ジャコ・パストリアス・ビッグ・バンド
2004年3月24日 何かと大型表現(デューク・エリントンへの憧憬が奥にあっ
た、とも書けるのかな)を好んだ故パストリアス表現をレパー
トリーにするオーケストラ。首謀者っぽい、指揮者はピーター
・グレイヴスという人。パストリアスの地元フロリダの音楽仲
間ということだが、確かに76年のソロ・デビュー作で吹いてい
たり、日本で録られたスター奏者満載の82年同ライヴ盤で指揮
を取っていたりする。彼は9人の管楽器奏者、そしてリズム隊
を率いる。故人の意思を尊重するなら何故スティール・ドラム
やハーモニカなどかつて彼が用いた“もう一つ”の楽器奏者を採
用しないのか、なんて突っ込みはナシにしときましょう。その
ぶん(?)、ここには本人がビッグ・バンド表現においては入
れることを嫌っていたようであるギター奏者や鍵盤奏者が入っ
ている。
南青山・ブルーノート東京。演目はビッグ・バンド作からの
ものだけでなく、76年作やウェザー・リポート作からも。まあ
、もとが元だけにそんなに悪いものになるはずはない。娯楽性
に富んでもいましたね。参加奏者は名のある人もいないし、特
別腕の立つ人もいないが、いろいろとソロ・パートを与えられ
た太った恰好悪い中年サックス奏者だけは別。わわっ。もう、
異常と思えるぐらい器用。笑っちゃった。上手い人は本当にど
こにでもいるもんですね。
興行的なことを考えてか、レギャラーのベーシストに加え、
名のあるベース・フレイヤーがさらに演奏に入る。イエロージ
ャケッツ(2003年9月11日)のジミー・ハスリップにベラ・フ
レック&ザ・フレックトーンズ(2000年8月12日)のヴィクタ
ー・ウッテン。そして、明日からはウッテンに代わりジェラル
ド・ビーズリー(cf. オーディアン・ポープ・バンド、ロチェ
スター・ビーズリー・バンド)が参加という予定になっていた
が、この日はビーズリーも特別に加わっちゃった。お得な一夜
、こーゆーハプニングは生理として嬉しい。で、そのビーズー
リーさんの恰好いいこと。カーティス・メイフィールドをヤッ
ピーにしたような感じのそれ、見ているだけでいいなあと思う
。ところで、フレットレスを持っていたのはウッテンだけ。恐れ
多すぎてか難しすぎてか、オイラはおいらという矜持からか、
みんな最初からパストリアスの超絶奏法を再現しようとした人
はいませんでしたね。
最後の曲は、ベーシスト4人揃い踏みでブリブリ。これはも
ー、ゲラゲラ笑うしかない。とともに、この過剰な行き方をし
た曲が、パストリアスの持っていた何かを一番表出していたの
ではないか。そんな酔狂にベースが重なり合う曲を聞きながら
、大昔に来たとき(日本のグリーディ・グリーンと対バンで、
クアトロでやったとき)ジョン・メデスキ(MMW、2004年1
月24日他)がしていた話を思い出す。元々、フロリダで生まれ
育った彼はパストリアスとも面識があって、高校生のころ同オ
ーケストラの日本公演(というと、82年となる?)に誘われた
ことがあって行きたかったけど、親からあんな変な人と付き合
っちゃ駄目と言われて泣く泣く断念した……。先に触れたよう
に、あのオーケストラってキーボード奏者いなかったんだけど
な。でも、メデスキの年齢とは時期的には合うか。次に彼に合
ったら、そのことを問いなおしてみよう。
た、とも書けるのかな)を好んだ故パストリアス表現をレパー
トリーにするオーケストラ。首謀者っぽい、指揮者はピーター
・グレイヴスという人。パストリアスの地元フロリダの音楽仲
間ということだが、確かに76年のソロ・デビュー作で吹いてい
たり、日本で録られたスター奏者満載の82年同ライヴ盤で指揮
を取っていたりする。彼は9人の管楽器奏者、そしてリズム隊
を率いる。故人の意思を尊重するなら何故スティール・ドラム
やハーモニカなどかつて彼が用いた“もう一つ”の楽器奏者を採
用しないのか、なんて突っ込みはナシにしときましょう。その
ぶん(?)、ここには本人がビッグ・バンド表現においては入
れることを嫌っていたようであるギター奏者や鍵盤奏者が入っ
ている。
南青山・ブルーノート東京。演目はビッグ・バンド作からの
ものだけでなく、76年作やウェザー・リポート作からも。まあ
、もとが元だけにそんなに悪いものになるはずはない。娯楽性
に富んでもいましたね。参加奏者は名のある人もいないし、特
別腕の立つ人もいないが、いろいろとソロ・パートを与えられ
た太った恰好悪い中年サックス奏者だけは別。わわっ。もう、
異常と思えるぐらい器用。笑っちゃった。上手い人は本当にど
こにでもいるもんですね。
興行的なことを考えてか、レギャラーのベーシストに加え、
名のあるベース・フレイヤーがさらに演奏に入る。イエロージ
ャケッツ(2003年9月11日)のジミー・ハスリップにベラ・フ
レック&ザ・フレックトーンズ(2000年8月12日)のヴィクタ
ー・ウッテン。そして、明日からはウッテンに代わりジェラル
ド・ビーズリー(cf. オーディアン・ポープ・バンド、ロチェ
スター・ビーズリー・バンド)が参加という予定になっていた
が、この日はビーズリーも特別に加わっちゃった。お得な一夜
、こーゆーハプニングは生理として嬉しい。で、そのビーズー
リーさんの恰好いいこと。カーティス・メイフィールドをヤッ
ピーにしたような感じのそれ、見ているだけでいいなあと思う
。ところで、フレットレスを持っていたのはウッテンだけ。恐れ
多すぎてか難しすぎてか、オイラはおいらという矜持からか、
みんな最初からパストリアスの超絶奏法を再現しようとした人
はいませんでしたね。
最後の曲は、ベーシスト4人揃い踏みでブリブリ。これはも
ー、ゲラゲラ笑うしかない。とともに、この過剰な行き方をし
た曲が、パストリアスの持っていた何かを一番表出していたの
ではないか。そんな酔狂にベースが重なり合う曲を聞きながら
、大昔に来たとき(日本のグリーディ・グリーンと対バンで、
クアトロでやったとき)ジョン・メデスキ(MMW、2004年1
月24日他)がしていた話を思い出す。元々、フロリダで生まれ
育った彼はパストリアスとも面識があって、高校生のころ同オ
ーケストラの日本公演(というと、82年となる?)に誘われた
ことがあって行きたかったけど、親からあんな変な人と付き合
っちゃ駄目と言われて泣く泣く断念した……。先に触れたよう
に、あのオーケストラってキーボード奏者いなかったんだけど
な。でも、メデスキの年齢とは時期的には合うか。次に彼に合
ったら、そのことを問いなおしてみよう。
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