キース・ジャレット・トリオ
2007年5月8日 ジャレット(ピアノ)に、ゲイリー・ピーコック(ベース)とジャック・
ディジョネット(ドラム)という、もう25年続いているピアノ・トリオ。と
くに、チャールス・ロイド(2005年5月11日)に一緒に雇われていたジャレ
ットとディジョネットは40年来の付き合いとなるのだな(その後、二人は共
にマイルス電気バンドに入る)。ジャレットは相変わらず、唸り声と腰をク
ネクネのアクションをやりたい放題。ピーコックはあんなにぺにゃぺにゃし
たベース音を用いるんだけっか。と、思って昔のものを聞いたらけっこうそ
うだった。デイジョネットはそんなに叩かないが、普段つかっているものだ
ろう、ジャズ表現としては大きめのドラム・セットを使用。
上野・東京文化会館。天気が良く、早めに家を出て上野公園をちょい探索
。上野動物園にも入りたくなったりして。和みに来ている人や時間潰しの人
と近隣居住者(ホームレスともいう)が一緒にいる風景。というのはともか
く、やはり歴史を持つ場所を歩くのはいろいろと想像力が刺激されて楽しい
。とともに、上野公園の場合はほのかに懐かしい。小学校の6年間ずっと絵を
習っていて、別に才があったわけではないが上野の美術館に絵が飾られたこ
とがあって何度か来たことがあったのだ。なんか、甘酸っぱい。あのころは
何にでもなれるような気がしていた。だからこそ、逆に絵描きになりたいと
思ったりはしなかったはずだが。
前回(2001年4月30日)のときと、基本の感想はかわらない。名人たちに
よる、あっさり一筆書き演奏。今回は聞きどころ多いフリー・フォーム演奏
はなしで、より淡々とスタンダード曲を広げる演奏ばかり。張り詰めた、感
じは皆無。まったくもってEDジャズ。いや、仙人ジャズだな。ジャレットた
ちの名前がなかったら、ぼくはそれらをどう聞くのか。すごい大人の含みと
高尚さを持つトリオ演奏を聞かせる人達がいると感じ入るか。それとも、覇
気がねえ、何もったいつけて大御所ぶってんのと感じるか。まあ、その技量
は認めるだろうけど。
今回楽しみにしていたのは、観客の誰かが咳をゲホゲホしちゃわないかな
あ、ということ。ぼくは見にいってないが、彼らの04年のツアーだったか、
ジャレットは演奏中に咳をした観客に対して激怒、曲が終わるまでなぜ我慢
できないのかと、それをなじる説教MCを始めたのだという。仰天。今回ま
た、それを目の当たりにしたいなあと意地悪ゴコロに思ったわけ。自分はサ
カりのついた豚のような奇声を演奏しながらさんざん垂れ流しておいて、客
の我慢のきかない自然現象をなじるというメンタリティがぼくには全くわか
らない。クラシックならいざしらず(今、雑音の問題で客同士のいざこざが
絶えないらしいが)、ジャズはそれなりの雑音も認めてしかるべき音楽(そ
れに負けない音楽でもありますね)と考えるし、だからこそ奏者が自然に発
する声も味のあるものとして認められているはずなのに。第一、今の緩〜い
ジャレット表現は雑音を排するような緊張感はないわけだし。客席、寝てい
る人もいたのだろうけど、静かでした。残念!
ところで、3人は揃ってお辞儀をするのだが、アレはなんなのだろう。3
人並んで、両手をぶらりと下げて、深々とする。それ、毎度のこと。その生
理的に世間を嘗めているとも言えなくもない(ゆえに、ぼくは嫌いじゃない
です)ユーモラスなお辞儀の仕方は誰が提案したのか。で、お辞儀したあと
、ジャレットとディジョネットは合掌して、感謝の念を表す。禅にかぶれて
一時(70年代初頭)京都に住んでいた事があるピーコックは絶対、それはし
ない。
アンコールはステディなビートを用いるちょいゴスペル調の「ゴッド・ブ
レス・ザ・チャイルド」と瀟洒で美しい「ホエン・アイ・フォール・イン・
ラヴ」。その2曲がぼくは一番良かった。にこっ。実は、この日はジャレッ
トの62才の誕生日。スタンディング・オヴェイションはしても客からそれを
祝う声は上がらないし、本人はいたって普通にこなす。
ディジョネット(ドラム)という、もう25年続いているピアノ・トリオ。と
くに、チャールス・ロイド(2005年5月11日)に一緒に雇われていたジャレ
ットとディジョネットは40年来の付き合いとなるのだな(その後、二人は共
にマイルス電気バンドに入る)。ジャレットは相変わらず、唸り声と腰をク
ネクネのアクションをやりたい放題。ピーコックはあんなにぺにゃぺにゃし
たベース音を用いるんだけっか。と、思って昔のものを聞いたらけっこうそ
うだった。デイジョネットはそんなに叩かないが、普段つかっているものだ
ろう、ジャズ表現としては大きめのドラム・セットを使用。
上野・東京文化会館。天気が良く、早めに家を出て上野公園をちょい探索
。上野動物園にも入りたくなったりして。和みに来ている人や時間潰しの人
と近隣居住者(ホームレスともいう)が一緒にいる風景。というのはともか
く、やはり歴史を持つ場所を歩くのはいろいろと想像力が刺激されて楽しい
。とともに、上野公園の場合はほのかに懐かしい。小学校の6年間ずっと絵を
習っていて、別に才があったわけではないが上野の美術館に絵が飾られたこ
とがあって何度か来たことがあったのだ。なんか、甘酸っぱい。あのころは
何にでもなれるような気がしていた。だからこそ、逆に絵描きになりたいと
思ったりはしなかったはずだが。
前回(2001年4月30日)のときと、基本の感想はかわらない。名人たちに
よる、あっさり一筆書き演奏。今回は聞きどころ多いフリー・フォーム演奏
はなしで、より淡々とスタンダード曲を広げる演奏ばかり。張り詰めた、感
じは皆無。まったくもってEDジャズ。いや、仙人ジャズだな。ジャレットた
ちの名前がなかったら、ぼくはそれらをどう聞くのか。すごい大人の含みと
高尚さを持つトリオ演奏を聞かせる人達がいると感じ入るか。それとも、覇
気がねえ、何もったいつけて大御所ぶってんのと感じるか。まあ、その技量
は認めるだろうけど。
今回楽しみにしていたのは、観客の誰かが咳をゲホゲホしちゃわないかな
あ、ということ。ぼくは見にいってないが、彼らの04年のツアーだったか、
ジャレットは演奏中に咳をした観客に対して激怒、曲が終わるまでなぜ我慢
できないのかと、それをなじる説教MCを始めたのだという。仰天。今回ま
た、それを目の当たりにしたいなあと意地悪ゴコロに思ったわけ。自分はサ
カりのついた豚のような奇声を演奏しながらさんざん垂れ流しておいて、客
の我慢のきかない自然現象をなじるというメンタリティがぼくには全くわか
らない。クラシックならいざしらず(今、雑音の問題で客同士のいざこざが
絶えないらしいが)、ジャズはそれなりの雑音も認めてしかるべき音楽(そ
れに負けない音楽でもありますね)と考えるし、だからこそ奏者が自然に発
する声も味のあるものとして認められているはずなのに。第一、今の緩〜い
ジャレット表現は雑音を排するような緊張感はないわけだし。客席、寝てい
る人もいたのだろうけど、静かでした。残念!
ところで、3人は揃ってお辞儀をするのだが、アレはなんなのだろう。3
人並んで、両手をぶらりと下げて、深々とする。それ、毎度のこと。その生
理的に世間を嘗めているとも言えなくもない(ゆえに、ぼくは嫌いじゃない
です)ユーモラスなお辞儀の仕方は誰が提案したのか。で、お辞儀したあと
、ジャレットとディジョネットは合掌して、感謝の念を表す。禅にかぶれて
一時(70年代初頭)京都に住んでいた事があるピーコックは絶対、それはし
ない。
アンコールはステディなビートを用いるちょいゴスペル調の「ゴッド・ブ
レス・ザ・チャイルド」と瀟洒で美しい「ホエン・アイ・フォール・イン・
ラヴ」。その2曲がぼくは一番良かった。にこっ。実は、この日はジャレッ
トの62才の誕生日。スタンディング・オヴェイションはしても客からそれを
祝う声は上がらないし、本人はいたって普通にこなす。
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