようと思うので(実際、世話したしな)……という電話をもらって軽い会合の気分で行ったら、マジなやつでギョギョギョ。もちろん、ちゃんとジャケットとかは着ていったけどノーネクタイだったし、会費制かと思ってご祝儀袋だって用意していなかった。祝儀受け付けがあるのを見て身が凍ったな。あ外しちゃったナと受け付けのおねーさんたちに照れ笑いとともに一言残し、そこをスルー。コノヤロー、何デチャント案内状ヲ送ラナカッタンダ……。ソウジャナイト、チャントシタ披露宴ダトハ思ワナイジャナイカ。でも、突っ張ったぼくは冷静を装い、クラクラしながらただ飯を食いました。考えてみれば、ぼくが出たなかであれが一番ハイソな結婚披露宴だったのかな。あー、シビレちゃう昔話。若い子には旅をさせろ……、ではないが小僧の時分だったからなんとか行けた話。今はもうそんなの無理。いや、場数踏んだぶん、もっと適切な打開策を思いつくだろうか。
話は飛んだが、肉離れで歩行困難気味、とうぶん移動など難儀しそう。全治2週間、時間が解決する。ということだが、当分ライヴ享受/遊びには影響を及ぼしそうだな。ぐすん。
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