映画『DIG!』。映画『Touch the Sound そこにある音』
2006年2月23日 うわ、2月はライヴ見てねえ。もともと数が多くない上に、外に出るのを
妨げようとする天候/気温のため直前に行くのを止めてしまったものもある
。遊びのほうを優先させた日もあるしな。この日の夜は音楽絡みの2本の映
画試写をハシゴ。京橋のメディアボックス試写室と渋谷・ユーロスペース(
引っ越して、新しくなった)。
まず、ビジネスをうまくやっていくことを要求される米国ロック・バンド
の普遍的模様を伝える、04年米国映画の『DIG!』。素材となるのはザ・
ブライアン・ジョーンズタウン・マサカーとザ・ダンディ・ウォーホルズ。
90年代中期には相当に密接な関係を持っていた二つの温故知新型の音楽性を
持つバンドを追いかけるドキュメンタリー作品で、オンディ・モナーという
女性監督によるもの。片方は天才と思い込むワンマン・リーダーのアントン
・ニューコムの超わがままな行動でビッグになるチャンスをどんどん潰して
いき、後者のほうはそれなりにうまく対応する。なんでも取材は7年もの間
に渡っているというが、よく両バンドとも撮影に協力したよな(ナレーショ
ンはダンディ・ウォーホルズのリーダーのコートニー・テイラーが担当する
)。けっこう、赤裸々な映像が出てきたりし(ドラッグ&ロックンロールは
出てきても、セックスのほうは皆無)、両バンドにとって一般的にプラスに
なるとは思えないもの。前者は見ようによっては只の勘違いで性格の悪い大
バカだし、ダンディ・ウォーホルズは対比的に立ち回りの上手いコスい連中
という印象を与える。まあ、両バンドとも太っ腹といえば、そうかもしれ
ぬが……。ともあれ、この映画が示すのは、ロックとはバカ者の音楽であり
、諸々とうまく折り合いをつけなきゃなかなかのし上がれない芸商売ってこ
とでしょうか。そうであっても、いいものはいいのダ、とぼくは思う。ロッ
ク・ファンは産業のあり方や裏側を知ることを含め、見ても損はないでしょ
う。
ところで、ザ・ブライアン・ジョーンズタウン・マサカーの99年3月の日
本公演が彼らのハイライトだったみたいな言い方もちらりと映画ではされる
。その、ゆるゆるで呪術的でもあり不思議な感興を与えた来日時のパフォー
マンスはよく覚えるている。彼らはそのときマーキュリー・レヴの前座(新宿
・リキッドルーム)と単独公演(渋谷・クラブクアトロ)をやった。ぼくは
新宿・リキッドルームのほうに行ったのだが、マーキュリー・レヴ(200
1年12月17日)の演奏が始まってからも知人とロビーでちょい話していたら
、そこに割り込んできた外国人がいたのだ。なんとそいつら、ザ・ブライア
ン・ジョーンズタウン・マサカーのメンバーたち。「日本はとっても厳しく
て、クスリが手に入りにくいことは知っている。でも、葉っぱでいいから欲
しいんだよねえ。なんとかならないか、後生だから」。と、ゆーよーなこと
を、彼らは言ってきたのだ。人懐こい感じで、そのときの印象は悪くない。
それにしても、アイツらはこういう連中で、その後ああなっていたのか。
でも、最後に映し出されるようにアントン・ニューコム/ザ・ブライアン・
ジョーンズタウン・マサカーはまだちゃんと存在している。一方、ダンディ
・ウォーホルズはその後セル・フォーンの欧州TV−CFに曲が使われたこ
ともあり、ヨーロッパではよりビッグなバンドになった。00年以降、クロスビ
ート誌からはなぜか2作品もアルバム・レヴューを頼まれて書いているよな
。でも、彼らはまだ日本の地を踏んでいない。
もう一つの、『そこにある音』は04年のトーマス・リーデルシェイマーと
いう人の監督/撮影によるドイツ作品。聴覚障害を持つ(8歳ごろから聴力
が落ちたという)女性打楽器奏者のイヴリン・グレイニーのことを扱った、
こちらもドキュメンター映画。おお、この人のこと、ぼくはドイツのメルス
・ジャズ祭(2004年5月31日)で見ているじゃないか。そのときはフレッド・
フリスとのデュオ演奏だったが、こちらもいい味出しているフリス(ケルン)
やオラシオ・エルナンデス(NY;2000年1月12日、2001年5月15日、2002年12月27日、2003年8月9日、2004年4月5日)や鬼太鼓座(富士市)など
との共演映像(括弧内はその演奏を行った場所)が出てくる。他にもいくつ
かの所に行って音を出したり、街や自然の音を感じたり、自己語りをしたり。
当然のことながら、我々とは異なる感覚や音楽観を持つ彼女を通して、音や
音楽の意味、自由な感性や感覚のあり方なんかを考えさせる映画と言うこと
も可能だろうか。スタイリッシュというか、かなり臭い映像構成が示される
場合もあるが、見る者をいろいろと考えさせ、触発させる内容であるのは間
違いない。グレイニーはクラシック畑の人だがとても自由でしなやか、その
ことも大きく印象に残る。
なんとなく、映画を見ながら“音の行方なるもの”を考えているうちにふ
と、この2月14日に亡くなってしまったUKソウル・マンのリンデン・デイ
ヴィッド・ホール(1999年7月31日、2001年4月24日)のことを思
い出す。このコーナーでは、ライヴとのなんらかの繋がりがあれば当然記す
けど、それほど鬼籍入りしたミュージシャンのことを熱心に書いたりはして
いない。だけど、ウィルソン・ピケット(1941〜2006年)と異なりホー
ルの死はそれほど報道されてないだろうし、ここに書き留めておこう。昨年
出た新作をBMR誌のベスト10に入れといて良かったと思うぼくはやはり浪花
節的感性の持ち主なのだろうか。そういうの、かなり嫌うタイプだと思って
いるが。
死去と言えば、1月末にプロモーション来日したデイヴィッド・シルヴィ
アン(2004年4月24日)の取材時には昨年のクリスマスに亡くなったデレ
ク・ベイリーとのことでひとしきり盛り上がった。なんでも、ロンドンで亡
くなったと報じられている彼はシルヴィアンと絡んだ(『ブレミッシュ』)
後、スペインのバルセロナに引っ越して新たな表現を練っていたのだそう。
妨げようとする天候/気温のため直前に行くのを止めてしまったものもある
。遊びのほうを優先させた日もあるしな。この日の夜は音楽絡みの2本の映
画試写をハシゴ。京橋のメディアボックス試写室と渋谷・ユーロスペース(
引っ越して、新しくなった)。
まず、ビジネスをうまくやっていくことを要求される米国ロック・バンド
の普遍的模様を伝える、04年米国映画の『DIG!』。素材となるのはザ・
ブライアン・ジョーンズタウン・マサカーとザ・ダンディ・ウォーホルズ。
90年代中期には相当に密接な関係を持っていた二つの温故知新型の音楽性を
持つバンドを追いかけるドキュメンタリー作品で、オンディ・モナーという
女性監督によるもの。片方は天才と思い込むワンマン・リーダーのアントン
・ニューコムの超わがままな行動でビッグになるチャンスをどんどん潰して
いき、後者のほうはそれなりにうまく対応する。なんでも取材は7年もの間
に渡っているというが、よく両バンドとも撮影に協力したよな(ナレーショ
ンはダンディ・ウォーホルズのリーダーのコートニー・テイラーが担当する
)。けっこう、赤裸々な映像が出てきたりし(ドラッグ&ロックンロールは
出てきても、セックスのほうは皆無)、両バンドにとって一般的にプラスに
なるとは思えないもの。前者は見ようによっては只の勘違いで性格の悪い大
バカだし、ダンディ・ウォーホルズは対比的に立ち回りの上手いコスい連中
という印象を与える。まあ、両バンドとも太っ腹といえば、そうかもしれ
ぬが……。ともあれ、この映画が示すのは、ロックとはバカ者の音楽であり
、諸々とうまく折り合いをつけなきゃなかなかのし上がれない芸商売ってこ
とでしょうか。そうであっても、いいものはいいのダ、とぼくは思う。ロッ
ク・ファンは産業のあり方や裏側を知ることを含め、見ても損はないでしょ
う。
ところで、ザ・ブライアン・ジョーンズタウン・マサカーの99年3月の日
本公演が彼らのハイライトだったみたいな言い方もちらりと映画ではされる
。その、ゆるゆるで呪術的でもあり不思議な感興を与えた来日時のパフォー
マンスはよく覚えるている。彼らはそのときマーキュリー・レヴの前座(新宿
・リキッドルーム)と単独公演(渋谷・クラブクアトロ)をやった。ぼくは
新宿・リキッドルームのほうに行ったのだが、マーキュリー・レヴ(200
1年12月17日)の演奏が始まってからも知人とロビーでちょい話していたら
、そこに割り込んできた外国人がいたのだ。なんとそいつら、ザ・ブライア
ン・ジョーンズタウン・マサカーのメンバーたち。「日本はとっても厳しく
て、クスリが手に入りにくいことは知っている。でも、葉っぱでいいから欲
しいんだよねえ。なんとかならないか、後生だから」。と、ゆーよーなこと
を、彼らは言ってきたのだ。人懐こい感じで、そのときの印象は悪くない。
それにしても、アイツらはこういう連中で、その後ああなっていたのか。
でも、最後に映し出されるようにアントン・ニューコム/ザ・ブライアン・
ジョーンズタウン・マサカーはまだちゃんと存在している。一方、ダンディ
・ウォーホルズはその後セル・フォーンの欧州TV−CFに曲が使われたこ
ともあり、ヨーロッパではよりビッグなバンドになった。00年以降、クロスビ
ート誌からはなぜか2作品もアルバム・レヴューを頼まれて書いているよな
。でも、彼らはまだ日本の地を踏んでいない。
もう一つの、『そこにある音』は04年のトーマス・リーデルシェイマーと
いう人の監督/撮影によるドイツ作品。聴覚障害を持つ(8歳ごろから聴力
が落ちたという)女性打楽器奏者のイヴリン・グレイニーのことを扱った、
こちらもドキュメンター映画。おお、この人のこと、ぼくはドイツのメルス
・ジャズ祭(2004年5月31日)で見ているじゃないか。そのときはフレッド・
フリスとのデュオ演奏だったが、こちらもいい味出しているフリス(ケルン)
やオラシオ・エルナンデス(NY;2000年1月12日、2001年5月15日、2002年12月27日、2003年8月9日、2004年4月5日)や鬼太鼓座(富士市)など
との共演映像(括弧内はその演奏を行った場所)が出てくる。他にもいくつ
かの所に行って音を出したり、街や自然の音を感じたり、自己語りをしたり。
当然のことながら、我々とは異なる感覚や音楽観を持つ彼女を通して、音や
音楽の意味、自由な感性や感覚のあり方なんかを考えさせる映画と言うこと
も可能だろうか。スタイリッシュというか、かなり臭い映像構成が示される
場合もあるが、見る者をいろいろと考えさせ、触発させる内容であるのは間
違いない。グレイニーはクラシック畑の人だがとても自由でしなやか、その
ことも大きく印象に残る。
なんとなく、映画を見ながら“音の行方なるもの”を考えているうちにふ
と、この2月14日に亡くなってしまったUKソウル・マンのリンデン・デイ
ヴィッド・ホール(1999年7月31日、2001年4月24日)のことを思
い出す。このコーナーでは、ライヴとのなんらかの繋がりがあれば当然記す
けど、それほど鬼籍入りしたミュージシャンのことを熱心に書いたりはして
いない。だけど、ウィルソン・ピケット(1941〜2006年)と異なりホー
ルの死はそれほど報道されてないだろうし、ここに書き留めておこう。昨年
出た新作をBMR誌のベスト10に入れといて良かったと思うぼくはやはり浪花
節的感性の持ち主なのだろうか。そういうの、かなり嫌うタイプだと思って
いるが。
死去と言えば、1月末にプロモーション来日したデイヴィッド・シルヴィ
アン(2004年4月24日)の取材時には昨年のクリスマスに亡くなったデレ
ク・ベイリーとのことでひとしきり盛り上がった。なんでも、ロンドンで亡
くなったと報じられている彼はシルヴィアンと絡んだ(『ブレミッシュ』)
後、スペインのバルセロナに引っ越して新たな表現を練っていたのだそう。
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