ティム・リース
2005年7月3日 99年以降、ザ・ローリング・ストーンズ(2003年3月15日)のツアーで
ホーン・セクションの一員を務めているリード奏者がリースだ。北テキサス大
学他、米国における最高クラスのジャズ教育を受け、80年代前半にメイナード
・ファーガソン楽団を入口にジャズ/セッション業界に入った人物。円満で落
ちついていて、ちょい坊ちゃんぽい感じも与えるもするか。「あまりポップ・
ミュージックには浸っていない。でも、ストーンズ命じゃないからこそ、スト
ーンズの面々は僕のことを気に入ってくれたんじゃないかな」とは本人の弁だ
。ストーンズの前回ツアーをまとめたライヴ盤『ライヴ・リックス』にはキー
ス・リチャーズが歌うジャズ・スタンダード「ニアレス・オブ・ユー」が収録
されているが、リチャーズが(チャーリー・ワッツの次にジャズ好きなのは彼
であるという)その曲をやりたいと急に言いだして、泊まっていたホテルの部
屋にホーン・セクションが呼ばれてアレンジしたのだという。そして、リース
は同ツアーをやっているうちにストーンズの曲を自分なりに繙きたくなって、
ビル・フリゼール(2000年7月21日)やブライアン・ブレイド(2000
年12月6日)からノラ・ジョーンズ(2002年5月20日、2002年9月21
日、2004年1月19日)やシェリル・クロウ(1999年10月16日、200
2年10月21日)、もちろんワッツ(2001年10月31日)やリチャーズらも入
ったストーンズ・カヴァー集を作ってしまう。米国では暇を見て何度かそのノ
リ(面子は純ジャズ・マンのみ)でライヴを彼はやっていたりする。
六本木・スイートベイジル136 。当人に加えギター、生ベース、ドラム(彼
のみ、黒人。まだ24才とか)という布陣によるもので、ピアノはときに少しだ
けリースが弾く。NYのジャズ・スタンダード(2004年9月13日)での過去
ライヴではビル・チャーラップがちゃんと弾いていたはずで、いわば片肺と言
えるものではあったろう。クリス・クロス他に5枚リーダー作を残すリースで
はあるが、この日はすべてストーンズ曲を演奏する。本人はそのストーンズ・
プロジェクトをサックス奏者だけでなくアレンジーとしての自分を大きく出し
たものと言っていたが、洗練されたオトナの感性でストーンズ曲を開こうとし
ていたのは間違いない。イヤな感じはなし、ただもう少し爆発的だっり、グル
ーヴィだったりするほうが個人的には好みではあるが。学生時代、一番コピー
したことがあるバンドなので、一言もちたくなってしまいますね。さすが、リ
ースの各種サックス演奏は流麗ではありました。
それから、特筆したいと思ったのは3分の1強ぐらいで歌っていたバーナー
ド・ファウラーの歌の聞き味の良さ。器用だけど味の軽い広角派シンガーとい
うイメージをぼくはずっと持っていたが、声の輪郭がはっきりしていて、すう
っと気持ちが聞く側に入ってくるなかなかの歌い手だとぼくは感じた。前回
ストーンズのサポートで来日した際のシークレット・ギグ(2003年3月13
日)ではそんなふうには感じなかったのだが。80年代前半以降ビル・ラズウェ
ルの舎弟といった感じでいろんなセッョンに関わるようになり、ロン・ウッド
の92年作『スライド・オン・ディス』を共同でプロデュースしていたりもする
彼は当然のことながら関わったアルバムは山ほどあるものの正規リーダー・ア
ルバムはない。ニッケルバックという名義でスティーヴィ・サラス(2004年8月3日)との双頭ユニット作品を10年ぐらい前にポニーキャニオンから出したことがあったと記憶はするが(それ、もちろんロードランナー所属のバンドとは別モノね)。自分のアルバムを1枚ぐらい作っても良いんではないか、その実演に触れながらぼくはそう思った。
リース(とファウラー)はまたストンーズのツアーにかりだされる。
ホーン・セクションの一員を務めているリード奏者がリースだ。北テキサス大
学他、米国における最高クラスのジャズ教育を受け、80年代前半にメイナード
・ファーガソン楽団を入口にジャズ/セッション業界に入った人物。円満で落
ちついていて、ちょい坊ちゃんぽい感じも与えるもするか。「あまりポップ・
ミュージックには浸っていない。でも、ストーンズ命じゃないからこそ、スト
ーンズの面々は僕のことを気に入ってくれたんじゃないかな」とは本人の弁だ
。ストーンズの前回ツアーをまとめたライヴ盤『ライヴ・リックス』にはキー
ス・リチャーズが歌うジャズ・スタンダード「ニアレス・オブ・ユー」が収録
されているが、リチャーズが(チャーリー・ワッツの次にジャズ好きなのは彼
であるという)その曲をやりたいと急に言いだして、泊まっていたホテルの部
屋にホーン・セクションが呼ばれてアレンジしたのだという。そして、リース
は同ツアーをやっているうちにストーンズの曲を自分なりに繙きたくなって、
ビル・フリゼール(2000年7月21日)やブライアン・ブレイド(2000
年12月6日)からノラ・ジョーンズ(2002年5月20日、2002年9月21
日、2004年1月19日)やシェリル・クロウ(1999年10月16日、200
2年10月21日)、もちろんワッツ(2001年10月31日)やリチャーズらも入
ったストーンズ・カヴァー集を作ってしまう。米国では暇を見て何度かそのノ
リ(面子は純ジャズ・マンのみ)でライヴを彼はやっていたりする。
六本木・スイートベイジル136 。当人に加えギター、生ベース、ドラム(彼
のみ、黒人。まだ24才とか)という布陣によるもので、ピアノはときに少しだ
けリースが弾く。NYのジャズ・スタンダード(2004年9月13日)での過去
ライヴではビル・チャーラップがちゃんと弾いていたはずで、いわば片肺と言
えるものではあったろう。クリス・クロス他に5枚リーダー作を残すリースで
はあるが、この日はすべてストーンズ曲を演奏する。本人はそのストーンズ・
プロジェクトをサックス奏者だけでなくアレンジーとしての自分を大きく出し
たものと言っていたが、洗練されたオトナの感性でストーンズ曲を開こうとし
ていたのは間違いない。イヤな感じはなし、ただもう少し爆発的だっり、グル
ーヴィだったりするほうが個人的には好みではあるが。学生時代、一番コピー
したことがあるバンドなので、一言もちたくなってしまいますね。さすが、リ
ースの各種サックス演奏は流麗ではありました。
それから、特筆したいと思ったのは3分の1強ぐらいで歌っていたバーナー
ド・ファウラーの歌の聞き味の良さ。器用だけど味の軽い広角派シンガーとい
うイメージをぼくはずっと持っていたが、声の輪郭がはっきりしていて、すう
っと気持ちが聞く側に入ってくるなかなかの歌い手だとぼくは感じた。前回
ストーンズのサポートで来日した際のシークレット・ギグ(2003年3月13
日)ではそんなふうには感じなかったのだが。80年代前半以降ビル・ラズウェ
ルの舎弟といった感じでいろんなセッョンに関わるようになり、ロン・ウッド
の92年作『スライド・オン・ディス』を共同でプロデュースしていたりもする
彼は当然のことながら関わったアルバムは山ほどあるものの正規リーダー・ア
ルバムはない。ニッケルバックという名義でスティーヴィ・サラス(2004年8月3日)との双頭ユニット作品を10年ぐらい前にポニーキャニオンから出したことがあったと記憶はするが(それ、もちろんロードランナー所属のバンドとは別モノね)。自分のアルバムを1枚ぐらい作っても良いんではないか、その実演に触れながらぼくはそう思った。
リース(とファウラー)はまたストンーズのツアーにかりだされる。
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