渋谷・映画美学校で昼下がりに、多くの出演者が高校生役である2021年日本映画「彼女が好きなものは」を見る。文化庁の助成金を得ていて、この秋にロードショー公開される。監督と脚本は、1984年生まれの草野翔吾。映画を見ながら、映像が綺麗というか風情があるナと思えた。そして、映像の構図取りなども的確なように思う。尺は、2時間。僕にとってはちょっと長いが、ゆったりと流れていく質感も味であると思わせる作風に触れるとこのぐらいの時間が必要ではあったのかとも思う。

 原作は『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』という浅原ナオトの小説で、好評につき漫画になったり、『腐女子、うっかりゲイに告る。』というNHKドラマになっているとのこと。それら表題が示唆するように、ゲイであることに悩みを持ち、でも年上の妻子持ちの彼氏がいる男子生徒と、彼の仮面彼女のような存在になるクラス・メイトとのやり取りや主人公周辺の軋轢や友情を軸に、性的マイノリティに対する偏見への問題提起がなされる。ゲイだと結婚ができず子供がいる幸せな家庭を持つことはできないのかと主人公は真面目に悩んでいるが、高校生でそんな先のことまで考えるのか。と、何も具体的なことは考えず快楽的に過ごそうとしていた自らの高校時代を振り返る……。比較してもしょうがないが、保守政党を支持する人が多い今の若者は本当にコンサヴァであるという話にそれは沿ったものである?

 あちこちに高校生活の甘酸っぱさは配されるが、ゲイリー芦屋による音楽はおやじ臭い。響くギターによる効果音的サウンドなんかも使われているが、往々にして古臭く感じた。終盤にはオルガンを使ったセンチなインストゥメンタルが印象的に使われるが、それを聞いてぼくはプロコル・ハルムの1967年曲「青い影」を想起した。音楽の質は、けっして低くない。遊園地の場面では本当に立派なビッグ・バンド調ジャズが使われる。だが、それがまったく映像と噛み合わないように、ぼくには感じられた。となかんとか、ヒップホップ流れのものとかエレクトロニカ調のサウンドをつけろとは毛頭思わないが、もう少し今っぽい風情の音楽がつけられていたらこの映画はより今の高校生の事象を扱っているというノリが出たのではないだろうか。いや、それともそうした音楽を使うことで、高校生を取り巻く凸凹は昔からの普遍的な問題なんだよというのを示したかったのか。

 その後は、丸の内・コットンクラブ(セカンド・ショウ)で 竹村一哲のカルテットを見る。ドラムの竹村一哲(2016年9月27日、2018年9月2日、2019年10月6日、2019年12月20日、2020年10月5日、2021年6月23日、2021年6月24日 )、ギターの井上銘((2016年6月27日、2017年6月21日、2019年1月21日、2020年1月19日、2021年6月24日)、ピアノの魚返明未(2021年6月24日)、ダブル・ベースの三嶋大輝(2021年6月24日)という顔ぶれ。おお、1か月以内に、彼らを2回も見ちゃったぞ。

 演目は、竹村や魚坂のオリジナル曲に、キース・ジャレットやエグベルト・ジスモンチ曲など。アルバム『村雨』をフォロウするツアーの最後の日となり、覇気と創意工夫を抱え、心から寄り添える仲間と音を出し合っているのがと手にとるように分かる1時間強。まっとうなジャズの丁々発止の回路を若さとともに獰猛に追求し、管楽器奏者の代わりに電気ギターが暴れることで、もう一つの表情をしかと得る。しかし、ギターやドラムがゴンゴンとデカい音を出すなか、ちゃんとピアノの音が聞こえることに大きく頷く。音、いいな。とともに、ピアニストの秀逸さもよく伝わる。ベース奏者がもっとソロをとってくれたなら、言うことなかったのだが。

▶︎過去の、竹村一哲
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201910070759405954/
https://43142.diarynote.jp/201912220907352341/
https://43142.diarynote.jp/202010060748585515/
https://43142.diarynote.jp/202106240847332337/
https://43142.diarynote.jp/202106251409441425/
▶︎過去の、井上銘
http://43142.diarynote.jp/201606281737237220/
https://43142.diarynote.jp/201706220952582448/
https://43142.diarynote.jp/201901231045028294/
https://43142.diarynote.jp/202001201340286359/
https://43142.diarynote.jp/202106251409441425/

 ところで、セッションキーボード奏者/シンガーのマイク・フィニガンが LA でお亡くなりになった。肝臓がんであったという。オハイオ州生まれで、同じ中西部のカンザス州の大学へはバスケット・ボールの奨学金を得て入ったというので、多分身長の高い人であったのだろう。20歳ごろからしっかり音楽活動を始め、1960年代後半から達者なオルガン奏者としてスタジオ・ミュージシャンの需要をいろいろ得ることとなる。その最初の大きな仕事は、ジミ・ヘンドリックス『エレクトリック・レディランド』(1968年。英国はザ・フー関連レーベルのトラック、米国はリプリーズから出ていたのだな。他の国ではトラックにお金を出したポリドールからリリース)だった。

 その後、ジャニス・ジョプリン抜きのザ・ホールディング・カンパニー、デイヴ・メイソン、マリア・マルダー、ピーター・フランプトン、ベン・シドラン(ピアノストの彼も、1970年代の複数作にアーシー軽妙な演奏ができる彼を起用していた)、ロッド・スチュアートらのレコーディングに参加。さらには、ステーヴン・スティルス、ダン・フォーゲルバーグ、エタ・ジェイムズ、ジョン・ハイアット、スティーヴ・タイレル、キャンド・ヒート、サム・ムーア、ボニー・レイット、タージ・マハール、ドン・フェルダーら様々なアルバムにキーボード奏者として参加している。

 ヴォーカルも取れた彼はソロ・アーティストとしても、1970年代に2作品をリリースした。1977年発表の『Mike Finnigan』(Warner Brosthers。なお、彼はMike Finneganとクレジットされることもあった)はジェリー・ウェスクラーのプロデュースのもとマッスル・ショールズで録音されたアルバムだった。アラン・トゥーサンの2曲ほかいろいろ他人の曲をそこで取り上げており、彼はそこで非ロック的ともぼくは言いたくもなる朗々とした歌声を聞かせている。また、翌年にリリースされた何気にセレブ風なノリのカヴァーを持つ『Black & White』(Columbia)は当時同じレーベルでブレイクしていたボズ・スキャッグスの線をもろに狙った内容を持っていた。そちらはロスのザ・レコード・プラントの録音で、制作者はハード・ロックや産業ロックに強い英国出身のロン・ネヴィソン。こちらは、彼が書いた曲はゼロ。基本、あまり曲作りは得意な人ではなかったのだと思う。

 マイク・フィニガンの情報を得るためにいくつか記事にあたると、なかなか高潔な人間性の持ち主であったことが伺えるし、一人の奥さんともずっと添い遂げたようだ。とても周りの人間から慕われ続けた人であったのではないだろうか。

<私の、口癖>
 あー、つかれた。とは、独り言のようによく言っているはず。情けねえ。とはいえ、もう何十年もそうであるような気もする。そんな感じなので、具合がすぐれなくてもなあなあでずっとやり過ごしているか。唯一心にとめているのは、格好つけたいときはそれはやめましょうね〜大体は、おねいちゃんの前となるか〜、ということ。はあ、小せえ、、、。無理はしない。それは、何気に座右の銘? でないと、本当に本気を出さないといけないとき、それができなくなる。

コメント