ニューヨーク、東京、名古屋、神戸と、4つの場のオースケスラ作を同日
に4種類出した、藤井“百手観音”郷子の東京オーケストラと名古屋オーケ
ストラの合同ライヴ。新宿・ピットイン。彼女はライヴも海外、日本問わず
いろいろやっていて、多分この<ライヴ三昧>でも一番登場しているんじゃ
ないかなあ。出演者は総勢28人とかで、大きくステージをはみ出した配置な
り。ピアノは置いてない。

 まず、オーケストラ名古屋の演奏。こちらは、番頭役の臼井康浩(200
5年11月28日、2005年12月11日)によるエレクトリック・ギターが入り、
ベースは電気だ。リズムの立ちにも留意した、冒険心のある大所帯ジャズ表
現……。指揮は藤井や田村夏樹や臼井がする。演奏が乱れ気味なところもあ
り、ありゃりゃと感じたところもあったけど。ただ、藤井という外と繋がっ
た“行動の人”が関与しているとはいえ、スウィング・ジャズ系の後ろ向き
なビッグ・バンドではないこういう集団を地方で維持していくのは大変だろ
うとも思うし、意義はデカいはず。サッカー・クラブがそれぞれの地に必要
なように、地方を拠点とする酔狂な音楽団体があるという事が大切なのだと
思う。地元の子供たちが彼らの演奏に触れる可能性が生まれるだろうし、彼ら
の演奏を見た子供のなかに年に一人でも前向きなジャズに夢中になる人が出
てきて……20年後に、名古屋は強腕ジャズ奏者を何人も排出するようになる
かもしれぬ、なんてことを夢想した。

 2部はオーケストラ東京(こっちは生のベース)。こちらでは普段藤井は
ピアノを弾くはずだが、今回は指揮のみに専念。でもそれもいいかも、びっ
くりするぐらい良かったから。酷い書き方になるかもしれないが、名古屋と
はタマが違うナと感じさせられもした。やっぱり、連続して聞いてしまうと
、その差は歴然と出てしまう。アンサンブル、リズムの設定、ソロ、バンド
員のサバけた態度(みんな、声を無礼講気味に出し合ったりして)、なにも
かもがうまく重なって、加速度や哲学を得た集合表現に昇華していく様をぼ
くは大堪能。当初は、もう少しフリー・ジャズ的なオーケストラの語彙から
抜けた新しい大地をもっと目指して欲しいなと思って聞いていたのだが、な
んか生理的に鼓舞されるものがあって、そんな疑問は途中からどーでもよく
なってしまった。いやあ、藤井オーケストラってこんなに良かったっけか、
なんて失礼な感想も得た。いや、そうじゃなく、この日のパフォーマンスは、
ぼくが見たジャズのビッグ・バンド表現のなかで一番共感できるものだった
のだと思う。藤井郷子オーケストラ東京、いま最高に乗りに乗っている!
自主制作のくだらねー(多分に、褒め言葉)多重録音CDを毎度おくってく
れる(ありがとうございます!)アルトの泉邦宏もいい味だしていた。

 で、3部は名古屋と東京が一緒のパフォーマンス。で、どーなることかと
思ったら、これが良い。ひゃひゃ、音がデカい。リズムも2ドラムス/2ベ
ースとなり、よりロッキッシュな感じでどどんと迫る。大きい事はいい事だ
、と無条件に思わすものあり? 書き下ろしで曲名も決まっていないという
曲をまずやったが、いい出来だった。そのとき、トロンボーン・セクション
は他人のソロのときにウェイヴ(一人つづ立って、それが流れていく)をや
ったり、別の箇所では皆でもぐら叩きのもぐらのようにランダムに立ち上が
ったり。ベース・ソロのときは、みんな思い思いに手拍子をしたり、楽器を
ボコボコ叩いたり。自由な発想と諧謔あり。マーシュー・ハーバード(20
00年9月15日)も刺激を受けまくる内容だったのは間違いない。

 残念に感じたのは、学生ふうの人を見かけなかったこと。大学のジャズ研
にいる人にとって、それはそれは刺激的にして、真似したくなる局面は多々
あるだろう出し物だと思うけどなあ。いったい、今のフルバンやっている青
年たちは何を聞いているのか。単に情報が行き届かないだけかもしれないが
、今日日のジャズ学生のアンテナの鈍さ/趣味の悪さを想起させられました。

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