「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」展
2021年1月26日 音楽 清澄白河・東京現代美術館で開かれている、アート・ディレクター/デザイナーの石岡瑛子(1938年7月12日〜2012年1月21日)の様々なプロダクツをまとめる展覧会をお昼に見に行った。展示はだいたい年代順、平面から映像も含めた立体のプロダクツに仕事が移っていったことが分かった。会期終盤でもないし、平日かつこういう折ではあったものの、それなりの客入り。これが平時だったら、かなりの混みようであったのか。
音楽好き(というか、他のことには多々疎い)ぼくが彼女の名前を初めて見たのは、日本フォノグラムが1970年代半ばに設立、日本人のジャズの担い手と米国人ジャズ・アーティストを同じ目線で録音し、鋭意送り出したイースト・ウィンド・レーベルの一連のジャケット・カヴァー群のディレクション/デザインだった。なかには、妹の石岡玲子のイラストレーションを使ったアルバムもあったはずだ。芸大を出て資生堂に入り、1970年に彼女は独立したようだが、当時のCBSソニーはその頃からゲイリー・ピーコック(2007年5月8日)やウェザー・リポートの日本録音盤などのジャケのデザインに彼女を起用していた。後のロナルド・シャノン・ジャクソンのアンティルズ盤やアクシオム盤(ともに、親はアイランド・レコード)などもてがけていたな。パット・メセニー(1999年12月15日、2002年9月19日、2010年6月12日、2012年1月25日、2012年3月3日、2013年5月21日、2015年9月27日、2019年1月7日、2019年1月11日、2019年1月16日)のレイザー・ディスクの映像作品を彼女は監督したこともあったと記憶する。
基本、素晴らしく本質を掴んでの、人の興味を射抜く仕事をしてきたのだなと、おおいに頷く。数々のポスター、海苔やコーヒーの商品パッケージ・デザイン、装丁……。また、版下や校正や、仕事の手紙(達筆)、ラフのデザイン画などもいろいろ展示されている。すごい、オリジナリティと才能にあふれると思わずにはいられず。そして、その奥には行動力や好奇心が渦巻いていたことも。1970年代のブツは、パルコと角川書店のもが多く展示されている。本が好きじゃないし、カドカワはまがい物のような気がして一切注意を向けたことがなかったが、本当に同社のいろいろな仕事をしていたのだな。パルコもそうだが、角川書店は一時本当にぶいぶい言わせていたという記憶があるが、彼女をアート・ディレクターに起用しなかったら、その栄華もなかったのではないか。そう思わせる個性とパワーを彼女は持つ。
音楽方面では、グラミー賞のデザイン部門を取ったというマイルズ・デイヴィスの『TUTU』(ワーナー・ブラザーズ、1986年)とビューク(2001年12月5日、2008年2月22日)のPV「コクーン」(2002年)は大々的に一画を用い紹介される。デイヴィスの作品はアナログ時代が終わりに近づいてきた時期の仕事だが、これはレコード・ジャケットのサイズがなければいけないものだろう。と思ったら、そのコーナーでは、しょぼい卓上プレイヤーで『TUTU』のレコードをかけていた。
彼女が美術を担当した、三島由紀夫を題材とした1985年日米映画「Mishima: A Life In Four Chapters」(ポール・シュレイダー監督。フランシス・フォード・コッポラ/ジョージ・ルーカス制作総指揮)にも大きく場所が割かれる。これ、遺族の反対にあい、日本では未公開なのか。熱烈な三島ファンの知人がいて、昔あちらで出たVHSを見せてもらったことがあり、よく分からないながらシャープなアート施工がなされた映画という所感を持つが、あらそれにも彼女は絡んでいたのか。「日本公開が叶わなかったこの映画に関わったことで、彼女は日本の狭量さがいやになり、海外に拠点を移した」、というような説明書きもそこには出ていたか。
そして、その後の彼女は映画や舞台やオペラ、大きなイヴェントなどの衣装デザインを柱に活動していったことが示される。グレイス・ジョーンズの2009年ツアーの奇抜な衣装、シルク・ド・ソレイユのそれ、デサント流れのソルトレイク五輪のスイスやカナダの選手やコーチの服、北京オリンピックの閉会式の衣装、などなど。もし、彼女がもっと早くからファッション・デザイナーを志していたらと一瞬考えたが、いろいろな要求や要素を束ね、そこからから圧倒的なアイデアを形にするのに長けていたのかもしれない。
結構、ヴォリュームあり。ぼくは1977年以降に東京に住んでいるが、ある意味、自分の東京史とつながるような部分もあって、時間をかけて見た。そして、視覚〜働きかけの美学の粋に圧倒された。
▶︎過去の、ゲイリー・ピーコック
https://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶︎過去の、ロナルド・シャノン・ジャクソンの訃報
https://43142.diarynote.jp/201310210730403296/
▶過去の、パット・メセニー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/201006181520054406/
http://43142.diarynote.jp/201201271245417497/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201305260927026044/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
https://43142.diarynote.jp/201901121341307532/
https://43142.diarynote.jp/201901180819479701/
▶過去の、ビューク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://43142.diarynote.jp/200802230934310000/
<今日の、あるある>
帰り、最寄りの清澄白河駅の途中にある店で、深川めしを食す。初体験、いっぱいあさりが入っていた。小さめのお椀だと思ったら、けっこう量があったな。店で背後から、知人から声をかけられる。やはり、現代美術館の帰りだという。この後、ギンザ・グラフィック・ギャラリーで開かれている無料の「SURVIVE - EIKO ISHIOKA /石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか」展に一緒に行くことに。銀座着、そしたらこちらの方は前期と後期の狭間の期間で休館なり。残念。近くの7丁目のライオンに寄る。戦前の建物とのこと、天井が高い。その後、友人の意向に添い山野楽器の手間まで行きあんぱんを買う。それ、柔らかくなく(今日のものではないような)、まずかった。
音楽好き(というか、他のことには多々疎い)ぼくが彼女の名前を初めて見たのは、日本フォノグラムが1970年代半ばに設立、日本人のジャズの担い手と米国人ジャズ・アーティストを同じ目線で録音し、鋭意送り出したイースト・ウィンド・レーベルの一連のジャケット・カヴァー群のディレクション/デザインだった。なかには、妹の石岡玲子のイラストレーションを使ったアルバムもあったはずだ。芸大を出て資生堂に入り、1970年に彼女は独立したようだが、当時のCBSソニーはその頃からゲイリー・ピーコック(2007年5月8日)やウェザー・リポートの日本録音盤などのジャケのデザインに彼女を起用していた。後のロナルド・シャノン・ジャクソンのアンティルズ盤やアクシオム盤(ともに、親はアイランド・レコード)などもてがけていたな。パット・メセニー(1999年12月15日、2002年9月19日、2010年6月12日、2012年1月25日、2012年3月3日、2013年5月21日、2015年9月27日、2019年1月7日、2019年1月11日、2019年1月16日)のレイザー・ディスクの映像作品を彼女は監督したこともあったと記憶する。
基本、素晴らしく本質を掴んでの、人の興味を射抜く仕事をしてきたのだなと、おおいに頷く。数々のポスター、海苔やコーヒーの商品パッケージ・デザイン、装丁……。また、版下や校正や、仕事の手紙(達筆)、ラフのデザイン画などもいろいろ展示されている。すごい、オリジナリティと才能にあふれると思わずにはいられず。そして、その奥には行動力や好奇心が渦巻いていたことも。1970年代のブツは、パルコと角川書店のもが多く展示されている。本が好きじゃないし、カドカワはまがい物のような気がして一切注意を向けたことがなかったが、本当に同社のいろいろな仕事をしていたのだな。パルコもそうだが、角川書店は一時本当にぶいぶい言わせていたという記憶があるが、彼女をアート・ディレクターに起用しなかったら、その栄華もなかったのではないか。そう思わせる個性とパワーを彼女は持つ。
音楽方面では、グラミー賞のデザイン部門を取ったというマイルズ・デイヴィスの『TUTU』(ワーナー・ブラザーズ、1986年)とビューク(2001年12月5日、2008年2月22日)のPV「コクーン」(2002年)は大々的に一画を用い紹介される。デイヴィスの作品はアナログ時代が終わりに近づいてきた時期の仕事だが、これはレコード・ジャケットのサイズがなければいけないものだろう。と思ったら、そのコーナーでは、しょぼい卓上プレイヤーで『TUTU』のレコードをかけていた。
彼女が美術を担当した、三島由紀夫を題材とした1985年日米映画「Mishima: A Life In Four Chapters」(ポール・シュレイダー監督。フランシス・フォード・コッポラ/ジョージ・ルーカス制作総指揮)にも大きく場所が割かれる。これ、遺族の反対にあい、日本では未公開なのか。熱烈な三島ファンの知人がいて、昔あちらで出たVHSを見せてもらったことがあり、よく分からないながらシャープなアート施工がなされた映画という所感を持つが、あらそれにも彼女は絡んでいたのか。「日本公開が叶わなかったこの映画に関わったことで、彼女は日本の狭量さがいやになり、海外に拠点を移した」、というような説明書きもそこには出ていたか。
そして、その後の彼女は映画や舞台やオペラ、大きなイヴェントなどの衣装デザインを柱に活動していったことが示される。グレイス・ジョーンズの2009年ツアーの奇抜な衣装、シルク・ド・ソレイユのそれ、デサント流れのソルトレイク五輪のスイスやカナダの選手やコーチの服、北京オリンピックの閉会式の衣装、などなど。もし、彼女がもっと早くからファッション・デザイナーを志していたらと一瞬考えたが、いろいろな要求や要素を束ね、そこからから圧倒的なアイデアを形にするのに長けていたのかもしれない。
結構、ヴォリュームあり。ぼくは1977年以降に東京に住んでいるが、ある意味、自分の東京史とつながるような部分もあって、時間をかけて見た。そして、視覚〜働きかけの美学の粋に圧倒された。
▶︎過去の、ゲイリー・ピーコック
https://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶︎過去の、ロナルド・シャノン・ジャクソンの訃報
https://43142.diarynote.jp/201310210730403296/
▶過去の、パット・メセニー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/201006181520054406/
http://43142.diarynote.jp/201201271245417497/
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https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
https://43142.diarynote.jp/201901121341307532/
https://43142.diarynote.jp/201901180819479701/
▶過去の、ビューク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://43142.diarynote.jp/200802230934310000/
<今日の、あるある>
帰り、最寄りの清澄白河駅の途中にある店で、深川めしを食す。初体験、いっぱいあさりが入っていた。小さめのお椀だと思ったら、けっこう量があったな。店で背後から、知人から声をかけられる。やはり、現代美術館の帰りだという。この後、ギンザ・グラフィック・ギャラリーで開かれている無料の「SURVIVE - EIKO ISHIOKA /石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか」展に一緒に行くことに。銀座着、そしたらこちらの方は前期と後期の狭間の期間で休館なり。残念。近くの7丁目のライオンに寄る。戦前の建物とのこと、天井が高い。その後、友人の意向に添い山野楽器の手間まで行きあんぱんを買う。それ、柔らかくなく(今日のものではないような)、まずかった。
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