ニーコ・ケイス

2004年9月16日
 テキサス州へ。目的都市は州都オースティン。直行が超早朝便しか取れない
というので、のんびりダラスから陸路(4時間ぐらい)オースティン入り。ダ
ラスの双子都市がフォートワース。オーネット・コールマンやキング・カーテ
ィスらを輩出した都市。その近くにいるというだけで、ぼくはちょっとドキド
キしたな。凄い日差し。うわあ、それだけで、南(西)に来たという実感を持
つ。また、テキサス州と言えば、ブッシュの地元。みんな支持者に見えて、居
心地悪いったらありゃしない。同州の一番大きな空港である(コンティネンタ
ル・エアーの本拠地)ヒューストン空港は、父親ジョージ・ブッシュの名が掲
げられている。ふえい。

 夜、外に出たら、もわっとした空気に頭がクラクラする。まさに、熱風。ジ
ャマイカの夜をまじ思い出した。ライヴ・クラブに女性シンガー・ソングライ
ターのニーコ・ケイスを見にいく。けっこう大きなハコ、パリッシュという名前
だったような気もするが忘れた(なんにせよ、ハコの雰囲気と合わないものだ
った)。

 知らないハコに入るのは、非常に嬉しい。前座で手作り感覚に満ちたバンド
がやっていて、だいぶ後からケイスさん登場。北のほうの人というイメージが
あるが、けっいう手触りはルーツっぽいところもあり。ステージの横からトイ
レに行くようになっていて、その通路からステージを見ているとかなり興味深
い。凛とした風情を持つ人のようでした。

 このクラブがあるダウンタウンの6番ストリートはいろんなライヴ・クラブ
がずらりと両側に並んでいる。まじ、壮観。なるほど、オースティンというの
は音楽が盛んな都市であるというのを了解。3月の音楽見本市“サウス・バイ
・サウス・ウェスト”もこの通りを中心に行われるというのもすぐに納得。
 昼間、マイケル・ケイン(2003年11月18日、23日)と会う。この週の頭はN
Yにいないと言っていたが、彼はボストンのニュー・イングランド音楽院で教
えているのか。ようやく、日本での彼のCDリリース(アコースティック・ア
ルバムとエレクトリック・アルバムの2枚だてになるはず)が固まりつつある
。秀逸な現代ジャズのカタチ。その際はみなさん、よろしくされたい。

 そのマイケルもちらりとこぼしていたが、ブッシュ優勢でやりきれない人は
NYでは少なくないようだ。道端で、反ブッシュTシャツ(ブッシュの顔に、
進入禁止の赤丸斜め線のマークを重ねた絵柄)を10ドルで売っている青年もい
た。話はズレるが、ヴィレッジの街頭の新聞の入ったボックス(無人の小さな
透明のやつ)にUTADAのリリース告知のカードが挟んであった。そこでし
か見なかったけど。

 夕方から雨。泊まっているホテルから近い、ヴィレッジの55バーというとこ
ろでの無料ギグにまず行く。アート・リラードという初老のドラマーの、ワン
・ホーンのグループ。他の構成員は20代か。これが、目新しいところは何もな
いが、実にまっとうな寛ぎ系のハード・バップ。ニコニコ、見れましたね。じ
いさんが一人で淡々とやっている店、ピアノを置くスペースはないので、ライ
ヴをやるとするならピアノレス編成となるのか。トイレに行くと、横の壁には
、ハイラム・ブロックとマイク・スターンとレニ・スターンがリーダーのここ
で録音されたライヴ盤が飾ってあった。発売元は日本のキング・レコード。

 その後、ハーレム。アポロ・シアター。実は昨日の昼間に突然アポなしで、
125 丁目イーストにあるオーネット・コールマン所有のハーモロディック・ス
タジオ(管理人はデナード・コールマン)に行こうかと思ったのだが、人と会
ったり買い物とかで時間がなくなり断念。なんだかんだで20回ぐらいはNYに
来ていると思うが、実はアポロ・シアターに行くのは初めて。横を通ったこと
はあっても。ちょうどアマチュア・ナイトをやっていたので、行ってみた。

 外側はそんなに偉そうではないが、中に入るとけっこう立派な、そこそこい
い感じの建物ね。チケットの値段は3段階。どれがいいと思うと窓口で問うと
、じゃ真ん中にすればとチケット販売のおねいちゃんは言う。で、2階席。開
演時間から1時間はたっていたはずで、もちろん始まっている。30代の黒人男
性が司会役をつとめ、出演者はステージ横にあるおまじないのオブジェ(木の
切り株みたいなやつ)を触り、それから熱唱する。もう仲間がたくさん会場に
来ていてやんやの喝采を浴びる人から、なりきりつつも寂しくバラード(リオ
ン・ラッセルの「ソング・フォー・ユー」)を歌う白人まで様々。リーディン
グをする黒人女性もいた。なるほど、こんな感じかなのかなあとイメージして
いたものとそんな違わない感じで、コンペチションは進む。4人のバッキング
陣は喉自慢のバック・バンドのように器用に伴奏を付けていく。なんとミュー
ジカル・ディレクターはレイ・チュウ(キーボード。80年代初頭のNYソウル
・サウンドの立役者の一人)じゃないか。って、それ有名な話なのかもしれな
いが。

 途中、休憩を挟んで、出演者は10人強でたかな(結局、僕が入ったとき歌っ
ていたのが、一番最初の人だったようだ)。ブーイングの嵐による強制退去者
は痩身の黒人青年一人(実は、ぼくはそんなに悪くないと思ったんだが。もっ
とヤバイのいたはず。あんまり、聴衆の拍手はあてにならんとも思った)。突
如サイレンがなり、ポリスの格好をした人が彼をステージからおいたてる。あ
れ、当事者だときついな。全員が歌い終わると、みんなステージに出てきて、
次々に客に拍手を求め、それが多大な3人に絞り、また一から拍手をさせ、二
人に絞り、そして……。という、まだるっこしい手順でウィナーが決まる。そ
の栄誉者にはまた歌わせるかと思ったら、すぐに明るくなり、あっけなくお終
い。ちょっと、拍子抜け。

 会場内には日本人もちらほら。会場内のおじさんたちは臙脂のベストを来て
、そこそこ風情あり。トイレの便器関係は黒。一応、トイレ内にタオル係の制
服おじいさんがいて、せこいペーパー・タオルを渡してくれる。ビミョー。つうか、それ犯罪防止のため?

 その後、ダウンタウンのニッティング・ファクトリーへ。実はここ、経営者
が代わり(創業者マイケル・ドルフ撤退)、もっとロックを多くやる店になっ
た(で、よけいトニック他のハコにそれ系の人達は流れているわけね)。なる
ほど、地下にあった二つのスペース(教室みたいなハコとタップ・バーという
無料ギグをやっていたバーを仕切る壁がなくなり、一つになっていた)。また
、会場内にはATMが設置され、一方で入り口横のバーでディスプレイ販売さ
れていたニッティング・ファクトリー・ワークスのCD群は一切撤去されてい
た。むーん。

 メイン・ルーム(今回、吉祥寺のスター・パインズ・カフェに作りが少し似
ているナと感じる)でこの晩に遅めの時間からやっていたのはクリス・ウィー
トリー。椅子を出してのもの。弾き語り。彼を見るのは、99年初頭にロンドン
で見ていらいだが、エフェクターを使い倒していたあのときと違い、生の感じ
が出ている、もっと強さを持つパフォーマンス。反応もけっこう熱い。彼にと
って、これは地元のライヴとなるのか。やっぱり、リズム音を出してそれにあ
わせてやったりするのだが、簡素なドラマーをやとったらもっともっと聞き味
が良くなるのにと物凄く思った。なお、地下のもう一つのスペースはM.E.A.N.
Y フェスというギター雑誌が主催する何バンドも出る催しをやっていた。ちょ
っと覗かせてもらったら、生理的に白痴きわまりない、ハード・ロックなギ
ター・インストが繰り広げられていた。
 わーい、カーネギー・ホールだ。そんなに過度なフィッシュのファンではな
いけど、この由緒正しいホールを一回ぐらいは覗いてみたくて行ってみました
。昔、ジャズ奏者にとってここに出るのは超エスタブリッシュされた証だった
んだよな。小綺麗かつ重厚な建物内物には歴史の積み重ねを伝える写真や印刷
物なんかが額で飾られたり、一角にはそういうものをまとめた展示室もある。
普段はやはりクラシック系の出し物をやっているようだ。87年あたまにロンド
ンのロイヤル・アルバート・ホールに行ったときのことを少し思い出す。<初
老の上品な白人ドアマンと歴史ある建物造形>と<汚いオーディエンスとトイ
レ>の対比が凄かったなあ。そのときは、ジミー・ソマーヴィル、ルビー・タ
ーナー、デビュー直後のテレンス・トレント・ダービーという組み合わせだっ
た。

 ソールドアウトかなあ、でもダフ屋もいるでしょと駄目もとで行き、とりあ
えずボックス・オフィスを探そうとしたら、入口横にチケット片手の人がいる
。お。20ドルの券だけど10ドルでいいと言う。即、買う。ラッキー。それ、4
階席のようであった。トイレに行って階段を登ろうとすると、また別の青年が
25ドルの席と取り替えてくれないと言ってくる。なんでも、ガールフレンドが
そっちのフロアなんだそうだ。ああ、いいよ。というわけで、ぼくは一番下の
フロア席に。へえ、こんなこともあるんだ。プチわらしべ長者キブン?

 オーディエンスは正装の人もいるが、やはりフィッシュヘッズっぽい人も。
当然のことながら、ぼくも普通の格好で行きました。カーネギー・ホールに出
るというのは相当な晴れ舞台のはずで、ヴァーモント(もちろん、フィッシュ
の地元である)からも関係者が大挙来ているのかな? で、肝心の出し物なん
だが、ちゃんとした格好で出てきた楽団員は100 人ぐらいいた。とっても、で
っかいオーケストラ。髭面指揮者いがいは、多分みんな大学生か高校生。で、
ほほうとうなったのはそのレパートリー。もらったプログラムには曲ごとに<
NY初演>とか<ワールド・プレミア>とか書いてあったが(これを、書いて
いる時点でそれがどこかに行っちゃってて、うろ覚えで書いてマス)、これが
どの曲もそれなりにアヴァンギャルドなわけ。手のあいている奏者たちが手拍
子をする曲もあったし、なんとなくフランク・ザッパのオーケストラ表現を思
い出させるものもあった。ほう。ちょっと、ヴァーモントの不思議を感じたか
も。

 2部構成。フィーチャリング・トレイとなっていながらも、アナスタシオ抜
きで2部の最後のほうまで進む。最後の2曲になって、黒いスーツに黒いシャ
ツとタイで決めたアナスタシオが登場。とたんに、ホール内は大騒ぎ。彼はオ
ーケストラにあわせ、生ギターを演奏。うち、1曲はアナスタシオの作曲した
曲で、1曲ではオーケストラ員の女性と歌のデュエットを聞かせた。
 NY。20何丁目か(調べ直す根性ありませ〜ん)にあるジャズ・スタンダー
ド。2セット回し(7時半と9時半)の2回目のほうを見る。このジャズ・ク
ラブは初めて来る。非ダウンタウンのクラブながら、かつてトニックでやって
た彼らを引き抜くなど、普通のジャズ・アクトとともに、それなりに尖った
ものも提供しているようだ。予定表を見たら、この16日から3日間はジェイム
ズ・ブラッド・ウルマー、ジャマラディーン・タクーマ、カルヴィン・ウェス
トンという顔ぶれのトリオが出ることになっている! 見てえ。

 この日はスティーヴ・バーンスタインの大型編成バンド。ギター、ベース、
ドラム、ヴァイオリン(ウルマーとやってたこともあるチャールズ・バーナム
)、5管、そしてバーンスタイン(指揮が中心)という布陣。MCによればリ
ズム隊はトラのようだが、ベースはジャズ・パッセンジャーズ/オーネット・
コールマンのプライムタイムのブラッド・ジョーンズだ。少し、嬉しい。音楽
的にはまさにセックスモブの拡大版といった感じ。最初のほうはニューオリン
ズ・ジャズの諧謔再構築といった感が強い曲をやる。あ、カンサス・シティ・
ジャズみたいな感じのときもあったかな。また、カーラ・ブレイ(1999年4月
13日、2000年3月25日)の「歌うのなんか好きじゃない」あたりの頃を思い出
させるところもあったか。
 
 それから、セックスモブ同様にポップ曲のなんとも人間味と知識溢れるアダ
プトをこちらも聞かせる。確か、ザ・ビートルズ曲が2曲、ジミ・ヘンドリッ
クスで知られる「ヘイ・ジョー」など。ちょい、胸キュン。それにしも、ブル
ース・ウィルスをちんちくりんにしたようなバーンスタインは実に役者。冒険
心や野心を持ちつつ、総体としてはとっても楽しいエンターテインメント表現
に帰結させていて、これは夏のジャズ・フェス出演もOKではないかと思う。

 15ドル。終演後、バーンスタインとちらりと言葉を交わしたら、来年2月に
日本に行く、セックスモブでブルーノートに出るよ〜、とのこと。埋まるかな
あ。モーション・ブルー・ヨコハマだったりしてなー。ブッキングが同じなの
で、あちらのミュージシャンはモーション・ブルーをブルーノート・ヨコハマ
だと思っている人がいる。
 南青山・ブルーノート東京、ファースト。なんか、機嫌良さそうだったナ。
彼女は楽屋から裸足で出てきて、ステージに立っていた。今回は久しぶりにピ
アノレスの変則編成、アコースティック・ギターやバンジョーを弾くブランド
ン・ロス、ハープのグレゴア・マレ(いろいろと吹いて、けっこう効い
ていたな。ミシェル・ンデゲオチェロやチャーリー・ハンター作などにも参加
している)、ベースのレジヴィ(レジナルド・ヴィール。かつて、彼を雇って
いた大西順子の言い方)、ドラムのテリ・リン・キャリントン、パーカッショ
ンのジェフリー・ヘインズという布陣。みんな、多少『ブルーライト』路線に
戻ったゾと思わせもした昨年作『グラマード』に参加していましたね。実は、
ずうっと『トラヴェリング・マイルス』以降はピアノ付きセットで彼女はパフ
ォーマンスやっていたので(1999年8月27日、1999月9月2日、2001年2月12
日)、より脱ジャズ路線的とも言えるだろう設定でライヴをやるのは本当に久
しぶりのこととなる。うれしい。

 バック・アップ陣はスキンヘッドの打楽器奏者を除いて、みんな細いドレッ
ド。特に、ブランドン・ロスのお洒落な風体には強く納得。80年代初頭にオリ
ヴァー・レイク(2003年11月18日)のバンドにいるころから彼のファンである
ぼくとしては、異才ロスがカサンドラ・バンドに復帰したのはめでたい(10年
前のクレイグ・ストリート主導の奥深い“幽玄路線”はロスの力も大きかった
はず)。彼が日本にやって来るのは94年のカサンドラ・バンドのとき以来(も
ちろん、それは『ブルーライト』のノリのパフォーマンスでした)。ちなみに
、今回が3度目の来日で、最初は92年の菊地雅章の電気バンドでのものだった。

 そのロスはリーダー・アルバムを作ったばかり(純粋なリーダー作としては
初めてとか)で、来週中盤に、フェルナンド・ソウンダース(2003年8月9日
)とのダブルビル公演をカイとモーション・ブルーでやる。そのときのロスの
ギグはトリオ編成でドラムはソウンダース・バンドでも叩くJTルイス(ロス
は彼とハリエット・タブマンというトリオをやっている。秋に新作を録音する
そう)、そしてベースはメルスのフェスティヴァルで見たツトムタケイシ(5
月28日、5月29日)。ロスは彼のことを弟のように思っているとか。なんにせ
よ、来週あたまからアメリカに行くので見れない。残念。

 あ、カサンドラ・ウィルソンのこと何も書いてませんね。七分目の歌、すう
っと感じ入る。ビミョーにやせたかな? 髪の毛は前より金色に。アンコール
で1曲生ギターを手にしたものの、あまり聞こえず。90分ぐらいはやったはず

 2年前(2002年9月7日)に行われた開放型フェス、2度目となるもの。今
回は読売ランドのイーストから、埼玉県の秩父ミューズパーク(西武が持って
いる施設らしい)というところに移ってのもの。けっこう遠そうで最初戸惑っ
たが、この時期になると道もあまり混まず、2時間ちょいの道のりといったと
ころか。たぶん。ぼくは複数箇所で人をピックアップしているので、もう少し
かかっているが。

 この日は2日間行われるフェスの2日目のほう(初日は、シム・レッドモン
ド・バンド:8月30日も出たはず)。最後のほうで山をぐぐいと登った先に、
会場はあった。とっても広大な緑たっぷりの自然公園(と言っていいのかな?
)の一角。駐車したすぐ近くはセカンド・ステージとなる吹き抜けの建物。オ
ーネットのプライムタイムからファンク臭を抜いたような曲をやっている(ウ
ィード・ビーツという名前のバンドのよう)。うひひ。そこを通り抜け暫く歩
くとメインの会場。こちらはイーストを小さくした感じの会場(半分は椅子席
。後ろ半分は芝生席。そちらは、テントを張っている人が大半)。天気は小雨
だったが、椅子席はちゃんと屋根に覆われている。悪くないっす。

 12時半すぎに着いたときには、ザ・ポリフォニック・スプリーがやっていた
。ローブを羽織った(この日はトレイドマークの白ではなく、色とりどりのロ
ーブを着用)ヴォーカル大所帯集団。前にサマーソニックに来てたことがある
はずだが、初めて接する。ほう、こんなん。なんか宗教がかっていて、少し気
持ち悪い。洒落でやってるなら分からなくもないが、けっこう自分を美化し善
人ぶりに酔っている感じを受けたにゃ。実演だと。はあ米国人ってほんとに厚
顔で呑気だね、てな印象を強烈に得る。

 ステージ向かって左手にある小さな仮設の小さなステージがあり、そちらは
DJ主体のパフォーマンスがなされ、メイン・ステージの出し物の間を埋める
。それは前回もそうだった。

 次にメイン・ステージに出てきたのは、レゲエの大御所シンガー、ジミー・
クリフ。黄色いTシャツを着たバック(コーラス二人を含め、10人編成だった
か)を従えた彼は赤い上下のいでたち。体型はけっこうキープしていて、動き
もシャープで見せる。もちろん、喉も衰えは感じさせない。そして、演目はヒ
ット曲、人気曲のオンパレード。いい曲、いっぱい歌ってきたんだなあ。キー
ボードの音色などがダサかったりもしたが、今を呼吸しながら積み上げてきた
ものを両手を広げて聞き手に提示するということは、きっちり出来ていたんで
はないか。

 ああ、見れて良かった。素直にそう思えた。同じように世界的注視を受けた
ボブ・マーリーは神のように扱われ、あっけなく世を去った。一方のクリフは
ずっと隣人として存在し(ときに、なんでこんなちゃらいことをやるのと思わ
せることもあったが)、こうして変わらずに秀でた歌を聞かせている。ほんと
、どっちが良かったのか分からないよナとも思う。彼が中ごろに「ア
イ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」の“〜サンシャイン・デイ、なんたら
かんたら”と歌うあたりで薄曇りになり、以後雨の心配はなくなった。

 メデスキ・マーティン&ウッド(MMW)のドラマーのビル・マーティンは
イリー・Bの変名でDJとのセッションやリミックスをやったりしているが、
ジミー・クリフのショウに続くサブ・ステージからは、黒人DJとイリー・B
と、NYのダウンタウン界で活躍するブラジリアン打楽器奏者シロ・パプティ
スタの即興演奏が送りだされる。高揚はしなかったが、ニコっと見れました。
DJ音に合わせてBはドラムや打楽器を叩くだけでなく笛を吹いたり、パプシ
ティスタは拡声器で肉声を用いたりも。

 6時近くになって出てきたMMWの演奏は3人に、シロ・バプティスタとD
Jスプーキー(2000年8月14日。先のイリー・BセッションのDJも彼であっ
たか)という組み合わせによるもの。主導はMMW、そこに出来る範囲でうっ
すらと、非メンバーの二人が加わるという趣向。全面的に有機的に絡むという
わけにはいかなっかたが、そこここに新味はありましたね。

 トリはタブラ・ビート・サイエンス。最初はザキール・フセインのタブラと
美味しいインドの弦楽器奏者とのデュオ演奏。もう、それだけで、インドの特
殊技能はすごいとため息つかせるもの大あり。そこに、ラズウェルとカーシュ
・カーレイが加わる。はったりもあるが、おもしろすぎる。そして、さらにタ
ーンテーブルとキーボードも加わり、持ち味はより広がっていく。計算された
部分(書かれた部分)と鮮やかにインタープレイし合う部分をソツなくだして
いるのは、ラズウェル関与の賜物か。ステージの後ろの蝋燭が綺麗だった。

 相当な自然に、道路や施設がうまくいかされた場所。天気が良かったら相当
に気分が良いはずであり、かなり肉体的にも楽な場所だと思う。で、フェス自
体の運営もユルユルで、メイン会場入場時のリスト・チェック以外、なんのチ
ェックもない。なんでも持ち込め、録音や撮影も可能。受けたら、出演者も鷹
揚にアンコールにも答える。これ、他人の運転でいって、ヘラヘラと飲んだく
れてたら本当に楽しいだろーなーと思う。第2ステージのほうは無料なので、
若い人達は友達と誘い合わせて行き、そちらだけに接してもいいではないか。なお
、両ステージの間にある、通常時にも営業している(と思われる)飲食物販売
の建物では、ビール300 円で売っていた。行く前はなんであんなとこでと思っ
たが、この場所はアリではないかな? 

 あ、木曜にスクーターが出てきました。                
 今年のフジ・ロックにも出た二組が一緒の公演。渋谷・Oイースト。

 まずは渋さ。最初は10人弱でのものが予定されていたらしいが(フジ・ロッ
クのところで記していないが、今年アヴァロン・フィールドでやった、不破大
輔がちゃんとベースを弾きながらバンド率いる“小型渋さ”のパフォーマンス
はかなりドキドキできました)、結局20人を超える面子でのパフォーマンス。
40分間の実演。やっぱ、ケラケラ見れて、楽しい。

 そして、シンク・オブ・ワン。ベルギーの経験豊かなアヴァン・ロック〜ジ
ャズの担い手たちによる、ブラス主体広角型グループ。今回はブラジルの打楽
器〜シンガー4人を加えての“ジュヴァ・エン・ポー”と名乗るもの。ブラジ
ル勢はそんなに名のある人はいないようだが、やはり強力。いろんなデコボコ
、いろんなイってる気持ちが幾重にも交差し合う、酔狂表現を堂々と展開。最
後はちょっと一緒に、渋さやキーラのメンバーもまざる。終演後、シンガーと
して参加のブラジル人おばさんは同所のバーでアカペラで一生懸命に歌ったり
も。じいーん。なんか、本当に日常のど真ん中にある真っ直ぐな歌という感じ
なのだ。
 やってもうた。

 2時、西麻布で昨日のアーティストをインタヴュー。取材場所のレストラン
から出ると、あれパンツのポケットに入れているはずの鍵がない。ん? あり
ゃあ。見ると、乗ってきて歩道に止めたスクーターもない。一瞬、キツネにつ
ままれた気持ちになったものの、すぐに鍵をスクーターに付けたまま離れてし
まい、盗まれたのだと了解。過去に、鍵を付けっぱなしで止めてしまったこと
が数度あったから。家の鍵も夜中ドアの鍵穴にさしっぱなしにして、翌日宅急
便のおじさんに鍵がついたままですよと言われたこともあった……。この日、
早朝起きで仕事してて、ちゃんと睡眠時間を取っておらずボーとなっていたこ
とと関係ありか。やっぱ最低6時間半は寝ないとダメだな。また、昨日から急
に暑くなったことと関係ありか。あー、ボケ進んでいるなあとも思う。

 ほんの1時間の間に、盗まれてしまった。まあ鍵がついていたら当然と考え
るべきことなのかもれないが。でも、今までセーフだったになあ、あー西麻布
は治安が悪〜い。とまれ、すぐにスクーターと一緒になくなった鍵のゆくえの
重大さに気づく。キーホルダーには家の鍵とクルマの鍵もついている。バイク
の椅子の下スペースには自賠責保険の証書が入っていて、それにはぼくの住所
が記されているはず。やばい。クルマも建物の入口横の駐車場に止めているか
ら、鍵からメーカー等を知れば、該当となる車はすぐに特定できるだろう。こ
りゃ自宅と車があぶない。家の鍵は、たまたまキーホルダーにはつけていなか
った(通常は使っていなかった)、厳重なほうの鍵を用いるようにすればいい
。持ち歩く鍵の本数が増えるのがイヤでぼくは通常使っていなかったのだ。で
、急いで帰宅し、なんとか入り(ちょい大変でしたあ)、無事を確認したあと
、スクーターのプレイト・ナンバーや車体番号を調べ、交番に盗難届けを出す
。クルマのほうはちょうど車検に預けているときで、ディーラーに電話して鍵
をすべて取り替えてもらうようにお願いする。お金はかかるが、安心感のほう
が重要だ。

 これを見た人は、どういう感想を持つか。そのボケたふるまいに呆れるのか
。4〜10月限定(つまり、寒くない時期)で使っているスクーターに関しては
かなりボロいもので、しょうがねえかといった感じでサバサバできちゃってい
るのは何より。

 夜、渋谷・オネストへ。7時すぎに着くと、マヘル・シャラル・ハシュ・バ
ズ(2004年3月10日)がやっている。この前とは編成がちょっと違うし、何よ
り進め方も違う。もっとちゃんと曲をやっていて、もう少しプロっぽい。なん
にせよ、いい味だしてて、感服できちゃうのは間違いない。

 続くはシスコのサイケ・バンド(ドラムレスだけど)らしい、マキーラドー
ラ。さっき客席側にいて、少しアート・リンゼーに似ているやんけと思った人
もメンバーだった。奥のほうにいる人は日本人(サポート?)だったのかな。
なるほど、淡いんだか濃いんだかよくわからぬサイケ・ロックを展開。なんか
、シスコにはこういう連中たくさんいそうだな、なぞとも思う。サックスが入
る曲はロキシー・ミュージックを思い出させる、ロキシーの場合はオーボエだ
けど。それを聞きながら、30年前のロキシー・ミュージックは鬼のように凄か
ったなと痛感。後の洗練路線もそりゃ好きだが、ぼくは彼らの場合、2枚目の
『フォー・ユア・プレジャー』にとどめを刺す。もー、大好き。

 その後出てきた、日本のテニスコーツはコメントを書くほどちゃんと見てま
せんでした。関係ないけど、受け付け階のフロアには木で出来た屋形船の小さ
いみたいなの(人が座れる)がドーンとあった。なんか、バカバカしくて楽し
い。知人から、漁船(だったけかな?)というグループがライヴをやったとき
持ち込んだ、と聞いたが。

 そして、10時をだいぶまわってから、ビル・ウェルズとマヘル・シャラル・
ハシュ・バズ、一緒のパフォーマンスが始まる。おお、という組み合わせ。グ
ラスゴーの特殊回路を持つピアニストの“もうひとつ”の調べが、下手なホー
ン・セクション主体音に覆われる。絶妙な重なり。ときにマヘル側の女性が歌
うものも。どのぐらい、一緒にリハやってんのかなー。ゆらゆらとした、綻び
感たっぷりのメロディとハーモニー。こりゃ、抗しがたい。これらを聞きなが
ら渋さ(8月1日、他)にしても、板橋文夫(6月19日)にしても旧世代のバ
ンドなのだなと思う。まあ比較するもんでもないかもしれぬが、彼らは音楽自
体は見事なプロだもの。だが、マヘルは……。このヘロった素人臭さの奥から
、クロード・ソーンヒルやギル・エヴァンスのオーケストラが求めた何かと重
なりえるものを出しているとも感じ、ぼくのココロは本当に甘美なものに包ま
れた。始まった時間が遅かったから、11時を回るごろから、終電を気にする人
がボロボロと返っていく。ちょっと気の毒。大人のもう一つの、豊かな、ちょ
っと刺もある時間がそこにはありました。
 青山・カイ。NY州の田舎街をベースにする、ゆるりとした、生理としての
アコースティック・ロック感覚を持つバンド。シンガー・ソングライターっぽ
い味を持つ、とも言えるかな。ギタリストは相当若く見えるが24才だそうで、
逆にフロントに立つレッドモンドは30代ぽく見えるが27才。まあ、どっちにし
ろ、比較的若い人達によるバンドであるのは間違いない。

 まったく無理なく、心優しく(優しすぎる、綺麗すぎると思うところはあり
まね、ぼくは)。音のほうは、レゲエ、リンガラをはじめとするアフリカ音楽
、ラテンなどの揺れをやんわりと介したりもし、それは彼らのポイントと言え
る。また、エキゾな女性シンガー(もともと、ヴェネズエラ生まれ)をメンバ
ーらに擁しているのも差別化を図れる所か。それは、しなやかとか、視野が広
いという印象も与え、ピースフルな感じとか、自然体の感じと重なりあって、
ジャム・バンド・ミュージック系からも多少注目されるというのも頷ける。と
はいえ、実演はそんなに即興的要素はなく、本人たちもジャム・バンドと言わ
れるのは嫌がっている(らしい)というのも納得だが。ただ、本国ではフィッ
シュと重ねられる、なんてことも本人は言っていたが。

 会場は満員で、かなり熱い反応。本人たち、本当に喜んでパフォームしてい
ましたね。
 場所は、錦糸町・墨田トリフォーニーホール。バーで販売のシャンパンはう
ーん。混雑をさけるため、事前にグラスに注ぎ置きしていて、それを涼しい顔
してサーヴ。少し、温い。ちょい、気が抜けてる。バー業務を請け負っている
東武ホテル、もっとちゃんと商できないもんかなあ(毎度、800 円のところ60
0 円と貼り紙して販売しているが、それはそういう不備を補うためになのか?
)。

 まず、前半はキーラ。7人がいろいろ絡む。根っこを持っていかようにも。
弱と強、自在のコントラストが鮮やか。情があり、旬発力もある。
          
 そして、休憩を挟んで日常生活と繋がったルーマニアのブラス集団ファンフ
ァーレ・チォカリーア。いやあ、愉快。クラシック用会場に響く、野卑なおっ
さんたちの管楽器音群。そして、ときに演歌調の歌。もう、クラシックの流儀
から言えば、その技術しろ、音色にしろ、目を剥きたくなるものではないのか
。それがわいわいと重なり、小綺麗なホールの空気を別な色に染め上げていく
。滅法、生理的な快感があったなあ。そんな彼らは、アンコールをいろいろこ
なした後(キーラも少し混ざる)、ロビーの広い階段でぶんちゃかとさらに演
奏。一人が、おでこに紙幣を張りつけ、おひねりを貰いに動く。けっこう、稼
げたんじゃないか。お金お金ってノリ、ぼくは大嫌いだが、こういう感じだと
別。うははははは。という、感想しか生まれてこない。

 それにしても、いろんな管楽器を用いるなか、なぜトロンボーン奏者はいな
いのか。もともと彼らの村にはなかったのか。それとも、生理的なもっともら
しい理由があるのか。……わが家のリヴィング・ルームの端っこに置かれた、
昨年夏にもらったトロンボーンを思い出す。ぜんぜん、吹いてねえ。あ〜あ、
余裕ねえ生活送ってんのかな。一時、<今日のトロンボーン>というコーナー
をここで作ったが、それもほとんど3日坊主状態。でも、その後トロンボーン
どうですかと聞いてくる人もあまりいないわけで……。

帰りに、清澄白河の新装なった、下町兄弟/BANANA ICEのシバウラ・レコー
ディング・スタジオに顔をだす。ほう、立派ぢゃないか。          
    
 渋谷・ブエノス。かっとびアイリッシュ・バンド、キーラ(2004年2月8日
)のローナンをフィチャーしたステージ。ちなみに、彼のソロ作『トンタ・ロ
ー:俺のグルーヴ』は肉声や鼓動やメロディの神秘が渦を巻く大傑作だったが
、やっぱこりゃすげえって感じは端々に。ずっとアイルランドで積み重ねられ
てきた豊かさや妙味と、彼という個体が持つ創造性や広がりが自在に触発し合
うものになっていて……。バウロンを叩きながら歌う独唱から、キーラのメン
バーが入れ代わり立ち代わり加わるものまで自在の設定にて。2部構成。2部
のほうは、トンコリ奏者のOKIが加わる。もっともっとローナンの特殊世界
を味わいたいという気持ちもあったが、こちらの絡みも興味深く、楽しい。そ
れに、枠を持たず、自在に協調できるというのもまた美点であるだろうし。ご
機嫌。飲み物、ぐいぐい。会場だけで、酒代5000円もつかっちゃったじゃない
か。
 まず、アシュレイ・シンプソンのコンヴェンション・ライヴを、恵比寿・リ
キッドルームで見る。やっと新宿から移転したリキッドルームに行けたが、な
るほどこんな感じはあったか。前よりは少し狭いが、いろんな面で以前のより
は使い勝手が良さそう。19才というシンプソンはあっと驚くぐらい小柄な人。
おねーちゃん(ジェシカ・シンプソン)もあんなに小さい人なのかな? まあ
一応バンドを率いて歌うのだが、そのバンド音のしょぼさには驚愕(隣にいた
知り合いは、ビヤ・ガーデン入ってますね、とコメント)。全米アルバム・チ
ャート1位アーティストだなんて、とても信じられません。だが、音がしょぼ
いぶん、けっこう野太い歌声は良く聞こえて、それなりに好印象。ケイティ・
ローズ(2月19日)やアヴリル・ラヴィーン(2002年8月8日)といっ
たバブルガム・ロック勢の実演と比較すると、個人的心証は彼女が一番いいか
な。いや、良く分かんないや。6曲ぐらい、約30分ぐらいのパスフォーマンス。

 その後に横浜に向かい、赤レンガ倉庫のモーション・ブルー・ヨコハマ。豪
華メンバーによる、板橋文夫の9ピース編成バンド。メンバーの内訳は、渋さ
知らズのテナー片山広明(なんて、この人はピンでしっかり認知しなきゃいけ
ない人だけど)とバスクラ吉田隆一(藤井郷子オーケストラも)をはじめ、ト
ランペットの田村夏樹(7月27日、2003年4月7日、他。もちろん、藤井オー
ケストラも)、クラリネットの村井祐児(東京芸大の教授でクラシックのほう
では有名な人らしい。なるほど、普通のサラリーマンのなかに混じっていたら
ヤクザにしか見えないだろうが、この中にあっては非常にマトモに見える)、
アルトの土岐英史(ジャズ畑と思っていたが、一度取材したときに、非常に音
楽観が柔和で、ソウルが大好きな人であるのを知って驚いたことがあった)、
トロンボーンの後藤篤による6管。そして、ベース(レスター・ボウイとの共
演作も持つ井野信義)とドラム(山下洋輔トリオ出身の小山彰太)のヴェテラ
ン二人は板橋グループのレギュラー陣。さらに、そこにこの前のUA(7月6
日)でも叩いていた外山明(BOZO、MULL HOUSE、山下洋輔、他
)がパーカションションで加わる。
 
 主役の板橋(1949年生まれ)は渡辺/日野の日本人両巨頭からエルヴィン
・ジョーンズのレギュラー・グループ(ジャズ・マシーン)のワールド・ツア
ーまで、いろんな人と絡んでいる(と、書きつつ、それらの名前を出したらか
といって、彼の持ち味はぜんぜん書き留めてはいないわけだが)腕利きピアニ
スト/バンド・リーダー。

 パフォーマンスはもう冒頭から大笑い。MCする板橋がもうへべれけなんだ
もの。当然のことながら、片山も赤い顔してご機嫌さんだ。だけど、板橋はラ
イヴの間じゅう飲まずにいて、終わりのほうのMCも同様な感じだったので、
シラフでもああいう感じなのかしらん。

 判りやすく乱暴に書いてしまえば、渋さ知らズの音楽的/ジャズ的な部分を
抽出し、あの美味しい酔狂さを音楽だけできっちりと押し出すユニットと言え
るか。肉声も用いるアフリカ調(アフリカ楽旅をしたことなどもあり、彼はけ
っこうそっちの色彩を持つものを出している)のものはサン・ラーとかも想起
させるかな。とにかく、すっとぼけた、枠からズレたおやじの才気や茶目っ気
がゆるゆるななか、大爆発! で、こちらは大感激。もう、渋さとか、この前
のリー・ペリーとか好きな人には是非とも一度は触れていただきたい。次のオ
ーケストラ編成(少し面子が変わるよう)ライヴは10月8日の江古田のバディ
(他にもデュオからカルテットまで日々、いろんなギグをやっている)のよう
だ。

 板橋文夫、最高!           

ケイ赤城

2004年8月18日
 晩年のマイルス・バンドに在籍したこともあった、なかなかブリリアントな
LA在住ピアニスト。赤レンガ倉庫のモーション・ブルー・ヨコハマ。セカン
ド。あらら、このリズム・セクションは菊地雅章のオン・ザ・ムーヴ(2003年
6月10日、2002年9月22日)と同じなのか。でも、当然のことながら、違うも
のが送りだされる。1曲目はけっこうフリーフォームな始まりかたで、へ〜え
。日本語のMCのなかに混ぜる英語は完全に向こうのアクセントにて。ちゃん
とした人なんだなと思うとともに、キザやなあとも思わせるか。最後のほうは
ちょっと効果音的な語りも聞かせる。同行者が非常に表現の幅が広い、という
ような感想を漏らしていたが、同感ですね。アンコールの曲は02年秀作でカヴ
ァーしている、ミーシャのヒット曲「エヴリシング」。あるレヴューでそのア
ルバムを大絶賛しつつ、あの曲のどんくさいリズム設定だけはいただけないと
書いたことがあったっけ。この日のほうが違和感なかったかな。当時、日野晧
正(ちょっと、漢字ちがいます。見つからないので、これで今回はお許しを)
もアルバムでその曲をカヴァーしていて、一部ジャズ・マンに人気の曲だった
。あと、その曲を聞きながら、彼の米国人の奥さんが10年強前に日本コロムビ
アを通して、なかなか味の良いシンガー・ソングライター作を出したことを思
い出した(名前は失念)。それ聞きながら、ウェイン・ホーヴィッツとロビン
・ホルコムみたいでいいなとも思ったか。彼女、まだ音楽はやっているのだろ
うか。


              
 歌心追求とサウンドの冒険を両立させようとするアメリカ人の公演は、新作
『ア・ゲス・アット・ザ・リドル』にも参加していたマイス・パレード/デュ
ラン・グループ他のアダム・ピアース(ドラム)とチェロのニコス・ヴェリオ
ティスを伴ってもの。この3人でやるのは初めてとかで、早めに会場入りした
ようだ。

 渋谷・O-NEST。超満員。あんまし、見えません。途中はぼやっとした映像が
少量の音とともに流れる受け付け階で見てたりして。でも、当然このぐらいの
聞き手は集まるよなと妙に納得するところがあって、全然イラつかずにいれま
した。なんか、ワタクシ鷹揚モードでした。ギター弾き語りに広がりある伴奏
音が乗る。内容をちゃんと記すには不十分な見方しかしていないのでボカして
書いておきましょう。彼らはもう一日、即興モノのギグが予定されているが、
そちらはどんな感じなのだろうか?

              
 1ホーン+3リズム。それに、ダブ効果(もっと派手にやってもいいんじゃ
ないかな)卓いじりのパードン木村を入れてクインテットと名乗る。赤レンガ
倉庫のモーション・ブルー・ヨコハマ。セカンド。UA(2004年7月6日)が
ゲストに入ることもあって、さすがに満員。そのUAは部分的に出てきて歌う
のかと思ったら、あたまから最後までずっとでずっぱり。「オーヴァー・ザ・
レインボウ」「チュニジアの夜」他、けっこうスタンダート曲も歌っていた。

 キクチの考える、もう一つのジャズ。大人っぽさと子供っぽさが入り交じる
……。アンコールでようやく2曲UA抜きの演奏陣のみの演奏。本編1時間、
アンコール30分近くはやったか。30分遅れで始まったんで、東京から電車で見
に来ていた人は帰りが慌ただしかったに違いない。なんか、この日は急にクル
マで行くことにしちゃって飲めなくてシクシク度数は相当に高めではあったの
だが、その勘の良さにはこっそり満足。

              
 南青山・ブルーノート東京。コットンはマディ・ウォーターズのバンドにい
て独立、70年代に入ると積極的にファンク・ビートを導入し、一時はファンク
・ブルーズの旗頭的存在だったこともあるブルーズ・ハーピストだ。とはいえ
、この70才になろうかというじいさんは今の自分が心地いいようにやらせても
らいますワ的なノリで悠々、フツーのビートのもとパフォーマンス。でも、1
曲ぐらいはファンク・ビートを採用した曲をやってもいいのではとも思う。<
昔とった杵柄の巧みな、ひつこい流用>、それもまた大衆黒人音楽における重
要な要素でもありますからね。とくに、ライヴにおいては。それから、意外だ
ったのはほとんどハープに専念して、歌はギタリストが担当していたこと。先
のファンク時代は確か自分で歌っていたはずだが。もともとそんな上手いほう
ではないし、無理してまでは歌いたくはないってことか。ブルーズ・マンって
その過酷な境遇もあり、長生きする人は少ない(んじゃないかなあ)のだが、
成功者のほうに入るだろう彼、楽しそうに長生きしてくださいね。

追記:90年代に入って、彼は喉の手術をよぎなくされ、いこう歌わなくなったようだ。
                
 なんとメッセとスタジアムの間に無料バスが運行していた。たまたま、ぼく
が利用したときはすんなり乗れて、すぐに出発するという感じで、とてもツカ
える。乗れば5分もかからないが、歩くとそれなりの時間がかかるもんなあ。
それから、今回はビーチ・ステージというのが新設されていた。それ、地図を
見ると遠そうだったが、マリン・スタジアムから2分ぐらいで浜辺に出ちゃう
。海水は相当に汚いように思えたが、やっぱ海はいい。ここは普通に浜に遊び
に来ている人もいて、よりのんびりとしてて、解放感アリ。今年、初めてで最
後の海になりそうだし、ちょっと和む。水辺ってなんか良い。やっぱ、海か川
の側に住みたいナなぞとも思う。このステージ(ぼくが行ったときは、フォー
クっぽい弾き語りの人がやっていたような)、来年も絶対にあってほしい。

 この日はスタジアム中心に見た。N.E.R.D.はなるほど評判がいいのが分かっ
た。屈託なく楽しく、変に満たされた気分にさせるところがある。レッチリを
求める層にもこれはアピールするところがあるなと思える部分もありました。
続く、オル・ダラ(2001 年8 月1日) の息子ナスは1MC/1DJで正々堂々
とせまる。スタジアムはやっぱり風が吹いて気持ちがいい。

 屋内マウンテン・ステージで見たザ・ハイヴスは良かった。そのファション
を格好いいとは思えないけど、ビシっとしたステージングは秀でたポイントが
多々。なんか、Jガイルズ・バンドを思い出させるところもあった?(浪人し
ているとき、バンドで「ギヴ・イット・トゥ・ミー」をコピーしたことありました)
曲はいまいちでも、気合でこれでいいのだと聞かせてしまうところが似ている
? 拍手。
 千葉県幕張の幕張メッセと千葉マリンスタジアム。今回も会場のレイアウト
が少し変わっていた。メッセ側の3つの屋内ステージ、音はカブるが、本当に
行き来しやすい。だらだら食い物スペースは開き直って(?)、ゲーセンみた
いな一角も設けられていた。球場ステージの模様を伝えるスペースはもう少し
大きく取ってもいいのでは。ヴィジョンも小さくて、去年よりセコい扱いにな
っているような気がしたが。

 この日の一番の見物は、マッド・プロフェッサーのDJをバックにいろな声
を出したリー“スクラッチ”ペリー。言葉や批評を超えた味と感興と嬉しさあ
り。それを喜んだ人でフジ・ロックでのリトル・ジョー・ワシントンを見てい
ない人は、最大級のミステイクとしてそれを悲しむべきだナ。MC5は接せた
だけで、やはりちょっと嬉しかったか。

                  
 アフリカのベニン出身、パリを経て、現在はNYに住む、グローバル派の太
っ腹シンガー。前回(2002年8月4、5日)のときとは、バンドをまったく変
えてののもの。まあ、聞き手に大きく手を開いて、まっすぐに“歌を歌う私”
を届ける様は同様。高揚するとともに、心が洗われる? かつてマンゴ/アイ
ランド発の96年作『フィファ』でやっていたジミヘン・カヴァー(「ヴードゥ
・チャイル」のサイバーヴードゥー・ヴァージョン?)をやったのが嬉しかっ
たかも。ここのところは、南米からカリブを通ってニューオリンズに行く、み
たいな視点のオトナした作品が続いているが、そのうち尖り気味の都会派アル
バムをまた出してほしいな。終演後に会ったらとっても小柄な人。150 センチ
なかったのではないか。って、なんか連続して、身長話を書いているなー。南
青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

    

  

カーキ・キング

2004年8月3日
 フジ・ロックに出た、24才になる米国人女性ギタリスト。もともとはヴェロ
ア・レコードからデビューした人で、ソニーに移籍したことで開かれたコンヴ
ェンション・ライヴ。原宿・ブルージェイウェイ。アコースティック・ギター
(イレギュラー・チューニングを使うそう)をいろんな技巧とともに弾く。1
曲はエフェクターを駆使しての演奏。ときには歌も歌う。目の前に表れた本人
は、小さい人で驚く。本人にそれを言ったあとに、レコード会社の人からそれ
指摘されるの本人いやがるみたいです、と言われてしもうた。

 会場には、なぜかスティーヴィ・サラスも。フジ・ロックの最終日の夜中の
彼のパフォーマンスは長年の付き合いになるシンガーのバーナード・ファウラ
ー(2003年3月13日)をはじめ、全員黒人を集めて、ブラック・バンド状態で
やっていてビミョーに嬉しかった(EW&Fのカヴァーもやったな)。ところで
、彼がかなり太っていたのにはびっくり(本人も気にしているみたいと、後か
ら聞いた)。そして、スニーカー履いていたせいか、何度も会ったことあるは
ずなのに、こんなに背が低い人なのかとも思う。プロデュースの仕事などで、
10日間近く東京に滞在するとか。彼はフジ・ロックでロザリオスのギグを見て
、TOKIE の演奏をとても気にいったようだ。

< 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151