オーネット・コールマン
2006年3月27日「よーし、今日はフリー・レッスンだ。この紙に<顔>と書いてごらん。(
ぼくが、FACE、と書く)。ふむ、これは顔という文字だが、一方ではF
−A−C−Eというコード進行であり……」
フリー・ジャズの開祖……。ぼくにとっても態度の師、最たる人であるオ
ーネット・コールマンがまたやってきた。来日は、01年に高松宮殿下記念・
世界文化賞(賞金が一千万、という話があったけか)というものものしい賞
をなぜか受けて、その授賞式のために来たとき以来。ぼくが過去に、この巨
人の演奏を見たのは3度と記憶する。一度はプライム・タイムを率いての86
年。それから、93年ごろだと思うのだが映画『裸のランチ』の映像に合わせ
て、トリオ編成で吹いたとき。そして、ウィズ・オーケストラ表現『アメ
リカの空』を日本のオーケストラとともに再演した98年。また、95年『トー
ン・ダイアリング』を出したさいにプロモーションで来日したときはインタ
ヴューすることができた(そのときは、さすが一緒に写真を撮ってもらった
な)。実は、冒頭のやりとりは、その取材時のものである。
直観派/たたき上げの人で学問を積んでいるようにも思えないが、とても
雄弁にして、雲を掴むような話をする人。聞く人によっては胡散臭いと感じ
るかもしれないが、そこはあの素朴な顔つきなんでだいぶその印象がぼくの
場合は和らぐ。本当に彼は鏡に絵が反射していくかのように、それは鮮やか
に話をぽんぽんと飛ばし連鎖させていく。その様は、こういう人だからこそ
、ああいう音楽をやるんだなと無条件に納得させるところもあったな。彼は
喋りぱなしながら、ときどきオマエはどう思うと問い掛けをしてもきた。そ
んな彼が一番嬉しそうな顔をしたのが、インタヴューの冒頭のほうでなんか
の流れから、「プライムタイムほどプログレッシヴなR&Bバンドを聞いた
ことがありません」とぼくが言ったとき。彼はニヤリとし、冒頭のフリー・
レッスンだぞという言葉に続いたのだった。その取材中に、ぼくの携帯電話
が鳴った。神経質なぼくゆえ(でも、ずぼらでいい加減なところも多々ある
が)電源を切らないはずがないのだけど、なぜかそのときは切るのを忘れて
いた。だが、その音を聞いて御大は、「ほーら、トーン・ダイアリングだ」
とその音も必然性があるように、柔らかい言葉を返してくれたっけ。
そんなオーネットの今回の実演は、2ベース(グレッグ・コーエンとトミ
ー・ファランガ。一人は主にアルコ弾き)、ドラム(息子のデナード)によ
るもの。昨年、ミネアポリスで行われた御大の75才を祝う“ザ・フェスティ
ヴァル・ダンシング・イン・ユア・ヘッド”で披露されたときと同じ面子に
よるもの。渋谷・オーチャードホール。
演奏は、当然のことながら鬼のように素晴らしかった。ぜんぜん衰えてお
らず、アメリカン・アートというしかない、その妙味=ハーモロディク理論
を下敷きとする演奏が、悠々と、風が舞うように繰り広げられる。コンセプ
トとといい、演奏といい、より深化し、輝いている部分もあったじゃないか
。ああ、夢心地。大感動。オーネットはときにトランペットやヴァイオリン
も例によって手にする。
終盤3曲(とアンコール1曲)は、前座で3曲ピアノ・ソロを披露した山
下洋輔が加わる。また、ラスト2番目の曲にはアヴァンギャルドな歌い方を
する日本人女性歌手も加わった。彼女、86年の来日公演にも加わったでしょ
という人がいたが、ぼくはぜんぜん記憶が残っていない。ま、大家ながら、
鷹揚なのもオーネットらしい。オーネットは基本的にピアノを表現に入れる
のを嫌う人だが、考えてみれば一応最近作となる96年に出されたオリジナル
・アルバム2枚(双子作)にはジュリ・アレン(2004年11月3日)が入って
いたんだよな。
ところで、95年の取材のとき、デナード・コールマンも同席していた。彼
は「マネイジャーのデナードです」と、ぼくに握手を求めてきた。控えめな
好漢。でも、彼は好奇心旺盛な男らしく、レコード会社の宣伝部門の女性(
実は93年の東京ドーム公演のとき、ボーノに壇上に上げられて一緒に踊った
人)に、いいクラブを教えて、いい日本のポップ・ミュージックを教えて
と、いろいろと訊ねてきたという。で、彼女は何も思い浮かばなくて、当時
ウルフルズがちょうどブレイクしていたときで、思わず「ウルフルズ」と言
ってしまったそうな。
デナードはウルフルズを聞いたのだろうか。
ぼくが、FACE、と書く)。ふむ、これは顔という文字だが、一方ではF
−A−C−Eというコード進行であり……」
フリー・ジャズの開祖……。ぼくにとっても態度の師、最たる人であるオ
ーネット・コールマンがまたやってきた。来日は、01年に高松宮殿下記念・
世界文化賞(賞金が一千万、という話があったけか)というものものしい賞
をなぜか受けて、その授賞式のために来たとき以来。ぼくが過去に、この巨
人の演奏を見たのは3度と記憶する。一度はプライム・タイムを率いての86
年。それから、93年ごろだと思うのだが映画『裸のランチ』の映像に合わせ
て、トリオ編成で吹いたとき。そして、ウィズ・オーケストラ表現『アメ
リカの空』を日本のオーケストラとともに再演した98年。また、95年『トー
ン・ダイアリング』を出したさいにプロモーションで来日したときはインタ
ヴューすることができた(そのときは、さすが一緒に写真を撮ってもらった
な)。実は、冒頭のやりとりは、その取材時のものである。
直観派/たたき上げの人で学問を積んでいるようにも思えないが、とても
雄弁にして、雲を掴むような話をする人。聞く人によっては胡散臭いと感じ
るかもしれないが、そこはあの素朴な顔つきなんでだいぶその印象がぼくの
場合は和らぐ。本当に彼は鏡に絵が反射していくかのように、それは鮮やか
に話をぽんぽんと飛ばし連鎖させていく。その様は、こういう人だからこそ
、ああいう音楽をやるんだなと無条件に納得させるところもあったな。彼は
喋りぱなしながら、ときどきオマエはどう思うと問い掛けをしてもきた。そ
んな彼が一番嬉しそうな顔をしたのが、インタヴューの冒頭のほうでなんか
の流れから、「プライムタイムほどプログレッシヴなR&Bバンドを聞いた
ことがありません」とぼくが言ったとき。彼はニヤリとし、冒頭のフリー・
レッスンだぞという言葉に続いたのだった。その取材中に、ぼくの携帯電話
が鳴った。神経質なぼくゆえ(でも、ずぼらでいい加減なところも多々ある
が)電源を切らないはずがないのだけど、なぜかそのときは切るのを忘れて
いた。だが、その音を聞いて御大は、「ほーら、トーン・ダイアリングだ」
とその音も必然性があるように、柔らかい言葉を返してくれたっけ。
そんなオーネットの今回の実演は、2ベース(グレッグ・コーエンとトミ
ー・ファランガ。一人は主にアルコ弾き)、ドラム(息子のデナード)によ
るもの。昨年、ミネアポリスで行われた御大の75才を祝う“ザ・フェスティ
ヴァル・ダンシング・イン・ユア・ヘッド”で披露されたときと同じ面子に
よるもの。渋谷・オーチャードホール。
演奏は、当然のことながら鬼のように素晴らしかった。ぜんぜん衰えてお
らず、アメリカン・アートというしかない、その妙味=ハーモロディク理論
を下敷きとする演奏が、悠々と、風が舞うように繰り広げられる。コンセプ
トとといい、演奏といい、より深化し、輝いている部分もあったじゃないか
。ああ、夢心地。大感動。オーネットはときにトランペットやヴァイオリン
も例によって手にする。
終盤3曲(とアンコール1曲)は、前座で3曲ピアノ・ソロを披露した山
下洋輔が加わる。また、ラスト2番目の曲にはアヴァンギャルドな歌い方を
する日本人女性歌手も加わった。彼女、86年の来日公演にも加わったでしょ
という人がいたが、ぼくはぜんぜん記憶が残っていない。ま、大家ながら、
鷹揚なのもオーネットらしい。オーネットは基本的にピアノを表現に入れる
のを嫌う人だが、考えてみれば一応最近作となる96年に出されたオリジナル
・アルバム2枚(双子作)にはジュリ・アレン(2004年11月3日)が入って
いたんだよな。
ところで、95年の取材のとき、デナード・コールマンも同席していた。彼
は「マネイジャーのデナードです」と、ぼくに握手を求めてきた。控えめな
好漢。でも、彼は好奇心旺盛な男らしく、レコード会社の宣伝部門の女性(
実は93年の東京ドーム公演のとき、ボーノに壇上に上げられて一緒に踊った
人)に、いいクラブを教えて、いい日本のポップ・ミュージックを教えて
と、いろいろと訊ねてきたという。で、彼女は何も思い浮かばなくて、当時
ウルフルズがちょうどブレイクしていたときで、思わず「ウルフルズ」と言
ってしまったそうな。
デナードはウルフルズを聞いたのだろうか。
コメント