ブラッド・メルドー
2005年2月20日 前回来日公演(2003年2月15日)と同様に墨田トリフォニー・ホールでのソ
ロ・パフォーマンス。で、そのとき指摘しているように、この人はリズム・セ
クションを必要とする人で、ソロだと魅力は半減する(文字通りに!)。だが
、今回メルドーはサイド・マンとともに来日し、地方公演ではちゃんとトリオ
編成でやっているのだという。それなのに、なぜ東京だけはソロ演奏の公演で
しかやらないのか。そりゃ、普段と異なることをやるというのは本人にとって
も変化が出てウェルカムではあるだろう。ましてや、彼の近作は前回の来日時
に同ホールで録られたライヴ盤であるし。でも、魅力が落ちるものは落ちる(
と思う人はけっこういる。少なくても、僕の回りでは)。1部はソロ、2部は
トリオという構成のショウにはできなかったのか。
で、実際、演奏が始まるとなんとなくつまらない。飽きる。前回と違い、よ
く指裁きが見えるところから見ていたにも係わらず。妙にクラシックっぽいと
ころも鼻につくし……。根暗であることも、マイナスの情緒としてより増幅さ
れる。それから、前回も思ったが、ホールに合わせて遠目には小綺麗になって
んだよなあ。ヨレた恰好で刺青見せながら、くわえ煙草で演奏していたブルー
ノート公演(2002年3月19日)が懐かしい。ファースト・セット終了後の休憩
時、普段はあまりジャズを聞いてなさそうだが昔から彼の姿勢が好きなんです
と言う女史に「おい、つまんねえなあ」と話しかけ、大いに顰蹙を買う。
で、2部。へえ、こんなことってあるんだあ。聞き味が、1部と違って聞こ
える。闊達。ぜんぜん、良い。遙かに上質。ザ・ビートルズ、レイディオヘッ
ド、ポール・サイモンなどポップ系の曲をいろいろやったからかもしれぬが(
蛇足だが、彼の女房はオランダ人のフルーリーンという歌手で、ジャズとポッ
プを行き来するようなことをやっている)、その変化の流れ具合がとっても興
味深く聞こえる。ニコっと指裁きを追える。ほう、とんでもなく指が動くぢゃ
んと素直に共感できる。でも、1部と2部でこれほど感じが違っていいの?
人間が素直なところでやる芸とはそういうものかもしれぬが。2部の演奏なら
、拍手で彼を認めます。これなら、お金も払える。
ところで、クラシック系ホールの常でアンコールを要求する声はしつこい。
3回目に出てきたときはしょうがねえなあといった感じで彼は「リクエストは
」と問う。それが、彼が唯一ステージ上で発した言葉だ。そして、観客の声
に従ったかどうかは知らないが、セロニアス・モンクの「モンクス・ドリーム
」を披露。これも良かった。その後も、アンコールを求める拍手はやまず。だ
が、ステタンディング・オヴェイションする人はそれほど多くない。いかに、
シャクティのときの公演(2005年1月31日)の光景は例外であったかを再確認
した。
ところで、パフォーマンスを見ていてぼくがなんとなく思ったのは、キース
・ジャレットがフリー・フォームのピアノ・ソロ集をごんごん出していたとき
、たとえば日本で『サンベア・コンサート』を録っていたときって、今のメル
ドーぐらいの年齢だったのかなあということ。満員の客の前でソロ・ピアノを
披露する彼を見ながら、日本で彼は第2のキース・ジャレット的な位置=平た
く言ってしまえば、ピアノの貴公子的な色彩も帯びた、非ジャズ層をも取り込
むジャズ文化人/名士というブランドを獲得できるだろうかと考えた。……今
回のパフォーマンスもまたライヴ盤化されたりして。
ロ・パフォーマンス。で、そのとき指摘しているように、この人はリズム・セ
クションを必要とする人で、ソロだと魅力は半減する(文字通りに!)。だが
、今回メルドーはサイド・マンとともに来日し、地方公演ではちゃんとトリオ
編成でやっているのだという。それなのに、なぜ東京だけはソロ演奏の公演で
しかやらないのか。そりゃ、普段と異なることをやるというのは本人にとって
も変化が出てウェルカムではあるだろう。ましてや、彼の近作は前回の来日時
に同ホールで録られたライヴ盤であるし。でも、魅力が落ちるものは落ちる(
と思う人はけっこういる。少なくても、僕の回りでは)。1部はソロ、2部は
トリオという構成のショウにはできなかったのか。
で、実際、演奏が始まるとなんとなくつまらない。飽きる。前回と違い、よ
く指裁きが見えるところから見ていたにも係わらず。妙にクラシックっぽいと
ころも鼻につくし……。根暗であることも、マイナスの情緒としてより増幅さ
れる。それから、前回も思ったが、ホールに合わせて遠目には小綺麗になって
んだよなあ。ヨレた恰好で刺青見せながら、くわえ煙草で演奏していたブルー
ノート公演(2002年3月19日)が懐かしい。ファースト・セット終了後の休憩
時、普段はあまりジャズを聞いてなさそうだが昔から彼の姿勢が好きなんです
と言う女史に「おい、つまんねえなあ」と話しかけ、大いに顰蹙を買う。
で、2部。へえ、こんなことってあるんだあ。聞き味が、1部と違って聞こ
える。闊達。ぜんぜん、良い。遙かに上質。ザ・ビートルズ、レイディオヘッ
ド、ポール・サイモンなどポップ系の曲をいろいろやったからかもしれぬが(
蛇足だが、彼の女房はオランダ人のフルーリーンという歌手で、ジャズとポッ
プを行き来するようなことをやっている)、その変化の流れ具合がとっても興
味深く聞こえる。ニコっと指裁きを追える。ほう、とんでもなく指が動くぢゃ
んと素直に共感できる。でも、1部と2部でこれほど感じが違っていいの?
人間が素直なところでやる芸とはそういうものかもしれぬが。2部の演奏なら
、拍手で彼を認めます。これなら、お金も払える。
ところで、クラシック系ホールの常でアンコールを要求する声はしつこい。
3回目に出てきたときはしょうがねえなあといった感じで彼は「リクエストは
」と問う。それが、彼が唯一ステージ上で発した言葉だ。そして、観客の声
に従ったかどうかは知らないが、セロニアス・モンクの「モンクス・ドリーム
」を披露。これも良かった。その後も、アンコールを求める拍手はやまず。だ
が、ステタンディング・オヴェイションする人はそれほど多くない。いかに、
シャクティのときの公演(2005年1月31日)の光景は例外であったかを再確認
した。
ところで、パフォーマンスを見ていてぼくがなんとなく思ったのは、キース
・ジャレットがフリー・フォームのピアノ・ソロ集をごんごん出していたとき
、たとえば日本で『サンベア・コンサート』を録っていたときって、今のメル
ドーぐらいの年齢だったのかなあということ。満員の客の前でソロ・ピアノを
披露する彼を見ながら、日本で彼は第2のキース・ジャレット的な位置=平た
く言ってしまえば、ピアノの貴公子的な色彩も帯びた、非ジャズ層をも取り込
むジャズ文化人/名士というブランドを獲得できるだろうかと考えた。……今
回のパフォーマンスもまたライヴ盤化されたりして。
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