代官山・ユニット。すごく湿度の高い日、家から会場まで20分強歩いていっ
たらもう汗だく。うぎい。着いたら、パニック・スマイル(2001年9月22日)
は終わっていた。しばらくして、ザゼン・ボーイズ。ナンバーガール(199
9年12月22日、20001年2月13日、他)はある雑誌でよくインタヴュー
していたせいもあって何度も見ていたが、ザゼンをちゃんと見るのは初めてと
なるのか? やっぱり、向井秀徳は特異なというか、興味深い存在。彼の個性
/言語感覚とパンク・ファンク語彙が掛け合わせられる。
 
 で、ジェイムズ・チャンス。まさか、この人を日本で見られるとは……って
、軽い感慨を覚えるよなあ。学生時代、パンク・ジャズにはまり追いかけたな
かの印象深い一人だもの(ZEレーベルも好きだが、それは彼がいたからこそ
。あとは、オーガスト・ダーネル/キッド・クリオールもそうだけど)。ひし
ゃげ、こわれ、情けなくなったJBプラス・ジャズ的α。アルト・サックス(
ときに、キーボードも)と歌の本人に加え、ギター、ベース、ドラム。ドレミ
を吹けるようになる前に、嘶きのやり方の練習をしたんじゃないかというアル
トのブロウを聞いてふふふ。基本的なノリや引出しは四半世紀前と変わりがな
いが(身体は太くなったものの。けっこう、小柄な人なのだな)、それはそれ
でいいじゃないかともぼくは思えた。ただ、彼のライヴを見ながら、やっぱり
白人は得だよなあとも感じる。別にチャンスさんをくさすわけではなく。だっ
て、彼と重なったりしていたディザズを率いていたルーサー・トーマスなんて
全然話を聞かないもの。

 この日は3日間の最終日、オープニング・アクト勢の人気でどの日も盛況だ
ったよう(他の日はデート・コース〜:1999年12月22日他、レックと大
友良英と中村達也:2005年4月26日。今回はフリクション曲で疾走したようだ
!)。1時間ちょいぐらいだったかな、実演が終わると、白いタキシードみた
いなのを着ていたチャンスはとうぜんのこと、痩身の嫁(実演の間は、ステー
ジそででノリノリで見守る)のほうも着替えていた。なんでも、オフの彼は子
供のような人で、それを奥さんが母親のようにきっちりケアするのだという。
今回のザ・コントーションズのベースはザ・ラウンジ・リザーズで鳴らした敏
腕のエリック・サンコ。非常にニューヨーカーらしい雰囲気を持つ、恰好いい
人。彼にちょいザ・ラウンジ・リザーズのことを尋ねたらジョン・ルーリーは
今音楽をやってないとのことで、その分スケルトン・キーで頑張りたいみたい
なこと言ってたっけな? その後、いっぱい飲んじゃってよく覚えてないや。

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