ボー・ディッドリー
2004年4月12日 見れるだけで嬉しいっとなる、リヴィング・リジェンド。ブルーズ
〜R&Bをコペルニクス展開させてもう一つのイナセな米国黒人ビー
ト表現を作った、元祖ロックンロール三人衆のうちの一人。ボー・デ
ィッドリー(1928年生まれ)。チャック・ベリー(1926年生まれ)。
リトル・リチャード(1935年生まれ)。前者二人は複数回見ているが
、リトル・リチャードだけ生は見たことないのだな。うえん。横浜赤
レンガ・モーション・ブルー・ヨコハマ。
まずは、バック・バンドが出てくるわけだが、ありゃあ。ベース、
キーボード、サイド・ギター、ドラム。うち、ギター奏者とドラマー
は日本人。チャック・ベリーがそうするように、きっとこちらで雇っ
たのだろう。で、驚かされたのは、本国から連れてきたと思われるベ
ース奏者と鍵盤奏者が50才を過ぎてるだろう初老女性(しかも、非黒
人)であったこと。うは。なんか、変てこ、酔狂な感じは非常に出て
いた。
そのバッキング陣にてトレイド・マークのジャングル・ビートを押
し出す。キーボード奏者は演奏せずに、両手でマラカスをシェイクす
る。そしてボーさんが登場、なんと彼も手にとっても小さなマラカス
を持っていて、振っている。フフフ。ニューオリンズのセカンド・ラ
インとの近似性も指摘される(実際、彼の出身地ミシシッピ州マッコ
ムはニューオリンズとけっこう近い)ジャングル・ビートの影にラテ
ンあり。彼はどういう経緯でマラカス活用を始めたのか、約34秒思い
を巡らす。
で、椅子に座って、やはりトレイド・マークの長方形型のギターを
手にする。非常に持ちづらいはずで、完全に見てくれ優先のそれ。や
っぱ、酔狂。そして、妙なリヴァーブがかかりまくり、破綻もいろい
ろとあるギター・ソロをどんな曲でも悠々とかます。もうちょっと歌
ってほしいところではあったが。でも、たまに出てくる歌は非常に滋
味あり。じわん。終盤にやった、リフ一発のファンク曲には非常にP
−ファンクなるものを感じる。P−ファンクはボーさんに通ず、か。
最後になるとずっと椅子に座ってパフォームしていた彼が突然立ち上
がり、ドラマーのところにいき、ドラマーが叩く横で一緒にフロア・
タムを延々と叩きはじめる。どんどこどんどこどんどこ。なんか、そ
れエスコーラ・ジ・サンバのビートみたいに聞こえてきて、ディッド
リー表現の奥にあるオールマイティ性(?)に驚く。ととともに、や
はり音楽はまずビートありきなのだ、世のイナセな表現はつきつめる
ところアフリカの因子を内に持ちつづけるものなのだと思わずにはい
られず。
なんか杜撰なところはズサンだったが、本当に嬉しいもの、得難い
ものを見せてくれた実演……。
〜R&Bをコペルニクス展開させてもう一つのイナセな米国黒人ビー
ト表現を作った、元祖ロックンロール三人衆のうちの一人。ボー・デ
ィッドリー(1928年生まれ)。チャック・ベリー(1926年生まれ)。
リトル・リチャード(1935年生まれ)。前者二人は複数回見ているが
、リトル・リチャードだけ生は見たことないのだな。うえん。横浜赤
レンガ・モーション・ブルー・ヨコハマ。
まずは、バック・バンドが出てくるわけだが、ありゃあ。ベース、
キーボード、サイド・ギター、ドラム。うち、ギター奏者とドラマー
は日本人。チャック・ベリーがそうするように、きっとこちらで雇っ
たのだろう。で、驚かされたのは、本国から連れてきたと思われるベ
ース奏者と鍵盤奏者が50才を過ぎてるだろう初老女性(しかも、非黒
人)であったこと。うは。なんか、変てこ、酔狂な感じは非常に出て
いた。
そのバッキング陣にてトレイド・マークのジャングル・ビートを押
し出す。キーボード奏者は演奏せずに、両手でマラカスをシェイクす
る。そしてボーさんが登場、なんと彼も手にとっても小さなマラカス
を持っていて、振っている。フフフ。ニューオリンズのセカンド・ラ
インとの近似性も指摘される(実際、彼の出身地ミシシッピ州マッコ
ムはニューオリンズとけっこう近い)ジャングル・ビートの影にラテ
ンあり。彼はどういう経緯でマラカス活用を始めたのか、約34秒思い
を巡らす。
で、椅子に座って、やはりトレイド・マークの長方形型のギターを
手にする。非常に持ちづらいはずで、完全に見てくれ優先のそれ。や
っぱ、酔狂。そして、妙なリヴァーブがかかりまくり、破綻もいろい
ろとあるギター・ソロをどんな曲でも悠々とかます。もうちょっと歌
ってほしいところではあったが。でも、たまに出てくる歌は非常に滋
味あり。じわん。終盤にやった、リフ一発のファンク曲には非常にP
−ファンクなるものを感じる。P−ファンクはボーさんに通ず、か。
最後になるとずっと椅子に座ってパフォームしていた彼が突然立ち上
がり、ドラマーのところにいき、ドラマーが叩く横で一緒にフロア・
タムを延々と叩きはじめる。どんどこどんどこどんどこ。なんか、そ
れエスコーラ・ジ・サンバのビートみたいに聞こえてきて、ディッド
リー表現の奥にあるオールマイティ性(?)に驚く。ととともに、や
はり音楽はまずビートありきなのだ、世のイナセな表現はつきつめる
ところアフリカの因子を内に持ちつづけるものなのだと思わずにはい
られず。
なんか杜撰なところはズサンだったが、本当に嬉しいもの、得難い
ものを見せてくれた実演……。
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