パーカッション奏者のレオナルド“ドク”ギブスがお亡くなりになった。フィラデルフォアンで、米国最古の美術学校であるフィラデルフォア・アート・アカデミー(学士が取れる)で学び、現場に出た。1970年代中期に同地に拠点をおいたこともあった人気アルト・サックス奏者のグローヴァー・ワシントンJr.のグループに加入し、確立された奏者となる。ドグという愛称はワシントンJr.にハーブを用いる癒しの方策を教えたことで、彼が付けたという。ギブスは基本、アフロ・キューバン系の掌裁きを見せる人だ。

 ボブ・ジェイムズ(2013年9月3日、2015年3月5日、2015年9月5日、2018年10月12日)、アール・クルー、ジョージ・ハワード、オナージ・アラン・ガムス、カーク・ウェイラム(2013年4月22日)らスムース・ジャズと言われる人から声がかかる傾向にあったが、彼はエリカ・バドゥ(2000年11月19日、2006年4月2日、2012年3月2日、2017年10月6日)の好盤『ママズ・ガン』(モータウン、2000年)にも名前が見られる。また、ラルフ・マクドナルドがプロデュースの方の需要が高まるにつれ、彼が打楽器奏者として参加していたセッションに入るようになったという指摘も可能かもしれない。

 その仕事ぶりからしてニューヨークに拠点を置いていたんじゃないかと思われるが、そのうちまた戻り、フィリー拠点のベーシストのジェラルド・ビーズリー(2004年3月24日、2010年6月17日)とともに同地のミュージシャンのまとめ役もしたという。だが、亡くなったのはオレゴン州のセイラム、長いあいだ前立腺癌で闘病していた。

 それから、彼はフード・ネットワークという食べ物系ネット・チャンネルで1997年から10年続いた人気料理番組「エメリル・ライヴ」でハウス・バンドのリーダーを務めている。エメリル・ラガセという威勢のいい料理人がホストを務める、ニューヨークで収録されていた1時間ワクの帯番組。どうして料理番組に音楽のバンドが入るのかと思う人もいるだろうが、それなりの数の観覧者をスタジオに入れライヴ・キッチン形式で進められる同番組において、煮たりしている時間にギブス率いるバンドがフュージョン調の演奏をしていた(そして、その際にCMが入る)のだった。オープニングのほか、途中で3回ほどギブス・バンドの演奏が入り、観客はやんやの喝采でバンド演奏にも耳を傾けるし、穏健なおじさん然としたギブスがちゃんとバンド員を紹介する時間も設けられる。少なくても、ぼくが見た回はそうだった。だから、日本で感じる以上に、彼はお茶の間でも知られるミュージシャンであったのだと思う。

▶過去の、ボブ・ジェイムス
http://43142.diarynote.jp/201309051241384602/
http://43142.diarynote.jp/201503060912185943/
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
https://43142.diarynote.jp/201810170926249130/
▶︎過去の、オナージ・アラン・ガムス
https://43142.diarynote.jp/202004071333055842/ 訃報
▶︎過去の、カーク・ウェイラム
https://43142.diarynote.jp/201304230829465253/
▶︎過去の、オナージ・アラン・ガムスの訃報
https://43142.diarynote.jp/202004071333055842/
▶過去の、エリカ・バドゥ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
http://43142.diarynote.jp/201203062004221304/
https://43142.diarynote.jp/201710071225329957/
▶︎過去の、ジェラルド・ビーズリー
https://43142.diarynote.jp/200403241554160000/
https://43142.diarynote.jp/201006181524353169/

 コントラバス奏者の、ジョージ・ムラーツの訃報も届いた。秀でたクラシック素養を下敷きにする、アルコ弾きにも個性を発揮した名手だった。チェコ生まれ、同国のクラシック経由のジャズ弦楽器奏者のレヴェルが高いと感じるのは、やはり同国出身のミラスロフ・ヴィトウシュ(2019年3月6日)という、彼に続きジャズ界前線で活躍した︎ベーシストがいるからだろう。って、サンプルは2つだけじゃないか。プラハの音楽院で学んだあと、1966年からミュンヘンでジャズ奏者としての活動を始め、その後バークリー音楽院への特待生留学を経て米国のジャズ界中枢に入り、様々な名手たちを秀でた技巧でサポートした。亡くなったのはプラハで、晩年は母国に戻っていたと思われる。本名はJiri、米国人にはそのチェコ語読みは不可能なのでGoergeとしていた。

 オスカー・ピーターソン、トミー・フラナガン、ローランド・ハナ(彼とは、ニューヨーク・ジャズ・カルテットの名前で活動もした)、リッチー・バイラーク、ドン・フリードマン(2009年6月7日)など、ピアニストとの絡みが得意な人物との印象も得るか。リーダー作も10作強、それらもピアニストをフィーチャーしたものだったはず。とはいえ、サド/メル・オーケストラやジョン・アバークロンビー(2010年2月5日、2014年10月18日)作での演奏も印象に残る。また、基本穏健で滋味志向の奏者ながら(妙にセンチなメロディ・ラインを好んだという感想も、ぼくは持つ)、ビリー・ハート(2014年2月5日、2019年8月21日)やアル・フォスターやジョーイ・バロン(1999年9月24日、2011年1月30日、2017年3月2日、2019年5月17日)といったキャラ立ちドラマーと組んだことがあったのは面白い。また、彼関与の日本録音のアルバムが何枚もあったりして、来日回数もかつては少なくなかったろうし、親日家であったのも疑いがない。

▶︎過去の、ミロスラフ・ヴィトウシュ
https://43142.diarynote.jp/201903071110239629/
▶︎過去の、ドン・フリードマン
https://43142.diarynote.jp/200906091637138003/
▶︎過去の、ジョン・アバークロンビー
http://43142.diarynote.jp/201002072246423695/
http://43142.diarynote.jp/201410231404401926/
https://43142.diarynote.jp/201708280821026300/ 訃報
▶︎過去の、ビリー・ハート
https://43142.diarynote.jp/201402071150071550/
https://43142.diarynote.jp/201908221131088459/
▶︎過去の、ジョーイ・バロン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm マサダ
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/ ロン・カーター ビル・フリゼール
https://43142.diarynote.jp/201703081443314613/
https://43142.diarynote.jp/201905180802284680/

<今日の、夢>
 大枚入れたサイフを飲食店に置き忘れ、急いで戻ろうとするが、なかなかたどり着けない。実際、あまりキャッシュ・ディスペンサーに触りたくないという気分もあって、今年いっぱいは銀行に行かずにすむだろうという金額を下ろしたばかりであったので、余計にリアルというか、焦る。ああ、夢ぐらい現実と離れ、荒唐無稽なシチュエーションを楽しみたい。

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