WOMEX07

2007年10月26日
 ところで、24日には、主催者/要人挨拶のあと、“Qawwali-Flamrnco
Concert"と題されたスペインのフラメンコ・グループとパキスタンのカッワ
ーリーのグループによる公演(それぞれのグループ名は資料には未記載)が
開かれた。なんじゃ、それ? ステージは半分づつにそれぞれ出演者の楽器
や椅子が置かれていて、最初に左半分ステージにフラメンコのグループが登
場。彼ら(女性も二人)は、生ギター、打楽器、歌、手拍子、ときの男性ダ
ンサーの計6 人。で、やるのはもろにフラメンコ。次は、入れ代わりでお揃
いの服を来た男性9人が登場。伝統楽器/音階を用いて、もろなカッワーリ
ーのヴァイヴで会場を染めていく。それぞれ、30分ぐらいやったあと、今度
は両者がステージで仲良く並ぶ。そして、スペイン勢が延々やったあと、そ
のままノンストップでパフォーマンスはパキスタン勢になんなく引きつがれ
……。そんなのが2曲ぐらいあったあと、ついに両者はもろに一緒に演奏し
だす。まさに両方のデコボコの最大公約数を巧みに重ねたようなその共同演
奏はそれなりなものとして、生理的にイヤなものとしてでなく成り立つ。へ
え〜。そんな、少し奇天烈だけど謎ではないパフォーマンスに接し(最後、
カッワーリー勢は女性と一緒に音楽できていいナという眼差しをフラメンコ
軍団に向けていた。なーんて)、ぼくは今のワールド・ミュージックを成り
立たせている“鍵”のようなものがここにはあるナと考えたりも。

 80年代後半、ワールド・ミュージックという括りが出てきたころは、自分
たちの物差し/価値観だけで音楽をやっていた“無意識な”音楽の担い手が
西側から主に拾い上げられ、魅力的なひっかりをもつ表現としてポップ音楽
愛好者に紹介された。だから、すでにそのころイナセな同時代ビート・ミュ
ージックとして認知されていたレゲエやサルサはワールド・ミュージックと
いう範疇からは離される事が多かったし、マルタン・メソニエのような翻訳
者が脚光を浴びたのだ。だが、あれから20年、より情報はイージーに伝搬し
やすくなり、基本インターネットだってどこだって使えるだろう。すると、
良くも悪くも今は“純潔”な感性で根っこと繋がった音楽をやることは困難
になっているし、皮膚感覚で自分たちの音楽が全然別の場所で受け入れられ
る予感を得たりもするのではないか。ドメスティックな感覚/立脚点を持ち
つつ、その一方では外の文化や様式を現地の彼らは認知し、それを無理なく
体内のどこかにに抱えている。自分たちのスタンダードともう一つの外の世
界を向いたスタンダード……。スペインのミュージシャンもパキスタンの伝
統音楽の担い手たちも、その両方をちゃんと持っており、外を向いたスタン
ダードを前に持ってくることで、あのとき彼らはソツなく重なることが出来
たのではないのかか。“Qawwali-Flamrnco Concert" に触れて、ぼくは
そんな事をしかと感じた。そして、二つのスタンダードを持つというのは、
今の多くの世界各地のワールド・ミュージックの担い手に共通していること
ではないのか。それは、我々がより容易に聞きやすいもの、面白いものとし
て、いろんなワールド・ミュージックが楽しめちゃう事に繋がっているはず
だ。

 内と外の二つの価値感〜二つの基準の拮抗・溶解という用件があってこそ成
り立つのが、現在のワールド・ミュージックではないだろうか。ぼくがWO
MEDで見たアクトたちも、そうした内実を持つ表現者たちだった。音楽的
には、そうした“二つのスタンダード”が併置されるあり方が進むと、逆に
ドメステック/土着なスタンダードの比率が重視される時代が来るのかもし
れないけれど。蛇足だが、60年代後期、そういう二つの基準をぶつけること
で多大な音楽的魅力を得た表現がフェラ・クティのアフロ・ビート表現であ
ったろう。そして、彼の表現は比較的容易に非アフリカ音楽ファンの耳を掴
み、今も根強く支持され、生命感を逞しく維持している……。

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