スーパー・ボウルの日。ニューオリンズ・セインツが最後まで残ったら(
惜しかったな)、それこそマルディグラと重なってニューオリンズは常軌を
逸した大騒ぎになったろう。ちょい、それに触れたかったかも。プリンス(
2002年11月19日)がハーフタイム・ショウをした今回もまた、その音楽監
督はスティーヴ・ジョーダン(2005年11月13日、2006年11月20日、2006
年12月22日)がしたのだろうか。
昼さがり、1時すぎ。ティピティナズへ。なんでも、ティピティナズは日
曜昼にステージを開放、有名ミュージシャンが子供たちに無料で音楽を教え
るということをやっているのだという。この日はジョニー・ヴィダヴィッチ
が仕切るレッスンで、金曜の出演者に山岸潤史を加えた講師陣で事に当たる
。ヴィダコヴィッチ、山岸潤史、ポーターJr. は3人で一緒にトリオを組ん
でいて04年にはアジア・ツアーをやっていたりもするが、山岸は今回初めて
この催しに参加したようだ。
12時開始ということで、おおやってるやってる。ミュージシャンと生徒が
ステージにみんな上がっていて、パートごとに先生たちを囲んでいる。
生徒は小学校に入るか入らないかぐらいの子供から高校生のあたまぐらいの
小僧まで。人種は散っている。ステージ下には父兄がなごやかにその様子を
見ていたりするが、たまに写真を撮っている人はいても、ヴィデオを回して
いる人は皆無。これ、日本だったらヴィデオ・カメラがズラリと並ぶんだろ
うな。
そして、「シッシィ・ストラト」とか実際の有名曲やブルース・コード曲
を素材に個別にレッスンを受け、しばらくすると全体演奏になる。先生たち
はおだてて、木に登らせる。とくに、ヴィダコヴィッチは真剣そのもの、全
体演奏でも途中で止めて、アドヴァイスしたり、自ら叩いてみせたり。また
、年長の生徒が子供の面倒見て、一緒に叩いてあげたり。ああ、こうやって
セカンド・ライン・ビートは受け継がれていくんだな..... 感慨深し。見る
者にとっても、なんとも有意義な体験だった。
曲の途中で、ドラマーが変わったり、ソリストが変わったり。ウェズリ
ーはトロンボーン奏者だけでなくサックス奏者の面倒も見ている。全体演奏
のときウェズリーが曲に合わせて合いの手的なリフを入れ、それを生徒たち
が真似て音を重ねていく。すると、不思議、バラつきつつも様になったホー
ン・セクション音になっていくのだから。音楽って、本当に素敵だ。で、こ
ういうのに触れても、この界隈で管楽器奏者が多いんだろうなとも思う。
その最中、店の横をカラフルなオカマ集団のパレードが通る。ちゃんと、
予告される以外にも、こういうゲリラ的、身内乗り的なものはマルディグラ
期間中、随所で行われているのかもしれない。
3時少し前ぐらいに終了、フレッドとちょい立ち話をしていたら(「この
4月にジャボとクライドと一緒にコットンクラブ行くよ」、とのこと。東京
もすごいよな)、フレッドと一緒の写真を撮ってと言ってきたおねーちゃん
がいた。子供たちの親ではなさそうな感じ、聞けばコロラドから来ていると
いう。彼女はどうやってこの催しを知ったのか。で、日本ではダーティ・ダ
ズンとベネヴェント・ルッソ・デュオが一緒にやった(2005年2月28日)の
よねとか、やたら詳しい。ジュン(山岸)は私のなかで最高のギタリスト、
とかとも言う。やっぱり、ニューオリンズ音楽はそういうニューオリンズ外
に住むマニアックな人達に支えられているシーンでもあるんだろう、とも思
った。
このあと、被災地を回る。決壊した運河の横なども通る。さすが、いまだ瓦
礫が山積みということはないが、ときにいまだ破棄された生活関連品が見られ
たり樹木が倒れていたり、冠水で舗装道路がかなり痛んでいたりするところは
ある。すうっと、背筋が寒くなる。そして、なにより、空き家になっている
地域がものすごく沢山あり、戻ってない人が多く、相当人口が減っているだ
ろうことが判る。ちなみに、ハリケーン上陸前のニューオリンズの人口は50
万人弱とか。中心部/観光地は路面電車やバスなども走っているが、やっぱ
りニューオーオリンズは広いし、一般生活には車がないと駄目な街だとも感
じる。
ミシシッピー川(茶色です。車も積む渡しのフェリーは人だけだと無料。
約10分ぐらいだったかな、なんか乗ったら思いのほか感慨がわいたナ)と
湖にニューオリンズは挟まれているのだが、氾濫したのは湖側で、それゆ
え川側に面したフレンチクォーターは水につかってないというのも、恥ず
かしながら、ぼくは現地でちゃんと知った。また、貧困層の居住地が大打
撃を受けたと伝えられていたが、小綺麗な地区もかなりやられてもいる。途
中で、知り合いの知り合いの家にちょっと寄ったのだが、その家はかろうじ
て水につからなかったものの(でも、何かがぶつかって、屋根に穴が開いた
という)、ハリケーン上陸前に非難命令が出されて(ライフラインが復活し
ないこともあり)2ケ月間家に戻ることが出来なかったそう。まあ、そんなこ
んなで、本当に当事者にとってみればシャレになんない状況があったのだ。
比較的川側の上品な地区に住んでいる山岸は被害を受けてないし、3日
ほどの避難で済んだという。
惜しかったな)、それこそマルディグラと重なってニューオリンズは常軌を
逸した大騒ぎになったろう。ちょい、それに触れたかったかも。プリンス(
2002年11月19日)がハーフタイム・ショウをした今回もまた、その音楽監
督はスティーヴ・ジョーダン(2005年11月13日、2006年11月20日、2006
年12月22日)がしたのだろうか。
昼さがり、1時すぎ。ティピティナズへ。なんでも、ティピティナズは日
曜昼にステージを開放、有名ミュージシャンが子供たちに無料で音楽を教え
るということをやっているのだという。この日はジョニー・ヴィダヴィッチ
が仕切るレッスンで、金曜の出演者に山岸潤史を加えた講師陣で事に当たる
。ヴィダコヴィッチ、山岸潤史、ポーターJr. は3人で一緒にトリオを組ん
でいて04年にはアジア・ツアーをやっていたりもするが、山岸は今回初めて
この催しに参加したようだ。
12時開始ということで、おおやってるやってる。ミュージシャンと生徒が
ステージにみんな上がっていて、パートごとに先生たちを囲んでいる。
生徒は小学校に入るか入らないかぐらいの子供から高校生のあたまぐらいの
小僧まで。人種は散っている。ステージ下には父兄がなごやかにその様子を
見ていたりするが、たまに写真を撮っている人はいても、ヴィデオを回して
いる人は皆無。これ、日本だったらヴィデオ・カメラがズラリと並ぶんだろ
うな。
そして、「シッシィ・ストラト」とか実際の有名曲やブルース・コード曲
を素材に個別にレッスンを受け、しばらくすると全体演奏になる。先生たち
はおだてて、木に登らせる。とくに、ヴィダコヴィッチは真剣そのもの、全
体演奏でも途中で止めて、アドヴァイスしたり、自ら叩いてみせたり。また
、年長の生徒が子供の面倒見て、一緒に叩いてあげたり。ああ、こうやって
セカンド・ライン・ビートは受け継がれていくんだな..... 感慨深し。見る
者にとっても、なんとも有意義な体験だった。
曲の途中で、ドラマーが変わったり、ソリストが変わったり。ウェズリ
ーはトロンボーン奏者だけでなくサックス奏者の面倒も見ている。全体演奏
のときウェズリーが曲に合わせて合いの手的なリフを入れ、それを生徒たち
が真似て音を重ねていく。すると、不思議、バラつきつつも様になったホー
ン・セクション音になっていくのだから。音楽って、本当に素敵だ。で、こ
ういうのに触れても、この界隈で管楽器奏者が多いんだろうなとも思う。
その最中、店の横をカラフルなオカマ集団のパレードが通る。ちゃんと、
予告される以外にも、こういうゲリラ的、身内乗り的なものはマルディグラ
期間中、随所で行われているのかもしれない。
3時少し前ぐらいに終了、フレッドとちょい立ち話をしていたら(「この
4月にジャボとクライドと一緒にコットンクラブ行くよ」、とのこと。東京
もすごいよな)、フレッドと一緒の写真を撮ってと言ってきたおねーちゃん
がいた。子供たちの親ではなさそうな感じ、聞けばコロラドから来ていると
いう。彼女はどうやってこの催しを知ったのか。で、日本ではダーティ・ダ
ズンとベネヴェント・ルッソ・デュオが一緒にやった(2005年2月28日)の
よねとか、やたら詳しい。ジュン(山岸)は私のなかで最高のギタリスト、
とかとも言う。やっぱり、ニューオリンズ音楽はそういうニューオリンズ外
に住むマニアックな人達に支えられているシーンでもあるんだろう、とも思
った。
このあと、被災地を回る。決壊した運河の横なども通る。さすが、いまだ瓦
礫が山積みということはないが、ときにいまだ破棄された生活関連品が見られ
たり樹木が倒れていたり、冠水で舗装道路がかなり痛んでいたりするところは
ある。すうっと、背筋が寒くなる。そして、なにより、空き家になっている
地域がものすごく沢山あり、戻ってない人が多く、相当人口が減っているだ
ろうことが判る。ちなみに、ハリケーン上陸前のニューオリンズの人口は50
万人弱とか。中心部/観光地は路面電車やバスなども走っているが、やっぱ
りニューオーオリンズは広いし、一般生活には車がないと駄目な街だとも感
じる。
ミシシッピー川(茶色です。車も積む渡しのフェリーは人だけだと無料。
約10分ぐらいだったかな、なんか乗ったら思いのほか感慨がわいたナ)と
湖にニューオリンズは挟まれているのだが、氾濫したのは湖側で、それゆ
え川側に面したフレンチクォーターは水につかってないというのも、恥ず
かしながら、ぼくは現地でちゃんと知った。また、貧困層の居住地が大打
撃を受けたと伝えられていたが、小綺麗な地区もかなりやられてもいる。途
中で、知り合いの知り合いの家にちょっと寄ったのだが、その家はかろうじ
て水につからなかったものの(でも、何かがぶつかって、屋根に穴が開いた
という)、ハリケーン上陸前に非難命令が出されて(ライフラインが復活し
ないこともあり)2ケ月間家に戻ることが出来なかったそう。まあ、そんなこ
んなで、本当に当事者にとってみればシャレになんない状況があったのだ。
比較的川側の上品な地区に住んでいる山岸は被害を受けてないし、3日
ほどの避難で済んだという。
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