まず、P−ヴァインが送るフィンランド出身の自作派ブルー・アイド・ソ
ウル・シンガーのトゥオモを見る。キーボードを弾きながらバンドを従え、
柔和に歌う。良き隣人、てな風情あり。ときに、キラリとしたものが出そう
な感じが少しするときも。精進精進。渋谷・クラブクアトロ。

 会場には最近退任したブルース・インターアクションズ/P−ヴァインの
創設者でもあった会長と社長の姿も。ご隠居ですか? と、ねぎらいになら
ない言葉をそれぞれにかける。……なんか、時代がまた移り変わっていくの
を感じたかな。考えてみれば、ぼくが最初に原稿を書いた雑誌が旧ブラック
・ミュージック・リヴューだった。学生時代は雲の上のような存在に感じて
おり、故に社会人になって付き合いができたときはうれしかった。かつての
ブラック・ミュージック・リヴューやP−ヴァインのアナログから得たもの
のなんらかは確実にぼくの音楽観を規定しているとこがあるはずだし、ぼく
の原稿にも出ているはず。お世話さまでした。

 六本木に移動、ビルボードライブ東京で60年代後期〜70年代中期ロックの
立役者/水先案内人と言えるだろうアル・クーパー(2003年6月18日)を
見る(セカンド・ショウ)。60年代にボブ・ディラン、ザ・フー、ザ・ロー
リング・ストーンズ(2003年3月15日)、ジミ・ヘンドリックスらのレコー
ディングに参加し、またBS&Tを作りブラス・ロックの流れを導き、また
マイク・ブルームフィールドらと即興要素をロック界に持ち込まんとするス
ーパー・セッッション・ブームを演出し、70年代にはレイナード・スキナー
ドをデビューさせてサザン・ロックの流れを作った人……。が、そんな名声
なんかどうでもいいじゃん的なやれたじいさんの、初老の仲間たち(かつて
クーパーがボストンの学校で音楽を教えていたときの同僚という触れ込みだ
が、それほど腕が立つとは思えない)との、カヴァーも少なくない、ときに
ジャジーでもある(二管を擁する)、飾り気のないパフォーマンスを例によ
って披露。御大はギーボードだけでなく、途中はギターを弾きながら歌った
りも。最後の2曲では三味線の上妻宏光(2002年5月13日、2004年2月3日
)も加わる。それ、クーパーの求めで実現したらしい。そういえば、05年の
梅雨時に彼に取材したことがあったけど、ものすごいiTunes のヘヴィ・ユ
ーザーで、米国のインディ・バンドに詳しいのに驚かされたことがあったっ
け。上妻への興味もそれと繋がるものかもしれない。白人である自分がブル
ースやR&Bが好きで音楽をやってきただけ、その取材ではそういう趣旨の
発言を繰り返していたことも印象に残っている。

 

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